Other Side Story 兄と親友
見えない光3
「……?」
── ここはどこだ。
うっすらと開けた視界。
その先に広がるのは知らない場所だった。
冷えた床の感触から起きあがろうとして、しかし、自分が思うように動けないことに気付く。
見ると、両腕は後ろへ回されており手枷が掛けられていた。片足は鎖に繋がれている。どうにか身体を起こして振り解こうとするが、頑丈な拘束具を断ち切ることは不可能だった。
「起きたかい?」
「!?」
突然掛けられた男の声。
身体がビクリと反応し、自由の利かない手元が無意識の内に武器を探す。
視線を巡らせた先の、格子越しには一人の青年が立っていた。
黒髪に紫の瞳。
覚えのある色に、蒼い髪の少年 ── ≪蒼炎の狼≫は酷く形相を強ばらせた。
その青年は青磁色の騎士制服を着用し、腕章や胸元にバッジがあることから城の者であることが伺えた。
「………」
「状況はまだわかっていないみたいだな」
無言であることを勝手にそう解釈し、青年は穏やかな笑みを浮かべる。
「ここはエンデバーグ城内の牢だよ。君は今、捕らえられている身だ」
青年は少年の蒼い目線へ合わせるように屈むと、昨夜あった事の経緯を話し始めた。
*
一閃を交えた少年はすぐに実力の違いを感じ取っていた。相手の男はかなり強い。
だからこそ組織上官のエラハドは「数分時間を稼げ」と言ったのだろう。普段通りであれば「敵を足止めしろ」と言うだけで、「数分」など時間を指定することはない。二人掛かりで迎撃することは可能だったが、どこかで増援が加わるかもしれない。
任務を終わらせるためには、いつまでも都心部に留まるわけにはいかなかった。
基本は暗躍。
万が一見つかったときは、適度に追っ手を欺いて即刻撤退する。
それが組織の任務における規則だった。
少年は持ち前の運動神経により、巧みな剣戟を放つ。左には剣を、右には短刀を握りしめていた。
相手の青年は子供の素早い動きに翻弄されながらも、向けられる刃を弾き返した。
少年の攻撃威力は子供故に強くはない。だが、武器を扱う戦闘技量や移動力はとても子供が持つべき能力ではなかった。人並みをとっくに超えている。
フードの中から垣間覗く蒼い瞳には相手への敵対心が現れており、子供だからといって油断は禁物だった。
人気のない公園は、冷たい夜の空気に覆われていた。
辺りはしんと静まり返っているが、その一区画で打ち合う金属音が鳴り響く。
剣を交わしながら少年が秘める技量を即座に理解した青年は、紅い剣を大きく振り、横へ薙いだ。
少年は青年の攻撃に一度刃を当てて勢いのままジャンプする。
上空へ飛んだ身体は青年へ向かって宙返りすると、左手の剣を勢いのまま振り下ろした。
体重の掛かった一刃は相手を断罪しようと強い殺意が込められていた。
キィィンっ!
青年は正面から少年の剣を受け止めるが、渾身の一刀に思わず押されてしまいそうになる。少し体制を崩しながら瞬時に言葉を呟いた。
それは魔法の詠唱。青年の紅い剣から炎が燃え上がり、対峙する少年へ襲いかかった。
少年は機敏な反応で身体を逸らし、ひらりと舞って炎を回避する。
そのとき、青年は見逃しはしなかった。
炎を放ったほんの一瞬、それは微かに揺れて……。
── 今、殺気が乱れた……?
魔法を警戒しながら着地した少年は、青年との間合いを一気に空けた。そして、攻撃をやめる。
密かに、時のカウントが終わりを告げていた。
少年が取った間合いは距離にして数メートル。闇の中へと後退する時間だ……もう戻らないと。
青年はふと、少年の戦意が薄れたことを感じ取っていた。いったいどうしたというのか。
身構えながら考えた時、少年が突然剣を下ろし、踵を返したことに気が付いてすぐに後を追う。
だが、何かを決意している少年の移動速度は早い。時折青年へ冷たい視線を向けながらも、後方へ全力で駆け出した。少年が下がろうとする公園の敷地外には、暗がりに沈む鬱蒼とした木々が待ち構えていた。
少年の意図に気付いた青年の脳裏に警鐘が鳴り響く。
── 逃げるつもりか!? 組織の囮役…!!
このまま闇の中へ行かれては少年を見失ってしまうだろう。黒のフードマントを羽織っているから余計にだ。
今ここで、あの子供を逃がすわけにはいかない!
少年の退路を断つために、青年はすぐさま追尾魔法を解き放っていた。
ごうっ!
闇を思わせる黒い炎は、まるで蛇のように地面を張いながら少年へ迫り寄ると、その足もとをぐるりと囲んだ。
「…!!」
少年は自分の側で燃え上がる炎に躊躇した。本来なら回避しなければならない。目の前の炎は、少年の身体能力なら容易く飛び越えられるはずだった。
それなのになぜか、足が思うように動かない。一度怖いと感じてしまったからか。その間に、ばちばちと燃え上がる黒い炎は勢いを増して壁のように立ち阻んだ。
早く逃げないと。尻尾を捕まれては駄目だ。
そんなことを思っていたが、どうしてか身体は言うことをきいてくれない。
── 今のうちに!
炎の中で戸惑う少年に対し、青年の決断は早かった。あっという間に少年の元へ追いつくと黒炎を剣で振り払い、無防備となっている首筋へ昏倒の一撃を加える。
「うっ……」
炎に気を取られていたせいで少年の反応は遅れた。与えられた衝撃で意識が遠くなり、全身の力が抜け落ちる。
フードの中から蒼い髪が流れ落ち、少年の身体は地面へ倒れかかった。
しかし、その小柄な身体は側にいた青年によって抱き留められる。
視界が閉ざされる直前、少年は青年の声を聞いたような気がしたが、薄れる意識の中でははっきりと聞き取ることはできなかった。
*
こうして、今に至る。
どうやら気絶させられた自分は青年に捕らえられ、檻の中へ押し込まれたようだ。着ている騎士制服と、エンデバーグ城内と言っていたことから、青年は国所属の追跡者だったのだろう。組織とは敵対する位置にある。
あの時、何が何でも逃げるべきだった。少年は内心そんなことを思った。今となってはもう遅いのだが。
「まったく……組織に君のような子供がいるとはね」
青年は笑みを浮かべたまま優しい声色で話しかけてくる。けれど少年は、一時も感情を表には出さない。
それでも青年は構うことなく言葉を続けた。
「先に言っておくけれど、逃げようとしても無駄だよ。君には聞きたいことがある……そうだね、まずは名前から教えてもらおうか?」
「………」
「ああ、そうか。俺はアルゼ。アルゼフィート・ルオシェイド。見ての通り、エンデバーグ城の騎士だよ」
別に、先に名乗れと言ったわけではない。少年は無言を突き通す。声に出すのなら「お前に話すことは何もない」といったところだろう。会話の内容からだいたいの察しは付いていたのだ。相手が城の騎士なら尚のこと。
それに気づいたのか、青年 ── アルゼフィートは肩をすくめた。
「黙秘かい? でも、そういうわけにはいかないよ。今から君は尋問される立場にあるんだからね」
そう言うとアルゼフィートは腰のベルトに掛けてあった鍵束を取り出して、檻の扉を開錠し始めた。
ガチャガチャ…
静かな場所で金属が触れ合う音はやけに響く。少年はその様子をじっと睨み続けていた。
カチャン
鍵が開く。アルゼフィートが扉に手を掛けて檻の中へ入ってきた ── その瞬間。
少年は狙っていたかのように体を跳ね上げた。拘束されているものの、全身を使えば案外動けるものだ。このまま体当たりして鍵を奪い、ここから逃げ出そう。
しかし、そう思った通りにはいかない。少年の渾身の体当たりはアルゼフィートにあっさりと受け止められてしまった。
それもそうだ。相手は騎士を務める年上の大人であり、少年はまだ子供。年齢から成る体格差、力の差は大きい。
「言ったはずだよ? 逃げられないってね。それに……あまり俺から離れると、君が痛い目を見ることになる」
淡々と言葉を紡ぐアルゼフィートは、受け支えた少年の手枷を指さして言った。
「その手枷はね、俺の魔力で制御されているんだ。もちろん解除できるのも俺だけ。特定の条件を満たした場合、例えば俺から一定距離を離れると拘束者に魔法ダメージを与える仕組みになっていて……“魔力無し”の君なら、言っていることがわかるだろ?」
魔力無し。その言葉に、少年の表情はわずかに動く。蒼い瞳が少しだけ細められ、アルゼフィートを睨んだ。
この青年は気付いているらしい。少年が持っている最大の弱点を。
魔力無しとは文字通り、魔力を持たない人間のことをいう。つまりは魔法が使えない。その上、魔法に弱い体質にある。魔力無しは魔法に対抗する手段が無いのだ。
状況を理解したのか、していないのか。少年は黙り込んだままアルゼフィートを睨み続けていた。
非難の蒼い眼差しを受けながら、アルゼフィートはやれやれといった様子で続ける。
「まぁ抵抗しないことが一番だよ。俺だって、君をいじめたいわけじゃないからね」
言いながら、彼は少年の片足に繋がれた鎖を外し始めた。
「これから取調室に来てもらうよ。変な気は起こさないようにな」
白雪は特務隊の報告に頭を悩ませていた。なぜなら……。
「少年はまだ黙秘を続けているというのか…?」
大きくため息を付き、目の前で姿勢を正して待機する特務隊隊長・アルゼフィートを見る。白雪ほどではないが、彼の表情にも困惑したものがあった。
「ええ、これで一週間。何をされようと話そうとはしません。かなり強制力のある口止めをされている……そうとしか考えられないです」
唯一掴んだ組織への手掛かり。これでようやく先へ進めると思っていたのだが、実際は難しい事態に陥っていた。
アルゼフィートが捕らえた組織の少年は、未だ名前すら明かさない。
取調尋問で得られた情報は何ひとつ無かった。苛立ちを募らせた尋問員は無理矢理にでも聞き出してやろうと強い脅しを仕掛けたり、時には暴力さえ振るったこともある。
それでも少年は呻き声すら零さない。蒼い瞳は闇に沈んだまま、何も語ろうとはしなかった。
そのため尋問員の行動は徐々にエスカレートし、ついには剣を抜いてしまう。尋問補佐として立ち会っていたアルゼフィートもさすがにこのままではいけないと思い、取り調べを中断させることに至った。
多少の体罰は仕方ない。相手が子供なら簡単に吐くだろう。しかし、結果は見事に裏切られてしまった。おそらく少年は、死を直前にしても態度を変えることはない。
経過を見ていたアルゼフィートには感じるものがあった。この少年は、本来人が生まれながらにして持つもの ── 感情が欠落しているのだと。見たところ、まだ9歳か10歳くらいだ。普通の子供であれば無邪気に遊び回る年齢だろう。自分にも同じ年頃の妹がいるため、比べてみると感情有無の違いがよく分かる。
アルゼフィートはしばし考え、言葉を続ける。
「騎士長、一度少年を検査してはどうですか? 俺が見たところ彼は魔力無しです。もしかしたら強い暗示や封術が掛けられているのかもしれません」
一理ある提案に白雪は頷く。
「そうだな、魔力無しには必要以上に魔法が浸透すると聞く。ローゼンスターなら何かわかるかもしれない」
「ではすぐに呼んで──」
「その必要はない」
アルゼフィートが部屋を出ようとした時、どこからともなく声が響いた。すると部屋の絨毯に魔方陣が浮かびあがり、光の柱を形成する。うっすらと人影が見えたかと思うと、それは光柱の中から現れた。
術者用の黒いローブを身に纏い、顔には白い口髭を伸ばしている、かなり年の行った老人である。
「さすが、早いな」
「ローゼンスター、いつの間に……」
白雪が感心を示す中、アルゼフィートは苦笑を浮かべながら老人 ── ローゼンスターを見る。ローゼンスターは何食わぬ顔で、カカっと笑った。
「たまたま通りすがっただけじゃ。何やらワシの名前が挙がったもんだから、もしやと思ってのう」
「随分な地獄耳だ。もう話は分かっているのだろう?」
「大体はな。何、黙秘の少年に術が掛かっているのか調べれば良いのじゃろ? 簡単なことじゃ」
「もし術が掛かっているとして、それを解くことは出来るのか?」
アルゼフィートが尋ねると、ローゼンスターは神妙な面持ちで答える。
「術によるのう。種類によっては掛けた本人、あるいは掛けられた本人に依存することがある」
「そうなのか」
「まぁ、これから調べればわかることじゃ」
「よし、話は決まったな。ではアルゼフィート、ローゼンスター、後は頼んだぞ」
白雪が言うと、二人は敬礼して騎士長室を出て行った。
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