Other Side Story 兄と親友

見えない光1

 月明りが揺らめく深夜。
 冷える空気は一時の静寂を支配する。
 昼間の賑やかさは沈黙に変わり、
 活動していた生命は意識を夢に預け、
 誰もが休息のときを得る。

 その最中、闇に紛れた影は人知れず動き出していた。



 エンデバーグの王都北方にはスラム街がある。
 更に奥の方へ行くと、荒地と廃墟だけの無法地帯が広がっていた。もともとここには居住区があったらしいが、何十年か前に起きた悪魔襲来によって風化してしまった場所だという。王都敷地内のため魔物こそ棲みついてはいないが、人の気配を阻む殺伐とした環境は悪行を為す者にとって恰好の穴場といえた。
 事の実態を聞きつけた国は定期的にこの地帯を訪れて取り締まりを行っている。しかし、未だ完全に把握できずにいた。これには国とスラムの関係が深く絡んでおり、無法地帯と一般区画との間に現れた咎でもあった。
 かくして為らず者たちは、この無法地帯を拠点に勢力を広げるようになる。
 とはいえスラムの住人が皆同じというわけではない。国に対する反発心を持っていても、格差が生みだした弱者という立場はあらゆる場所で不利を招く。実際、無法地帯の彼らには上下関係があり、下方の者ほど酷い仕打ちを受けることも珍しくはなかった。
 国はそれを知ると、場所の譲渡と引き替えにスラム住人の保護という取引を持ち出したが失敗に終わった。
 永年生活してきた場所、思い出、記憶。これらを捨てることなど彼らには出来なかった。利益を優位にしようなどという相手の構想が見えていたこともある。
 人の想いや感情は、簡単に変えられるものではないのだ。

 国が押さえるべき最凶最悪の敵は、無法地帯の最奥で静かに潜んでいた。
 組織の実態は定かではない。
 一つだけはっきりしているのは、彼らは大金さえ叩き出せばあらゆる任務 ── 例えば相手を問わない人殺し ── をやり遂げるという猟兵団の一種であるということだ。

「さて、今夜も行くか…」
 密偵員の伝達を受け取った男はくぐもった声で呟く。
 逆立ったブロンドの髪。琥珀の瞳は鋭利な殺気を放ち、筋肉質な身体はかなり鍛えられていることが伺えた。
 男は一組織を束ねるリーダーだった。側には妖艶な雰囲気を漂わす美女と、全身を黒装束で覆っている細身の男。周囲には彼らを主として敬う部下達が集い、その隅の方には他と比べると明らかに小柄なメンバーが一人いた。
 ……子供である。
 フードに隠れた顔からは蒼い髪と、同じく蒼い瞳を覗かせている。
 組織の中に親がいるのかと思えばそうではなく、この子供も例に倣う組織の一員だった。まだ10歳にも満たないあどけなさがあるが、異彩を秘めた才能はすでに常識の域を超え、脅威的な戦力と化していた。
「今宵の獲物は成金貴族の首と宝。手はずは頭に入っているな?」
 リーダーの男が言うと、隣りで寄り添う美女は赤茶の巻き髪を指先で弄りながら甘い吐息とともに言葉を囁く。
「聞かなくてもわかっているんじゃなくて?」
「無論だ。だが時折わかってねぇ愚か者が混じっているからなぁ…」
 部下を一瞥した男はニヤリと口元を歪めた。肌を掠める冷たい空気に緊張が走る。絶対的な支配に逆らう者はいない。
 それを了とした男は次の言葉を紡ぐ。
蒼炎そうえん
「はい」
 呼ばれて前に出てきたのは組織唯一の子供。隙のない身のこなしで男の前に立ち、そのまま跪くと蒼い瞳を琥珀の瞳に重ねた。とても真っ直ぐで、信頼の名を通す眼差し。
 しかし、その顔に感情の起伏は一切見られなかった。
「フフ、この子は将来美男子になるに違いないわ」
 女が興味深そうに子供の顔を覗き込む。その側で黒装束の男は皮肉を零した。
「貴様、いよいよ子供にまで手を出すつもりか?」
「あら?私を節操無しみたいに言わないでちょうだい。まぁ…時が経てば甘い関係になれるかもしれないけれど」
「呆れるな。貴様と蒼炎に何歳格差があると思っているんだか……」
「何よ、貴方には冗談が通じないのね。どうにかしてよジーク?」
 黒装束の男とのやり取りから逃げるように女はリーダーの男 ── ジークに縋る。
 しかし彼は彼女らのやり取りを軽く仰ぎ、言葉を待っている子供に告げた。
「今回のトリはお前だ。必ず任務を果たせ。わかったな?」
「はい」
 蒼炎と呼ばれた子供は、リーダーの命令にしっかりと頷いた。



 街並みは静寂に包まれたまま時を過ごす。
 国の一等地である上層区画は敷地の高低差があり、一般区画領域を見下ろすことができた。昼間はごちゃごちゃとしている人通り、夜は美しい街の夜景。背後にそびえる王城を振り返らなければ、自分が国の領主になった気にさえなるほどの絶景を一望できる。ここに居を構えるのはたいがい貴族であり、誰もが優越感に浸っていることだろう。
 ある貴族は、毎晩夜景を眺めながら果実酒を嗜む事が日課だった。屋敷から押し出たテラスには、一人分の小さなテーブルと椅子が完備され、眼下に広がる明かりは地上を埋め尽くす星のように見える。
 今だけは、この世界を自分一人で過ごしたい。
 貴族の我が儘は強情なもので、執事とメイドには必要なものだけを用意させ、部屋から即刻追い出してしまった。それだけ貴族は屋敷から一望できる風景を気に入っていた。
 結局、それが命取りになるとは思うはずもない。

 声を掛けられたのは突然だった。
「お前が、アノバー・D・サムクローズか……?」
「誰だ!?」
 聞き慣れない声に貴族は表情を顰め、辺りを見渡した。しかし、辺りはほとんど闇に包まれていてよく見えない。夜景を楽しむため、テラスは必要外の照明灯を消してあったのだ。
 それでも声の聞こえた方を注意深く見ると、丁度手摺りのあたりにうっすらと影が浮かび上がった。
 確認するや否や、声の主は貴族の前に姿を現す。
 予想もしない相手の正体に貴族は驚いた。
「こ、子供?いったいどこから忍び込んだのだ!」
 現れたのは自分の身長よりもずっと小さい少年だった。テラスが薄暗いせいもあるが、フード付きのマントを纏っている少年の顔は伺えない。僅かな光で長めの前髪が蒼色に煌めいたことはわかったが。
 なぜ子供がここにいるのか、あまりにも不思議で疑問ばかりが浮かび上がる。そもそもこのテラスは3階にあり、そこから突き出た構造になっていた。内からならともかく、外から入り込むことは庭の木に登ったとしても不可能なのだ。相手が子供なら尚更だった。
 このまま見逃すわけにもいかず、とにかく早急に追い出すことを考え、貴族は少年に尋問しようとした。
 だが ──
「いない…?」
 ふと視線を逸らした間に少年の姿が消えていた。まさか部屋の中に入ったのだろうか。
 貴族は慌てて部屋へと向かう。
 鮮血が散ったのはその時だ。
「がっ…!?」
 突然襲いかかった衝撃。貴族は瞬く間もなくその場に倒れた。全身にまったく力が入らなくなり、密着した床から暖かい何かが流れてくる。
 それは赤い血だった。認識した途端、急に意識が遠くなる。
 どくどくと溢れ出る血液は自分のものだったのだ。原因不明の大量出血に早々と死は訪れる。
 抵抗することも許されないまま事切れる瞬間、貴族は決死の思いで視線だけを巡らせた。
 色を失いつつある瞳が最後に見たものは、血塗れの剣を握っている少年。傍らに立っていたその姿は返り血一つ浴びておらず、冷えきった蒼い瞳がフードの中から覗いていた。
 少年は貴族の絶命を無言のまま見届けると、闇の中へと静かに消え去った。



 エンデバーグで極秘に指名手配されている組織≪血塗られた剣≫。
 表だって国民に公表されていないのは不安を煽らないためと、噂にかこつけた新たな犯罪を防ぐためだ。しかし、彼らを捕らえるのは非常に困難なことで、未だ尻尾を掴めずにいた。
 彼らは殺人を犯し、他にも窃盗・詐欺・密売、あらゆる犯罪に手を染めた極悪組織。ここまでされていて尚手を拱いている理由は、彼らが痕跡を残さないせいである。特に殺人に至ってはかなり手際が良く、ほとんどの被害者は首筋を一刃されていた。時には首と身体が両断されていることもある。組織のメンバーが相当手練れの者であることを改めて認識させられる場面だった。
 城の議会では早急に組織を拘束するため、日々論争が繰り広げられた。組織の暗躍により、いずれ王族暗殺を持ち掛ける者が出てくる可能性があるからだ。その不安は常に気持ちを急かし、決して杞憂で済まされる問題ではない。
 とくに上層部の者になるほど組織の存在は恐怖だった。最も恐れているのは知らぬ内に買った恨みが自分に降り掛かること。自分が買った恨みをすべて把握できる者はどこを探してもいない。そして、それがいつ依頼として組織に伝わるかもわからない。だからこそ対策を練る必要があった。
 議決から数日後、対組織捜索特務隊が結成される。構成隊員には有能なクラスの者ばかりが集められた。中でも剣術・魔法の双方に優れるという『魔剣士』は世界でも希少であり、指で数えられる人数しか存在しない。
 隊員名簿には、その内の1名が記載されていた。



 特務隊編成の知らせは組織にも届く。
 情報を耳にしたリーダーの男・ジークは顔を顰め、何やら考え込んでいた。その面持ちに女は背後からジークの首に手を回し、尋ねた。
「そんなに考えちゃって…何か問題でもあったの?」
「少しな」
「貴方が不安になるなんて珍しいわね。国の追っ手が私達に敵うはずないじゃない」
「俺だって捕まるつもりはねぇよ。だがな、問題は他の奴らが足を引っ張る可能性があるってことだ」
「どういうこと?」
 女はジークに抱きついたまま肩に顎を乗せる。
 すると、彼は女の顔を寄せるよう頬に触れ、口付けた。
「特務隊に魔剣士がいるらしい」
「魔剣士……なるほど、今までと相手の格が違うってわけね」
「ああ。といっても注意するのはそいつ一人さ。他は大したことないだろう」
「ふーん…それで?」
「念に念をだ。いつ足下をすくわれるかわからねぇ。クリス、お前に頼みがある」
「暗示かしら?」
「フフ、察しがいい女だな。……出来るか?」
「もちろんよ。でも、タダというわけにはいかないわ」
 女 ── クリスは艶やかな笑みを浮かべると、ジークに回していた腕を解いた。そして、今度は彼の隣りに座り、自ら身を寄せながら顔を見上げる。
 言葉を交わさずとも意味を察したジークは薄く笑みを浮かべ、クリスの肩に腕を回した。
「まったく、甘え上手だな」
「それって褒めてるの?」
「さぁ…どうだろうな」
 クリスを掻き抱きながらジークはどこか遠くを見るように神妙めいた表情で呟いた。
 曖昧な反応にクリスは複雑な心境を覚える。彼が心の内を見せないのはいつものことだが、自分にさえ内密にするのは気になって仕方がないのだ。とはいえ、こちらから詰め寄ってもジークは何も教えてくれないだろう。それが少しだけ寂しいとも思う。
 しかし、そんな思考を振り払うようにクリスはジークに身を預けた。
 こうして彼に甘えることは、彼女にとって至福の時でもあったから。



 赤い刀身を持つ剣。
 まるで血がまとわりついたような風貌に、誰もが少なからず恐怖を抱く代物だった。それは不気味な軌跡を残しつつ、襲いかかってきた魔物を真っ二つに斬り裂いた。瞬間、剣の刀身が仄かに光を放つ。
 脈打つような光の鼓動は、剣自体が生きているように感じられた。
 赤い剣をものの見事に扱っているのは黒髪の青年である。凛とした面持ち。何喰わぬ表情で次々と魔物を薙ぎ倒す。研ぎ澄まされた刃を自由自在に操つる様は剣神とも鬼神とも言える姿であった。
 剣と一体となって秘めたる力を引き出し、更には魔法さえ使いこなす。それが『魔剣士』と呼ばれる稀少な天才クラス。
 青年はその一人だった。

「どうやら片づいたみたいだな…」
 返り血を振り払い、動かなくなった魔物を見て青年が呟いた。それに答えたのは彼の部下である隊員達である。
「さすが隊長ですね!」
「よくこれだけの数を……僕らじゃ全然歯が立たないのに感服します」
「謙遜することはない。この少人数にあれだけの魔物が現れたら、誰でも足が竦んでしまうよ」
 そう言って青年は怪我を負っている彼らに治癒魔法を唱えた。
 怪我の程度は掠った程度だったが、いつまた魔物に襲われるかわからない。即座にこの場所を離れる必要があった。
「準備が整い次第戻ろう。これ以上の深追いは出来ない」
「せっかく追い詰めたと思ったのに…してやられましたね」
「まさか、魔物の群れへ誘導されるなんて」
「そうだな……まぁ簡単に行けば苦労はないさ。そろそろ行こう」
「はいっ」
 現時点での賢明な判断。頷いた部下達は部隊長である青年の後に続き、森を去っていった。

 後日、魔剣士の青年を筆頭とする特務隊はエンデバーグ城の騎士長室にいた。
「なるほど……やはりそう上手くは捕まらないか」
 腕組みをしながら考え込んだのは、翠の制服を着込んだ騎士、エンデバーグ王国騎士魔導隊の第一部隊長兼騎士長・白雪しらゆきである。
 国の内外問わず、安泰とは言えない状況に彼は毎日頭を悩ませていた。
 とくに今は悪魔による襲撃が日々増している。そんな中、国内でも規模は小さいものの少なからず様々な事件が起こっている現状だ。
 なんとしても、国を危機に扮する要素は排除しておきたい。
「騎士魔導隊のほとんどは国を悪魔から防衛するので手一杯だ。もちろん街の治安確保も劣ることなく警戒は徹底している」
「問題は組織の動向ですね。大金を出せば相手さえ問わない……それが王族にまで及ぶのかどうか」
「一番厄介なのは上層部の者たちだろう。彼らの裏の真偽は知らないが、早急に組織を何とかしろとの仰せだ。まったく無茶を言う…」
「仕方ありませんよ。今はそういう時勢なのですから」
 溜め息混じりにぼやく白雪に対し、青年は意を介すように答えた。
 如何なる時も冷静に物事を捉え、己がすべきことを全うする。その前向きな姿勢があるからこそ青年は特務隊に選ばれたのだろう。
 ただ単に魔剣士だから、というわけではない。
「では、我々は引き続き任務に戻ります」
「わかった。くれぐれも無理はしないように頼むぞ」
「もちろんです。その心遣い、感謝いたします」
 青年を含めた特務隊は一同に会釈し、騎士長室を後にした。

 そして数週間後、彼らは再び組織と接触するチャンスが巡ることになる。

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