Other Side Story 兄と親友

見えない光4

 少年は檻の中で何をするわけでもなく、ただじっとしたまま時を過ごしていた。
 その顔は無表情で、自分がこれからどうなってしまうのか、そんな不安や恐怖は微塵も抱えてはいない。
 けれども少年が思うに、自分が置かれている環境は最悪だった。両腕の手首にはそれぞれ魔法で制御されている鎖付きの手枷が掛けられ、右の片足首にも同様の鎖枷が付けられている。その上、自分が放り込まれた牢屋も魔法による制御が掛けられているらしい。
 魔力無しの自分に、魔法への対策は皆無だ。
 そう考えると、ここから逃げ道を探す方が無意味のように思えてくる。
 ジークやエラハドなら何かしら突破口を思い付くのかもしれない。そんなことを子供ながら考えてみたが、意味はなかった。彼らのことを考えたところで、助けなど来ないのだから。最初から知っていたことだ。

「国は俺達を捕まえようと必死だ。もしも、お前が奴らに捕まるようなことがあれば、そこで終わりだからな?覚えておけ」

 ジークは言っていた。自分はただの囮、敵を引き付ける咬ませ役。組織にとってはそれだけの価値しかない捨て駒なのだと。
 かといって不服があるわけじゃなかった。組織に入った時から役目は決まっていたし、それが自分に与えられた使命なら、最後までやり遂げるだけ。
 それだけでいい。今を生きる理由なんて。どうせ自分の居場所は、どこにも無いのだから。

 ただ、いくら自分が黙秘を続けていても、この状況が続くようであればいずれ組織を危機に晒す可能性がある。それだけは絶対、あってはならないことだ。
 そう、絶対に ──。


「蒼炎、貴方はとても賢くて優しいわ」


 少年の脳裏にふと、女の声が響いた。甘く囁く聞き覚えのある声色は、いつもジークの側に寄り添う女 ── クリスの声だ。
 それは最近、彼女から紡がれた言葉だった。

「うふふ、リエラがこんなに懐いている。貴方がいつも遊んでくれるから気に入っているのね」

 あの時クリスに呼び出された自分は、彼女の飼い猫を抱えていた。
 黒と灰色の猫リエラは一声鳴くと自分の腕から飛び降りて、クリスに抱き上げられた。
 クリスはリエラの頭を撫でながら、茜色の瞳を蒼い瞳に重ねて言葉を続けた。

「他のメンバーはともかく、貴方には……本当は必要ないと思うけれど、何かあっては遅いから。ジークに言われては、私も断れないしね」

 リエラを撫でていたクリスの右手は、自分が被っているフードを下ろして蒼い髪へと移される。彼女は自分の頭を優しく撫でながら、静かに囁いた。

「蒼炎、貴方は私達を守るための盾よ……さぁ目を閉じて。大丈夫、痛いのは最初だけだから……これは、おまじないよ」

 そう言われるがまま目を閉じた後、全身に強い痛みが伴った。何をされたのかは、よくわからない。魔法だったのだろうか。
 確かなことはその痛みがあったことだけで、他には何も……。



 どうして今、そんなことを思い出したのか。
 違う、今考えることは、そうではなくて……自分がすべきことは、組織を守る事であって ──。

 そうだ。守らないと。何が何でも。

 もしものための、少年の覚悟はすでに決まっていた。



「何をしている!?」
 突然牢屋に響いた声。それはここにやって来たアルゼフィートのものだった。なぜ大声を上げたのかと言えば、少年が自害を目論んでいたからだ。
 ここで死なれては困る。それ以前に、アルゼフィートはこの少年を死なせたくないという思いが強かった。
 慌てて檻を開けるなり、アルゼフィートはポケットから布きれを取り出すと手早く口輪を作り少年の口へ押し当てた。舌を噛み切ろうとしていたために、じんわりと赤い血が滲む。けれど大事には至らなかった。
 その間、少年は殺気を帯びた冷たい視線を向けていた。この身が自由であればすぐにでもお前を殺してやるのに、そんなことを訴えるかのようだった。
「ふむ、相当躾が効いているようじゃな」
 隣にいたローゼンスターは平然としたまま、少年の顔を覗き見た。予め状況は聞いていたが、確かに子供とは思えない雰囲気を持ち合わせている。拘束されているため大人しくしているようだが。
 とりあえず検査を開始するため、ローゼンスターはその場で屈んだ。
 そっと少年の頭に片手を掲げて、静かに集中する。少年は噛み付くように睨んできたが、手足の枷とアルゼフィートが抑えていることもあり動けない状態だ。
 見た目には何も変化はない。しばらくするとローゼンスターは何かを察知したらしく、立ちあがった。
「どうなんだ?」
 アルゼフィートが尋ねる。すると、ローゼンスターは苦い表情を浮かべて呟いた。
「どうやら強い暗示が掛けられているようじゃ。しかもこれは……」
「どうした…? 解除はできないのか?」
「うむ……これは普通の暗示とは違うのう…」
 ローゼンスターは考え込むようにして、もう一度少年に片手を掲げた。少年自身は魔力無しなので、掛けられている付加魔力は手に取るように感じられる。しかし、どうも特殊な色が強い。あらゆる魔法を知りつくすローゼンスターも答えに迷った。
 魔剣士であるアルゼフィートも多少の知識はあるものの、専門的な魔法のことまでは詳しくわからない。首を傾げながら言葉を返す。
「普通と違う、とは?」
「この暗示の魔力は特殊過ぎる。あえて言葉にするなら、人のものではないのじゃ」
「人のものではない…?」
「通常魔法は己の魔力を糧に行使される。時には武器や装飾類の魔力で補うこともあるが、それでも大抵は魔法を使った本人独特の魔力が残るものなんじゃ。だが、この子に掛けられた魔力は人独特の癖が無い」
「つまり……物の魔力だけで掛けられたものだっていうのか」
「そういうことじゃ。己の痕跡を残さない……暗示を掛けた人物は、相当な魔法技術を持っているとしか言いようがないのう」
 どうやらローゼンスターにとって例外的な状況らしい。返ってくる答えの予想は付くが、アルゼフィートは念のため確認した。
「この暗示を解除することは?」
「暗示を掛けた本人しか出来ない。ワシらが無理に解除しようとすれば、この子に何かしら影響が出てしまう」
「そうか……」
 アルゼフィートは小さく肩を落とした。
 道は開けると信じていたのだが、どうやら結果は振り出しのようだ。わかったことといえば、組織は何があっても情報を漏らさないよう徹底的な対策を行っているということだけ。どこまでも手強い相手なのだと実感せざるを得ない。
 要するに、この少年は使い捨ての駒なのだ。まだ子供だというのに、組織による非情な扱い方にアルゼフィートは彼らの残酷さを覚えた。
 行き詰った事態に沈黙する中、ローゼンスターは口を開いた。
「一つだけ暗示を解く方法はあるぞ? ただし、それは可能性でしかないものだが」
「本当か! それはどんな方法なんだ?」
 思いがけない言葉。アルゼフィートの表情は希望を見つけたように明るくなり、答えを迫る。
「掛けられた本人の強い意志があれば、解けるかもしれんのう」
「本人の強い意志、ということは……」
 二人の視線は、未だ敵意を剥き出す少年に向けられた。当然馴れ合おうとする気はないことは見た通りだ。
「うむ、この子が自分から解放されたいと思わなければならない」
「それはまた……難しいことだな」
 次々と派生する新たな問題。
 しかし、アルゼフィートの顔にはなぜか、小さな笑みが浮かんでいた。


    *


 ── しつこい男。
 虚ろな表情で、少年はそんなことを思う。
 木製テーブルの向かい側に座っているのは自分を捕らえた青年、アルゼフィートだった。黒髪に紫色の瞳を持つ彼はやんわりと笑顔を浮かべたまま、さっきから飽きもせずに自分へ話しかけてくる。
「なぁ、名前くらい教えてくれないかな? 君の呼び名に困るんだ」
「………」
 だったら勝手に名前を付ければいい。無論、名付けられたところで答える気はないが。
 何も答えないまま、少年は蒼い瞳を細めて外を向く。
 視線の先には大きな窓を介して多くの人々が行き交う大通りが見えていた。街の景色を見るのは久しぶりで、何もない城の牢屋にいるよりは幾分マシなのだろう。
 それでも早く解放されたいと、少年は無言のまま一人考えていた。
 ここは城下街のレストランだった。時刻は昼を指しており、店内は昼食をとる他の客で賑わっている。行き交う人混みや騒がしい音は少年にとって不快であり、すぐにでも別の場所へ行きたかった。
 けれども自ら他の場所へ行くことは叶わず、今はただ、目の前にいる黒髪の青年へ従うことしか術がない。
 ちらっと自分の左手首を見れば、憎らしい腕輪がその存在感を示している。これと同じものが右足首にも付けられており、この枷があるせいで少年は自由にはなれなかった。
 少年が檻の外へ連れ出されたのは、つい朝方の事である。



 城で行われていた取り調べは、少年に予期せぬ暗示が掛かっていることがはっきりわかったため、数日前より中止されていた。検査に立ち会ったアルゼフィートが騎士長・白雪へ直接話を取り付けており、暗示があるのなら何をされようと口を割ることはないと判断されたからだ。
 そして今朝、檻に囚われている少年の元を訪れたアルゼフィートは、今後の対応を彼に告げた。
「安心していいよ、君の取り調べはもう行われないことが正式に決定した。君を捕える理由も薄れた。今から君は、俺と一緒に来てもらうからね」
 そう言ってアルゼフィートは檻の扉を開錠し、手荷物をもって中へと入ってきた。
 少年に掛けられていた枷は一度外され、左手と右足にだけ新たな枷輪が掛け直される。一見すると普通の腕輪のように見える。
 今まで着古していた服はアルゼフィートが用意した新しい服へと着替えさせられた。着慣れない服装に違和感を覚えながらも、少年は仕方なくライトブルーの長袖服とグレーの長ズボン、ブーツを着用することになった。少年の蒼い髪と遜色ない色合いに「良かった、君に似合っているよ。サイズも丁度いいね」とアルゼフィートは満足そうだった。

 ようやく自由に動ける。城の外へ連れ出されることを知った少年が取る行動は、最初から決まっていた。
 逃げる、その一点だ。

 城の敷地内で、少年は先導するアルゼフィートの後を大人しく付いて歩いたが、城門を出た途端、一目散に街方面へと駆け出した。アルゼフィートは「あ、離れたらダメだよ…!」と声を上げて、自分の隣を瞬時にすり抜けた少年の背中を目で追った。
 後ろから呼び止めようとする青年の声が聞こえたが、構うものか。少年は振り返らずに走り続ける。このまま姿を眩ませて、逃げるのだ。
 ところが……。

 バチバチバチッ…!!
「っ…!?」

 突然凄まじい電撃が全身を駆け巡り、少年の足は止まざるを得ない。枷輪が掛けられている左手と右足に鋭い痛みが走り、動かすことができなくなる。痛みに耐えかねて思わず膝を付いた少年は、電撃による痺れが全身へ伝うのを感じて痛い気な表情を浮かべた。
「だから言ったのに。俺から離れるなと言ったはずだよ。その意味がわかったかい?」
 少年の元へ悠然と歩いてきたアルゼフィートはその場で屈みこむと、電撃を発生させている二つの枷輪にそっと自分の手をかざす。するとそれはようやく鎮まり、少年は自分の身体を巡っていた痺れが徐々に引いていくことを感じた。
「痛かったかい? 少し効果が強すぎたかな……いやでも、今の君を見る限りは、この程度が丁度いいね」
 アルゼフィートは少年に掛けた枷輪へ魔力を伝えながら呟くと、歯を噛み締めながら不服そうに自分を睨み上げる蒼い視線に気が付いて、言葉を返した。
「悪いけど、まだ君を自由に解放することは出来ないんだ。そういう条件で、君を外へ連れ出す許可を貰ったからね」
「………」
「でも、俺のそばにいてくれれば、ある程度の自由は与えられる。今から行く所があるから付いておいで。大丈夫、悪いようにはしないよ」
 そう言うと彼は、にこりと優しく微笑んだ。



 今朝のその一件で、少年はアルゼフィートから離れることを止めた。枷輪に仕掛けられた魔法制御は逃亡防止のためのものだ。その条件は複数あるようだが、ひとつは彼から一定距離を離れることで発動され、強い電撃効果となって現れる。魔法による痛みと痺れは子供の身体、ましてや魔力無しの少年には強い刺激として作用するため、もう二度と体感したくないと思わせるものだった。
 少年は年齢の割には頭が良い方で、一度経験した失敗を繰り返そうとはしない。それは組織で培われた教訓でもあった。
 ここは大人しく従う方が賢明だ。

 レストランに入ってからというもの、アルゼフィートは躊躇うことなく少年へ話しかけてきた。しかし少年は、何を聞かれても言葉一つ返すつもりがない。それでもアルゼフィートは嫌な顔ひとつ浮かべることはなく、どうしたら少年が応えてくれるだろうかと、この時間を楽しんでいるようでもあった。
「なぜ君は名前を明かさないんだ? 都合が悪いのは仕方ないけれど…ずっと”君”だとか”少年”と呼び続けるわけにもいかないよ」
「………」
 アルゼフィートの問いかけに、少年の蒼い瞳は時折紫色の瞳を捉えるのだが、すぐに視線は逸らされた。
 少年に名前がないわけではない。組織で付けれらたコードネーム≪蒼炎の狼≫とは別の、本当の名前があった。組織に拾われてから一度も本名で呼ばれたことはなかったが、忘れてはいない。
 けれど、それを素直に教えることには抵抗があり、少年は頑なに口を閉ざした。
 名前に関する話は進展が見られない、そう踏んだアルゼフィートは、テーブルに置いてあるメニュー表を少年の方へ差し出しながら次なる話題を振ってきた。
「俺の方で注文したけれど、もし他に食べたいものがあれば頼んでいいからね」
 差し出されたメニュー表に、少年は一応視線を向けるものの、ただ見ているだけで留まる。
 するとそこへ「お待たせいたしました!」と声を上げながら店員がやってきて、先に注文していた料理をテーブルへ運んできた。料理を運び終えて立ち去る店員を見送ってから、アルゼフィートは早速自分の頼んだ料理を口にして食事を始めた。
「ここの店の料理はどれも美味しいから、遠慮なく食べるといいよ」
 テーブルに並べられた料理へ目を向けると、野菜サラダ、フリッジミートソース、薄切りステーキ、シーフードフライが並び、食欲を誘う匂いを漂わせた。今まで淡白な囚人食を与えられていた少年は、その香りと彩りある料理を目の前にして自分が空腹であることに気が付いた。置かれていたフォークを手に取るものの、すぐには料理へ伸ばさずにじっと眺める。食べるか否か、悩んでいるようだ。少年はちらりとアルゼフィートの顔色を伺うが、彼は自分のペースで食事を続けるだけだった。
 何も言われなかったことと食への欲求には逆らえなかったのか、少年は迷った末、一番手元に近かったフライにフォークを刺し、ようやくそれを一口食べた。
 ── おいしい…。
 顔にはあまり出さないが、素直に味の良さを認める。料理の旨味を覚えた少年は少しずつ目の前の品へと手を伸ばし、選り好みせずに食べ始めた。
 静かに様子を見ていたアルゼフィートは穏やかな表情を浮かべて、内心良かったと安心していた。



 少年には暗示が掛けられている。
 ひとつだけ確証があるのは、組織の情報は口外してはならないという点だった。

 尋問の様子をすべて見ていたアルゼフィートはずっと考えていた。
 確かに、組織・レンヴィットの事に関しては強い暗示が掛けられているのだろう。その問いかけに対する少年の意思は異常なほど固いことが伺えた。

 けれど、それ以外はどうなのだろうか?

 例えば少年自身のことだ。名前は聞き出せなかったが、目の前で食欲に負けている様を見るとやはり子供なのだろう。少年自身が持つ意思表示には、暗示の影響がないようにも思えた。戦闘技量に関しては子供離れしていて危険であるけれど、普段の行動には子供の幼さがある。

「この子が自分から解放されたいと思わなければならない」

 暗示を解く方法の一つとしてローゼンスターが口にした言葉が、アルゼフィートの頭の中に強く残っていた。これが先へ進むための可能性なのではないのだろうか。
 少年の意思を変えることができたなら、もしかしたら暗示が解かれて──。

 特務隊としての任務を全うするためには、少年の暗示を解かねば情報が得られない。組織を見つけることが最優先すべきことである。
 しかし、アルゼフィートはその責務と考えに迷いがあった。自分の目的をよく思案せねば。
 捕らえた少年を見ていると、何かが違うような気がしていた。


『わたしは、悪魔とたたかうの!』


 唐突に、幼い妹の声がアルゼフィートの脳裏に思い浮かぶ。
 アルゼフィートには、年の離れた妹がいた。自分と同じ黒髪と紫色の瞳を持つただ一人の家族である。
 妹は目の前にいる少年と同じくらい年頃で、紫色の瞳の奥に暗い灯を抱えていた。2年程前、悪魔の襲撃によって両親と生まれ育った故郷を奪われたせいだ。
 その時、アルゼフィートは故郷にいなかった。騎士志願手続きのため数日前より出掛けていたからだった。丁度その日が帰ってくる日であり、遠くから故郷が望めた時、紅く染まっていることに気が付いた。
 急いで故郷に戻ったが、すでに街は炎と黒煙に包まれており、絶望を抱いた。家族を探すために決死の想いで炎の中へ飛び込んだアルゼフィートは、辛うじて妹だけを助け出すことが出来たのだ。

 それ以来、妹は幼い年齢には沿わないことを口にするようになった。「わたしも魔法をおぼえて、悪魔をたおすの」と。
 暗い灯は静かに憎しみだけを膨らませ、無邪気だった妹の笑顔を奪ってしまった。
 本当は、明るくて可愛い妹を見たいのに、いつしかそれは遠い思い出になってしまっていた。

 姿形は違うのに、どうしてなのか今、少年と妹の影が重なる。なぜ…?
 蒼い瞳に闇を灯す少年。紫の瞳に憎しみを募らせてしまった妹。

 ── 少年を、二度と組織に戻してはいけない。

 重なる影から、そんなことをアルゼフィートは感じ取っていた。
 少年にも妹にも、これからを生きる子供たちにはきっと、明るい未来があるはずだ。自分が見たいのは憎しみや悲しみを募らせる暗い感情ではなく、喜びや希望に満ちた笑顔だった。
 彼らの未来のために、自分は世界を守りたいと思った。

 ── この少年を変えてみよう。心を開いたならきっと、新しい可能性がある。

 アルゼフィートは人知れず、強い決意を胸に抱いていた。


    *


「そうか。わかった」
 部下の密偵員から得た情報に男は頷いた。黒装束を纏う組織上官 ── エラハドだった。深緑色の髪、漆黒の瞳、額にはバンダナが撒かれており、口元は常に包帯で隠れている。彼は己の素性を、普段見せることはない。
 エラハドはアジトへ戻るとすぐに、リーダー・ジークフレアの元へと向かう。
 組織メンバーが集まる広間には3人掛けソファが置いてあり、その中央でジークが煙草を吸いながら座っていた。大きなソファを一人で占拠することは彼の特権でもあり、アジト内で見かけるいつもの風景でもあった。
「ジーク」
「よぉ…戻ったか。今夜の予定は後で話す」
「違う、仕事の話しではない」
「じゃあ何だ?」
「蒼炎のことだ」
 蒼炎、エラハドがその名を口にした途端、ジークの琥珀色の瞳は鋭くなった。少なからず気分を害したのは間違いない。
 彼は煙草を口に含み、煙を吐きながら言葉を返した。
「あの日から、何週経ったんだ?」
「今日で三週だ。監視させた部下の話では、最近城の外へ連れ出されているらしい」
「暗示は効いているんだろ?」
「ああ、そのようだ。国が俺達の情報を得ている様子はない。蒼炎は口を閉ざしている」
「ならば問題無い。アイツはもう…捨て置け」
「いいのか?連れ戻さなくて。蒼炎の戦闘技能は群を抜いている」
「そんなことはわかっている。アイツは使える、優秀な刃さ。だが、近くにいるんだろ…?エラハド、お前を負かした特務隊の隊長さんがよぉ」
 ジークは皮肉めいた様子でエラハドを見上げる。琥珀の瞳はすべてを見透かすように、絶対的な視線で漆黒の瞳を射貫いていた。
 エラハドはジークが持つ冷酷さを知っており、彼に睨まれたところで何かを感じるわけでもないのだが、いつかの自分の非を突然返されたものだから、少しだけ躊躇うように言葉を返す。
「それは…否定しない。あの魔剣士は常に蒼炎と同行している。まだ俺達のことを探っているのだろう。正直な話、奴には関わりたくない」
「くくっ、本当に正直だな。お前の顔に書いてあるぜ? 戦う気も無ぇってな。確かに相手が魔剣士じゃあ、な……」
 エラハドが返す誠実さにジークは笑いながら応えた。彼は別にエラハドを責めているわけではなく、少し遊んでやろうとしただけだった。
「もう終わりだ、放っておけ」
 ジークが話を切り上げたのでエラハドは「そうか」と頷くしかなかった。それを見てジークは再び煙草を吸い始める。
 次に煙を吐いた時、彼はしばらく考え込んでおり、珍しくも慎重な顔つきでひとり呟いていた。
「下手に足が付かれたら困る……その時が来たら、さっさと処分した方がいいのかもな」

◇感想などありましたら下記フォームからどうぞ

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字

expand_less