First Chronicle 魔導士ルイン
9. 一時の休息Ⅲ
薪にくべられた炎はぱちぱちと音を鳴らした。
辺りには食欲をそそる香ばしい匂いが漂っている。その匂いの発生源は焚き火で炙られている獣肉だ。これはルインが戦いで仕留めた魔物でもあった。つまりは、これから魔物肉を食そうとしているわけである。本来、魔界の魔物を食料にするなんて考えられない話なのだが……ヴァーツィアから食糧を持ち込むには限度があった。とくに女であるルインが荷物を増やすとなるとそれだけで余計な負荷になるだろう。だから少しでも重荷を減らすため、食料の現地調達も使わざるを得ない。それがルインの選んだ魔王討伐の道なのだ。
それでも、果たして魔物が食べられるものなのか? 万が一、毒要素が含まれていた場合は何もかもがここで終わってしまう。身の危険を考えると、やはり賢明ではない方法だ。かといって、この先何も食べずして戦うことは不可能である。“腹が減っては戦は出来ぬ”とはよく言ったものだ。
そこで、ルインは特殊な薬品を使って魔物に含まれているだろう毒を解消していた。毒の有無を調べる検知薬と、毒を打ち消す中和剤。これらの薬品はクリエーターの友人がルインのために精製してくれたものだった。さすがは世界でも指折りの数に入るとまで云われる技術者、天才クリエーターが創ったということもあり、2つの薬は文句無しの効果を発揮してくれた。だが、絶対という安全保障は無いので最終的にはルイン自身で見極める必要がある。今のところは、万事順調のようだ。
そうして今夜の主食が出来上がるまでの間、ルインはヴァーツィアから持ち込んでいた木の実を食べていた。クアギュアというナッツに似た味と食感を持つ木の実だ。ヴァーツィアでは多くの冒険者たちが持ち歩く基本的な非常食で、これがなかなか美味しい上に腹持ちも良い。正直、魔界の魔物はあまり美味といえるようなものでは無かったので、持参してきたクアギュアの実だけが唯一味覚を満たす貴重な食材だった。
ドリーはそんなルインの様子を眺めてふわふわと浮かんでいた。精霊は星中に溢れているフォースを糧に存在するので物を食べるという概念が無い。彼らには人の食事風景は不思議なものに見えるらしい。
『悪魔もそうだけどさ、人ってつくづく面倒な生き物だねー?』
少し小馬鹿にするような口調でドリーはルインに話しかけた。けれど当の本人はまったく動じることなく食事を続ける。ここで口出しするだろう妃砂の応答は無かった。
ルイン付きの宿霊は今、定位置である魔導杖の中で魔力回復をしつつ防護陣監視に集中していた。ルインが寝ている間は実体化してドリーの相手を務めていたわけだが、長い時間実体化していると大量に魔力を消費してしまう。そのためルインは目覚めるなり妃砂に休めと命じたのだ。マスターの言うことは最もだったので妃砂は素直に従っていた。ルインが全快したところで彼女の守護者である自分が力尽きては意味がない……それに契約を交わした関係上、ルインと妃砂の魔力は共有する部分が発生する。彼女が常に魔力を気にするのはこういう理由があるからだ。自分の一存で魔力を使うわけにはいかない。
妃砂が割り込まないことを知ったドリーは、今こそが人間と話せる最大のチャンスであると認識していた。こんなにも近く、間近で人間を見るのは初めてだったドリーは、未知なるものに接触する喜びと興奮で胸を躍らせている。とはいえ、人間に関する情報だけはどこからともなく流れる噂話、あるいは実際世界に行ったことがある精霊から聞いていたのでまったく知らない存在ではない……けれど、ドリーにとって興味深い存在であるのは確かだ。
傍らで漂う精霊を余所に、ルインは焼き上がった肉にナイフを入れて火の通りを確かめていた。切れ目からは肉汁が滴っており見た目には美味しそうではある。味を確かめることが出来ないドリーは興味深そうにそれを眺めてから、再び彼女へ声を掛ける。
『ねぇ、ルインはさ、やっぱり魔王を倒そうと思って魔界に来たの…?』
1番聞いてみたかった人間への疑問。噂では多くの人間が魔王討伐を掲げて魔界へやって来ているという。大方間違いないことだと思うのだが、ドリーはその答えを直接当人から聞きたかった。けれど、ようやく出逢うことが出来た人間 ── ルインは無口な人間らしい。
『何も反応なし…?』
ドリーはつまらなさそうに口を尖らせる。目覚めてからのルインは先ほどから口を閉ざしたままで、ドリーが何を言っても言葉が返ってくる例が無い。話を聞いているのか、いないのか、ルインは無言のまま魔物肉を口にしていた。ちょっと気の短い性格のドリーは最初こそ気を長く我慢していたが、それも積もれば山となる。だんだん苛立ってきた闇の精霊はムッとした顔でルインへ詰め寄った。
『ねぇー! さっきから何も言わないけど……アタシの話、聞いてるの?』
思い切って目の前を陣取ったドリーはルインの顔を覗き込む。こうすれば嫌でも何か答えるだろうと思ったのだ。だがその一瞬、時が止まるような感覚を覚えた。
── これが…人間……?
ドリーの瞳が捉えたのは、暗い炎を灯す冷たい紫の瞳だった。妃砂と話していた時には感情の揺らぎが表れていたはずなのに……今の彼女はまるで、人形のようで…。
「……聞いてはいる」
『わっ!?』
急に言葉が返ってきたのでドリーは驚いた。ルインの低い呟きが怒っているように聞こえたものだから少しだけ身を引いてしまう。恐る恐るルインの様子を伺うと、その後の言葉は続かないようだ。ドリーは面食らったように声を上げた。
『な、なんだよー? 話すなら最初から話してよねー!』
すると、ルインはうんざりした様子でドリーを見る。それから溜め息を吐いて言った。
「少し静かにしてくれ。お前の声は頭に響きすぎる…」
『なぁー!? ちょっとくらい話したっていいじゃんかぁー!』
「今は、そんな気になれない」
『なんでー!?』
「話したい気分じゃないからだ」
『う……じゃあいつになったら話してくれるの?』
疑わしく眉を寄せたドリーはここで負けるものかとルインを見返した。それを受けたルインはしばらく思惑を巡らせ、やがて静かな声色で答える。
「話したい気分になったら話す」
『な…何ソレー! そんなの、人の気分なんて分からないよ!!』
「だったら、諦めて自分の住まいへ帰ることだな」
執拗に食い下がったドリーの努力はあっさりと切られてしまう。
こうなるとは思っていなかったのでドリーは愕然とした様子で宙を佇んだ。自分はただ、人間と話がしたかっただけなのに…。しかし、そうなると意地でも食らいつきたくなるのが闇の精霊ドリーの性格だった。目的を達成するにはどうしたらいいのか……そう考えた時、ドリーの頭の中に閃くものがきらりと浮かぶ。
── なーんだ! 簡単なことじゃない!!
ふふふふ、と怪しげな声を零すドリー。黒い精霊の様子を目の前で眺めたルインは、拒絶されたことが余程ショックだったのだろうか…と、そんなことを考えていた。けれど、今しがた開き直った闇の精霊は自信あり気に胸を張る。
そして、ルインに告げた。
『わかったよ。アタシ……ルインに付いて行くからね!』
「……は…?」
今度はルインが顔を顰める番だった。今、目の前にいる精霊は何かとんでもない発言をしたような…。突然のことに思考が追い付かないルインは呆然とした様子でドリーを見る。
視線の先にいる闇の精霊は、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。
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