Other Side Story 兄と親友

見えない光6

「さぁ、今日も出掛けるよ」
「また来たの…?いい加減、疲れる」
「ここにいる方が鈍ってしまうだろう?それに、檻の中での生活はもう終わりだ」
「終わり?解放されるの…?」
「俺の監視下だけどね。君に見せたい場所がある、話の続きはそこでするから」

 アルゼフィートに言われて、少年がいつものように彼の後を付いていくと、辿り着いた場所は数日前に訪れた喫茶店だった。
「マスター、来たよ」
「ああアルゼ、待っていたよ。準備は出来ている、ほら鍵だ」
「ありがとう。さぁ二階へ行くよ」
 少年に付いてくるよう促したアルゼフィートは、喫茶店奥にある扉を開けた先の階段から二階へと上がった。そこには扉があり、彼はマスターから預かった鍵を使って開錠すると、少年に告げた。
「今日からここが、君が暮らす部屋だよ」
 アルゼフィートは少年を部屋の中へ案内すると、一通りの間取りを説明し始めた。
「ここは居間、そこが調理場。寝室、浴室と手洗い場は向こう側の別室にある。生活に必要な家具は揃えておいたよ。ベッドに机、収納や保管庫、他に必要なものがあれば言ってくれれば用意する」
「ここで、暮らすの…?俺ひとりで?」
「そうだよ。でも俺は毎日ここに来るし、下にはマスターもいるから頼っていいからね。食事も心配しなくていいよ、下の喫茶店でマスターが全部作ってくれるから」
「これは、どうなるの?」
 そう言って少年は自分の左腕に付けられている枷輪を指した。
「ああ、えっと…ごめんな、それはまだ外せない。君を監視することには変わらないんだ。けれど一部の条件は外そう」
「………」
「一応伝えるけれど、君がどこへ行こうと俺にはわかる。でも、君はもう逃げる気はないだろ? あ、そうだ、足枷は外すよ。もう必要ない」
 アルゼフィートは少年に右足のブーツを脱ぐように促すと、その足首に付けていた枷輪を外して立ち上がる。
「さて、また一階へ戻ろう。マスターへきちんと挨拶をしないとね」
 再び喫茶店へ戻ったアルゼフィートは、カウンター越しのマスターへ声をかけた。
「マスター、部屋を確認したよ。ありがとう」
「気にするな、事情はわかっている。少年、困ったことがあれば何でも言ってくれよ」
「………」
「はは、ごめんね。まだ人間不信なところがあるんだよ」
「そのようだな。だが、こちらの自己紹介はしておこう。私はここの喫茶店マスター、名前はアグレンツだ。よろしくな」
 マスター・アグレンツがニヤリと笑うのを見て、少年は言葉を返さないものの小さく頷いた。
 その様子にアルゼフィートも見守るように笑みを浮かべていた。



 足りないものを買いに行こうというので、少年はアルゼフィートと再び街の中を歩いていた。揃えるものは日用品や着替えの服、部屋で過ごすための娯楽品、自室用の食材や飲料など。
 ある程度の買い物を終えて、喫茶店へ戻る途中のことだった。

 少年は先を歩くアルゼフィートの背中を眺めながら、自分の気持ちを、心を許すことをほんの少しだけ考え始めていた。
 初めは嫌だった。どうして彼は、自分の元へ来ては関わろうとするのだろうかと。エンデバーグの街中をあちこち連れ回される度に腹が立っていた。
 でも枷輪のせいで逃げられなかった。今だって外してもらえない。自分にとっては容赦のない代物で…。
 組織を守るためだった。口を閉ざしたのは。一度だけだが、自害しようともした。
 それなのに数日前、組織の刺客に狙われた時、自分は生きようとしていた。どうしてなのだろう…?
 組織を守るためなら、あの時に殺されておけばよかった。自害した男と同じことを、自分もすべきなのだ。
 でも、でも……。
 彼は自分にこう言った。

「君の力になりたいからだよ。俺はそう思っている。だから君は、何も心配しなくていいんだよ?」

 希望に満ちた言葉に、心が揺れる。
 自分はずっとひとりだった。今まで誰かを頼ろうと思うこともなかった。
 このまま心を閉ざしたまま、自分はこの先を過ごすのか。同じことを繰り返して、言葉無く耐え続けて…。
 考えれば考えるほど、わからなくなる。少年は正直辛くなってきた。どうして今になって、悩むほど考えてしまうのだろう。楽になりたい。
 そうだ、仕方ないことなんだ、そう思えばいいのだろうか。他の方法はもう思い付かない。
 それに、少しだけなら自分のことを教えても……大丈夫なのかもしれない。何も心配しなくていい、そう言ってくれた彼なら、きっと。
 だから ──。

「…レイエ」

 聞いたことのない言葉。自分の後ろを歩く少年の小さな呟きが聞こえて、荷物を抱えていたアルゼフィートは振り返った。
「何…?」
 今の言葉は何だろうかと不思議そうな面持ちで少年を見やると、少年はそれに気が付いて、場が悪そうな表情を浮かべながらも再度、同じ言葉を口にした。

「レイエ。レイエ・ラーズ。俺の、名前…」
「!!」

 アルゼフィートは驚いた。ずっと頑なに心を閉ざしていた少年が、初めて自分の名前を明かしたのだ。
 その現実が一瞬信じられず、時が止まったような感覚を覚える。つい手持ちの荷物を落としそうになった。同時に嬉しい感情が込み上がってきた。今まで自分が接してきた事は間違いではなかったのだろう。
 思い切り喜びたいところだったが、大事にすると少年の気に障るかもしれない。
 アルゼフィートは自分へ言い聞かせるように、教えられた少年の名前を声に出した。
「レイエ……レイエ。うん、良い響きの名前だね。教えてくれてありがとう、“レイエ”」
「別に。これでもう、呼び名に困らないだろ…」
「そうだね、助かるよ」
 アルゼフィートが笑いかけると、少年 ── レイエは、照れ隠すような表情で蒼い瞳を逸らす。まだ、心のすべてを開いたわけじゃない、そんなことを言っているようだった。
 でも、それでもいい。少年のことをひとつ、知ることができたのだから。



 喫茶店に戻った二人は、改めてマスターと言葉を交わした。アルゼフィートは嬉しそうな笑顔を浮かべては気持ちが高揚しているようだった。
「ねぇ聞いてよマスター!やっとこの子が教えてくれたんだ、すごいことだよ!」
「アルゼ、随分と嬉しそうだな。はしゃぎ過ぎだぞ」
 アルゼフィートが余りにも喜ぶ姿に、マスターは珍しいなと思いながら彼と少年の顔を見比べながら応えた。
「少し出掛けた間に何があった? 少年が若干引いているんじゃないか」
「少年じゃない……俺の名前は、レイエ…」
「どうしたんだ急に?アルゼの話じゃ、名前は教えてくれないって…」
 寡黙だと思っていた少年の声が名前と共に返ってきたのでマスターは驚いていた。すると、少し気持ちを落ち着かせたアルゼフィートが言葉を続ける。
「だから、ついさっきなんだよ。初めて俺に名前を教えてくれたんだ。なぁレイエ?」
「…うるさい」
「ふふ、そう冷たいことを言わないでさ、仲良くしようよ」
 にこりと笑みを浮かべるアルゼフィートだが、レイエは不機嫌そうに顔を背けてしまう。どうやら二人の間にはまだ温度差があるようだ。
 彼らを見ていたマスターはそんなことを感じながら、レイエへ声を掛けた。
「なるほど。まぁ名前は大事だからな。レイエというのか、改めてよろしくな」
「うん、よろしく…」

 この日を境に、アルゼフィートとレイエの関係は今まで以上に近付いた。
 レイエの心を開くことは、まだ時間がかかるだろう。けれど、人を頼ることを知らなかった少年は、ようやく人への信頼を覚え始めていた。
 焦ることはない。諦めずに関わることで開いた小さな道だ。少しずつでいい、前には進んでいるのだから。
 アルゼフィートは、レイエが抱き始めた自分への希望をしっかりと受け止めて、強く想う。

 新しい未来への可能性を信じよう、と。


    *


 ── あれから、たくさんの時間を過ごした気がする。

 アルゼフィートと毎日を過ごすようになってから、レイエは今まで知らなかった外の世界を見た。組織の闇から抜け出したその場所は、最初はあまりにも眩しくて、すぐに逃げ出したかった。
 けれどもその中で、彼から何度も干渉されながら、そして彼の背中を追いながら、多くのことを学んだ。


 人との関わり方、会話の駆け引き。

「ここは魔法具屋。君にはあまり縁がないかもしれないけれど、いつか役に立つかもしれないから紹介しておくよ」
「あ、アルゼさんだー! いらっしゃい!」
「あら、その子は新しいお客様かしら?」
「アーネイダ、もし良ければこの子の入店を認めてもらいたいんだけど、どうかな」
「アルゼさんのお連れ様なら構わないわよ。お名前は?」
「レイエだ。レイエ・ラーズ」
「レイエくんね、登録しておくわ。私は店主でクリエーターのアーネイダよ、よろしくね。この子は娘のメルトリアよ」
「アルゼさんのお友達!? よろしくねっ!」
「アーネイダ、メルトリア、二人ともよろしくお願いするよ。レイエ、君も挨拶して」
「あ、うん……俺はレイエ。よろしく」


 守るための戦い方、自分にとって大切なもの。

「レイエ、その戦い方は……低い構えはやめた方がいい。武器も変えようか、二刀は必要ない」
「何で?」
「君の戦い方はレンヴィット仕込みの暗殺戦術だろう? それではこの先ダメだ。守るための戦い方を覚えないとね」
「守るため? 何を守るの……自分?」
「確かに自分の身を守ることも必要だけど、もっと大切なことがある」
「何…?」
「今はまだ思い描けないかもしれないけれど、いずれレイエにも大切なものができた時、それを守るための戦い方だよ」
「大切なもの…」
「武器は今度、俺の剣を譲るよ。レイエに合いそうなものがあるんだ」
「うん……わかった」


 新しい出会い、新しい見聞。

「アルゼ、元気そうだね。その子が前に話していた子…?」
「ああ、いろいろあって今は一緒に行動しているんだ」
「誰……アルゼの知り合い?」
「こんにちは、僕はキルシス。アルゼには以前お世話になったことがあってね。よろしく」
「レイエ、彼は希少な種族なんだ。君は“竜”を知っているかい?」
「竜?知らない」
「まぁそうか、普通知ることはない。機会があればキルシスに会わせてもらうといいよ。偉大な存在にきっと感動するから」
「どういうこと?」
「えっと…僕は竜血種で、誓約を交わす友人の竜がいるんだ」
「竜と…友達なの?」
「友達というより親友かな。小さい頃からずっと一緒だから。興味があるなら会ってみるかい?」
「いいの?…会えるなら、会ってみたいな」
「構わないよ。それなら今度、話しておくね」



 彼と共に過ごした時間には、数え切れないほどの新しい経験が待っていた。それらの情報は、自分の知識として記憶されていく。
 闇の中では知り得なかった、光を覚えた。



 どうして自分のために、アルゼフィートは手を尽くすのだろうと思い、真面目に尋ねたことがあった。
 その時彼は笑っていたけれど、珍しく悲しげな表情を少しだけ覗かせていた。

「あの時、重なって見えたんだ。君と、俺の妹が。同じような暗い瞳をしている……このままじゃいけない、そう思ってね」
「アルゼの、妹?」
「ああ、レイエと同じ年くらいの妹がいるんだ。両親を亡くしてからあまり笑わなくなってしまって……本当は無邪気で可愛い子なんだけど」
「一緒にいるの…見たことないけど」
「エンデバーグにはいないよ。今は魔法勉学のため、アラムハインの学校に通っているんだ。けれど…いずれ、ここへやってくるはずさ。その時はレイエ、妹と仲良くしてやって欲しい。黒髪に紫色の瞳で俺に似ているから、見たらすぐにわかるよ」

 アルゼフィートの妹の話を聞いて、いつかは会うことになるのだろうと、レイエはなんとなく頭の片隅に留めておいた。
 それが後に、大切な約束へ繋がることになるとは、まだ知らなかった。





 ザザザザ…と、視界に赤と黒のノイズが混じり合う。

 ── なんだ、これは……。

 紅い断崖。
 黒い集団。
 響き渡る怒号と咆哮。

 ── ああ、これはあの時の……記憶。

 目の前で広がった、紅い鮮血。
 紅い剣は鼓動と共に闇を纏い、膨れ上がった。

 嘘だと思いたかった。
 ただの悪い夢であって欲しいと…。

 ── 思い出したくない……でも、俺は。



    *





「………(今のは、昔の…夢か)」
 目を覚ますと見慣れた部屋の天井が映り、レイエは起き上がった。時刻は早朝だ。
 とても懐かしい、けれども自分の精神を揺さぶる、そう遠くない記憶に少しだけ頭が痛くなる。
 レイエはベッドに座ったまま、ゆっくりと静かに深呼吸を行い、自分の気持ちを落ち着かせた。

 ずっと、失ったまま生きていく ── それが自分の未来だと思っていた。
 大切なものは昔に失くしたまま、二度と取り戻すことはできないから。

 しかし、ある時出逢った青年は自分の未来を変えることになった。もしも彼に出逢わなければ、永遠の闇の中で暮らしていただろう。
 青年に手を引かれて、レイエは光のある道へ誘われた。それはまるで、闇の中に差し込んだ一条の光。
 見えない光を、ようやく見つけたのだ。

 それなのに、どうして…。

『妹を……頼んだよ。大丈夫さ、今のお前なら……きっと…』

 彼と最後に交わした“約束”を、果たさないといけない。守らないと。
 もう二度と失いたくなかった。手に入れた光の喪失は、あまりにも大き過ぎたから。

 彼女を護るんだ。護らなければならない、何があっても。
 これは、忘れてはいけない約束だ。自分へ課せられた使命。

 ── アルゼ、俺は守るよ。お前との、約束を…。


 でも、いつからなのだろう?
 レイエはその“約束”の持つ意味が、自分の中で変わりつつあることに、気付き始めていた。

 忘れてはいけない約束。守らないと…。
 いや、違う。違う。違う…。約束では……ない。

 護らなければならない。
 そうではなく、自分は彼女を護りたい。

 なぜそう思うようになったのか、悩んだ末に出た答えは単純なことだった。


 自分が、彼女を好きになったからだ。


 この気持ちに気付いた時、自分の想いはすべて彼女へ向けられていた。
 ずっとそばにいたいと思った。自分にとって、とても大切なものだから。
 彼女を失いたくない。何があっても自分が必ず彼女を護る。絶対に手放さない、誰にも譲らない、そう決めた。

 もしも今、彼が生きていて、彼女を好いている自分を知ったのなら、どう思うのだろうか?
 彼女の兄である彼 ── アルゼフィートは。

『言っただろう? レイエなら大丈夫さ。妹のこと、よろしく頼むよ。きっと二人なら、仲良くやっていけると思うから』

 そんな声が聞こえた気がして、レイエは俯きかけた顔を上げた。



 ── そろそろ、行かないと。

 ベッドから立ち上がったレイエは騎士制服へ着替えた。身支度を整えて、机横に掛けていた剣鞘を取る。
 アルゼフィートから譲り受けた風星剣 ── 言われた通りに毎日手入れを行っているため、その銀刀はとても輝いていた。
 剣刃を確認したレイエは慣れた手つきで身に付けると、部屋を出て階段を下りた。

 階段を下りた先の一階には喫茶店がある。扉の店板には「喫茶 盗めない鍵」と表記されていた。
 レイエが扉を開けて中へ入ると、見知った白髪頭の男 ── 喫茶店のマスター・アグレンツが開店準備を始めていた。
「おはよう、マスター」
「レイエおはよう。朝食はいつも通りか?」
「ああ、頼むよ」
「待ってな、すぐ出来るから」
 店内の掃除をしていたマスターはカウンターへ戻り、朝食準備に取り掛かる。
 しばらくすると、出来たての朝食プレートがカウンター席で新聞を読んでいたレイエへ差し出された。
 「ありがとう」とお礼を言ったレイエは新聞を隅へ置き、すぐにトーストを頬張った。プレートには他にサラダ、厚切りベーコンとスクランブルエッグ、カットフルーツが盛り付けてある。朝食はマスターに全て任せてあるため日によってメニューが変わるのだが、今日は割と軽めな内容だ。今朝の調子を考えると、レイエには程よいメニューだったので有難かった。それらをあっという間に平らげたレイエは、最後にホットミルクを飲み干した。

 朝食を終えたレイエは立ち上がり、いつものようにカウンターへお金を置く。
「マスターごちそうさま。俺はもう行くから」
「忙しいなレイエ、少しはゆっくりしたらどうなんだ?」
「早く行かないとアイツを起こせないんだよ」
「そうか、困った相棒だな……今日から討伐遠征か?気をつけろよ」
 マスターから掛けられた言葉にレイエは片手を振って応えると、喫茶店を出ていった。

 この時間、朝に弱い彼女はまだぐっすりと眠っていることだろう。それに絶対、夜更かしをしているのだから余計に質が悪い。
「本を読まないお前にはわからないだろうが、夜の静けさは読書をするのに最適なんだ。だから、つい集中してしまい、時間を忘れがちで…」
 これが彼女のいつもの言い訳だった。本を読むのはいいけれど、少しは時間を気にしろと思う。
 マスターにも言ったが、早く起こさないと後が大変だろう。なぜなら今日は部隊遠征に赴く日で、通常よりも早めに集合する必要があった。自分が所属する部隊長のジオ副長は、気さくで頼りになる大先輩だけど規律には厳しいエルフ族だ。出来ることなら時間に遅れたくない。
 そんなことを考えながら、レイエは足早に街の中を駆けて行く。
 向かう行先は、毎日行き慣れた場所だった。エンデバーグ城近くにある一部の騎士魔導隊の隊員達が暮らす宿舎だ。

 朝晴れの太陽が眩しいと感じながら、肌を掠める風は涼しくて心地良い。
 表情には自然と笑みが零れていた。


 同じ部隊のパートナーであり、今は愛しい大切な彼女 ── ルインが待っているから。



 レイエのいつもの朝が、今日も始まっていた。



 ── Other Side Story 見えない光 END ──




≫2023.3 あとがきへ

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