Other Side Story 兄と親友

見えない光2

 何をするにも、悪行を為す者は闇の一刻を好んだ。
 たいていの人は皆、夢に思考を預け、現実を妨げる者はほとんどいないからだ。
 最も都合がいいのは姿を隠すことが出来る点である。
 例え警備兵に見つかったとしても、闇に紛れ込めば造作もないことだった。

 しかし、それは相手の能力に依存する。
 時にはその場所にも依存するということを忘れてはならない。



 後になって思うことは「運が悪かった」。
 でなければ完璧に成し得た任務だっただろう。
 数日経っても少年が戻ってこない事実は、リーダーを不機嫌にさせる要因として十分すぎる事だった。
 そのせいで、組織のアジト内はいつも以上に殺伐としていた。
 何とか緩和せねばと思った黒装束の男は、己の非を認めて告げる。
「すまないジーク。俺のミスだ……」
「お前が謝る事じゃねぇよ。相手は特務隊だったんだ、爪が甘かったのはもう仕方ない。問題なのは、蒼炎が奴らに奪われた可能性……」
 少年に付けられたコードネームは≪蒼炎の狼≫。子供の身軽さ故の素早い動きは一匹狼を思わせ、揺れ動く蒼い髪が孤高に駆け抜く蒼い炎のように見える。
 まだ幼い少年へあらゆる戦術・暗殺術・体術を叩き入れた際、最も印象に残る姿だった。

 その少年は今、ここにはいない。
 いない代わりに、他のメンバーは全員集っている。

 この現実が組織として当然であるはずなのに、ジークにとっては酷く滑稽に思えた。
 たかが子供一人。けれども、少年が秘めし才能は他にはない無二のもの。
 だからこそ手元に置いておきたかった。失って初めて気付いたことだ。
 言葉のない怒気は無意識に溢れ出て、何かきっかけがあれば爆発してしまいそうだった。
 彼の側にいたクリスは静かに口を開く。
「もし捕まっていたとしても、私達の事が向こうに知れ渡ることはないわ。あの子は絶対に口を割らないから……」
「それはわかっている。……だが、蒼炎の欠員は大きい。しばらく体勢を立て直さなければならないな。エラハド、あとはお前に任せる」
「ああ……わかった」
 黒装束の男 ── エラハドが頷くと、ジークはその場を去ってしまった。相当頭にきているようで誰も彼の怒りを静めることは出来ず、気まずい雰囲気だけが残る。
 唯一、クリスだけがジークの後を追いかけていったが。
 それを見届けて、エラハドは一人呟いた。
「まさか、あれほど固執していたとはな……」

 メンバーが集う広間を出たジークは自分の部屋に戻っていた。
 どれほど苛立ちを感じていたのだろうか。壁際へ立ち尽くすと、不意に片腕の拳を壁に向かって思い切り叩き込んだ。それは石造りを砕いてしまうほどで、丁度場面に居合わせたクリスは身体を震わせた。
「ジーク…」
「クリス、今は話しかけるな」
 酷く冷たい声。殺気が混じっているともいえる声色にクリスは恐怖を覚える。
 しかし彼女は放っておくことはできなくて、果敢にも言葉を続けた。
「じゃあ、隣りにいてもいい……?」
「………」
 俯いていたジークは一度だけクリスを見遣る。
 研ぎ澄んだ琥珀の瞳は獲物を狙う捕食者の気迫を放っていた。それを真に受けた茜色の瞳は、捕らえられた子兎のように竦んでしまう。
 すごく怖い。
 そんなことを思ってもクリスは決して逃げたいとは思わなかった。寧ろもっと彼に近付きたい。その想いだけが今、彼女をここに縛り付けている。
 やがてそれが届いたのだろうか。ジークは部屋のソファへ腰掛けて、下を向く。
「……好きにしろ」
 しばらく沈黙していた彼は、静かに声を零した。



 事は数日前。
 組織にとって不運の到来。相手にとっては絶好の機会。

 それは唐突に訪れたものだった。


    *


 影は暗闇の中を駆け抜ける。
 狭い路地。
 突き当たった曲がり角。
 屋敷の庭先。
 壁づたい。
 次々と死角に移っては追っ手を翻弄させ、姿を眩ませた。街を抜ければこちらの勝利も同然。

 しかし、予定調和は思いもよらぬところで躓く。

 走り続けていた組織の男 ── エラハドは突然足を止めた。それに習って彼の後に続いていた部下も動きを止め、辺りを見渡す。
 ここは人気のない遊歩道。周りには並木が立ち、石造りの歩道はよく整備が行き届いていた。
 本当ならこのままスラムへと突っ走るつもりだったのだが、どうやら今宵の羽虫は諦めが悪いらしい。
 エラハドは気配を探るように暫し腕組みし、瞼を伏せる。
 それから、いち、に、さん…………。

 ざっ……!

 5秒が経過した瞬間、二人の部下が左右へ散る。
 と同時に、エラハドは近くの木陰に向かって小刀を投げ飛ばした。
 月明かりを浴びる刃は標的に手向けた牽制。

 キィィン!

 投げた小刀は弾かれる。だがすでに網は掛けられた。
 宙を舞っていた部下は暗がりに紛れて一閃を振り下ろす。交差した二本の剣は甲高い音と銀閃を散らした。木陰から飛び出した相手の方は押し返そうと試みるが、視界の端に掠んだ闇が反射的に身体を後退させる。
 その刹那、部下と相手の合間に鋭い軌跡が横切った。
「くっ…!」
「……反応は良いな」
 空ぶった爪具を下ろし、エラハドは称賛を呟いた。隙を狙ったつもりだが、そう上手く油断するような相手ではないらしい。
 それを覚えエラハドは部下へ合図する。彼らは再び闇に紛れ、姿を消した。
 受け身を構えていた相手はすぐに追いかけようとする。
 しかし動いた途端、片足に鋭い激痛が走った。その痛みはじんわりと全身へ広がり痺れを伴う。
 いったい何が起きたのか。
 痛む足へ目を向けると、丁度左の太股あたりにじわりと血が滲み出ていた。
 攻撃を直接受けた覚えはない。そう考えた時、一瞬の残影が頭に浮かぶ。答えを探すのに時間は掛からなかった。
「くそっ……なんて奴だ」
 間一髪逃れたと思っていた爪刃は、空気を裂き肉を斬らせていたのだ。戦闘に長けているからこそ成せる秘技ともいうべきか。
 ともかく、これでは彼らを追跡することは不可能である。
 胸に悔しさを覚えつつ、しかし、これは予定の範囲内。
 あとは隊長に任せて、作戦が成功することを祈るばかりだった。

 追っ手を一人撒いたエラハド達は帰るべき方向を大きく外れ、遠回りをしながら街並みを駆け回る。
 こちらの意図を隠し、他を完全に捲くための工作だ。
 けれど、それは自分達の思い違いだと知らされる。

 辿り着いた場所は街外れの公園。ここを抜ければあとは闇へ帰るだけだった。
 しかし、先の進路を阻むように、一人の追跡者がいた。正確には、エラハド達が来るのを待ち伏せていたのだろう。
 黒髪に紫色の瞳を持つ青年は悠々と佇んでおり、片手に紅い剣を携えていた。
 散々後を追いかけてきた羽虫は単なる駒回しに過ぎず、彼らの本当の狙いは気付かれずに、この青年の籠へ誘き寄せることだったのだ。
 一度理解してしまうと罠に掛かった現状を腹立たしく思う。慣性という油断が生みだしたミス。小さなものでありながら、それはときに想像以上の衝撃をもたらすものだ。ここで叱咤しても仕方ないことだったが、それでも苛立ちは隠せない。
 頭に血が上りそうなのをなんとか理性で留め、一度立ち止まったエラハドは迷いを捨てた。
 両手に武器を構えると一歩を詰め寄り、目の前の敵を睨む。
 すると後に続く二人の部下は、上官の意図を理解して姿を消すべく動いた。
 それを図っていたのか、相手方は即座に一方の部下へと剣を向ける。
 しかし、エラハドも同時に刃を振るっていた。

 がぎんっ!

 交差する金属音が辺りに響き渡る。
 彼らの視線の先は、漆黒と紫。互いに譲るつもりはなかった。
「相手が俺じゃ、不服なのか…?」
「なるほど、君が仲間想いの優しいリーダーってわけかい?」
 部下を庇った殺意剥き出しのエラハドに対して、黒髪の青年はどこか楽しそうな口調で挑発をする。それに乗るつもりはないが、エラハドは無性に相手を負かしたくなった。
 今の一閃、そして余裕さながらの態度。
 永年の経験は、相手の青年がただ者ではないことを悟っていた。

 ががっ、がぎん、がぎん、がぎん!

 何度もかち合う刃は激しい閃光を撒き散らす。
 剣と爪具を使いこなすエラハドは、巧みに武器の軌道を変えながら攻撃を叩き込むが、そのすべてを相手は受け止めた。
 涼しい顔で笑みを浮かべながら、黒髪の青年は言う。
「さすがは暗躍者。最近多発している貴族殺しは、君の仕業か?」
「貴様に答える義理はない」
「だったら、俺が君に勝ったら白状してくれないかな? 君達の組織、血塗られた剣……≪レンヴィット≫の全容をっ!」

 ガッキィィーン!

「なっ……?」
 片腕の剣を弾き飛ばされ、エラハドは一瞬冷静さを失った。
 黒髪の青年はそれを見逃さない。これが機とばかりに一気に動きを速め、次々と攻撃を繰り出してきた。
 さきほどまでとは立場が逆転し、相手の猛攻が始まる。
 エラハドは片方の武器を失ったまま、防御一点となって相手の赤い刃を返すが、残る爪具ではリーチの利く剣を受け止めるのは難しい。
 青年が扱う紅き剣は不気味な光を零しており、その一刀は力強く、重かった。
 このままではまずい。
 そう思った時だった。

 ひゅんっ

 「!?」
 風を斬るような音。
 黒髪の青年は自分に矛先が向けられたと知って、僅かに体勢を崩す。
 すると、その隙を狙うかのように闇の中から小さな影が牙を見せた。
 ふわりと飛び出した、見覚えのある背格好。
 フード付きのマントから覗くのは蒼い髪と蒼い瞳。月明かりに照らされて、その色は一層深くなる。
 エラハドは好機を得たと理解し、声を零した。
「蒼炎」
「貴方を援護しろとジークに…」
「ならば数分時間を稼げ。後はいつも通りでいい」
「はい」
 頷いた少年はすぐさま相手に向かって刃を放つ。
 それを受け止めた青年は顔を顰め、目を疑った。対峙している相手が子供だと知ったからだ。
 その間にエラハドは闇へ紛れる。
 掴み掛けた標的を逃がすわけにはいかないと青年は後を追おうとするが、目の前の少年はその行く手を阻んだ。
「……まさか君も、レンヴィットなのか?」
「………」
 青年の問いかけに、少年は何も答えない。
 ただ、子供とは思えない冷たい眼差しのまま、先手をきってきた。

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