First Chronicle 魔導士ルイン

10. 荒廃の先に

『ふんふんふふふーん♪ あ、魔王城はこの先真っ直ぐだよー?』
 先頭に立って飛んでいた闇の精霊は得意そうに振り返った。精霊の背後にいるのは魔王討伐の道中にある人間、魔導士ルインだ。再び歩き出した彼女は、目的地である魔王城を目指していた。
『…レディ、いいんですか?』
 不服そうに声を上げたのはルインの魔導杖に宿る妃砂だった。彼が不満を抱いている理由は今やすっかり仲間になりきって同行する闇の精霊 ── ドリーのことだ。それはルイン自身にとっても不本意なことだった。自分が目指す敵は大きい、かといって連れ合いを増やす気は元から無かった。一人で戦うことに意義があり、一人でなければ出来ない……ルインはそう考えている。それなのに、まさか魔界の精霊を連れていくことになろうとは思ってもみなかった。
 もちろん、最初は断ったのだ。興味本位で同行しようとするドリーの思惑は見てはっきりと分かったから。けれど…。
「現地の精霊の方が土地勘がある。それに、万が一のこともあるしな…」
 “万が一のこと”をルインは何も言わなかった。それは自分が抱く小さな不安だったからだ。可能性が低いとはいえ、いかなる杞憂も捨てるわけにはいかない。
『一応、マークは済んでいますよ』
 ルインの考えを汲んだ妃砂が答えると、彼女は「そうか」と少しだけ表情を和らげた。
『ねーえー!? 二人とも来るのがおーそーいーよー!!』
 二人のやり取りなんて構わずにドリーはぐいぐいと前進していた。遠く小さく見える黒い精霊は子供のような無邪気さでこちらに手を振っている。
 それを見た妃砂は率直な意見を口にした。
『…ねぇレディ、今なら捲いてもいいのでは?』
 彼の提案にルインは苦笑を浮かべるだけだった。何も考えずに先を行く黒い精霊……確かに、今なら行方を眩ますことが可能だ。妃砂から聞いた話によれば、ドリーは光が大の苦手だという。光魔法を閃光弾に見立てれば、この奇妙な縁を断つことができるだろう。
 でも、そうはしない。妃砂は本気のようだったけれど、不安の確証が無い今はまだ冗談で済む。

 ルインと妃砂、そこへドリーを加えた一行は荒れた黒い大地を進んでいた。周りには怪しげな草木が魔手を伸ばし、時々襲い掛かってくる。その度にルインは魔法を唸らせ、妃砂も必要に応じて援護に加わり、道の先に待ち受ける困難をなんとか乗り越えていた。
 二人が懸命に闘っている中、ドリーだけは何もせずに傍観していた。精霊である自分が魔物と戦うなんて馬鹿らしい。精霊とは、神が星に与えた恩恵であって、大いなる存在なのだっ! そういうわけで、『ドリーも少しは加勢したらどうなんですか』と妃砂が不平をぶつけても『一緒に戦うなんて約束してないもん!』と一蹴する始末だった。
 ルインは……というと、あまり気にしている様子は無い。寧ろその方が良いと肯定していたので妃砂はもう何も言えることがなかった。ルインに言わせれば、ドリーが下手に介入するよりも大人しくしてもらった方が戦いやすいというわけだ。

 新たな仲間が加わってから数日、ドリーは相変わらずの調子で先頭を切り、ルインはドリーより少し遅れて後を追う。大抵はルインの歩調に合ったペースで魔界を進み、時には魔物と戦った。同じことを繰り返しては1日を終え、翌日も同じような1日を迎える。
 魔界に来てからどれくらいの時間が経過したのだろうか。ふと、そんなことをルインは考えていた。想像する以上に魔界の中は複雑で、闇の向こうにあるだろう先は見えない。もし、自分が魔王城に辿り着けなかったらいつまでここを彷徨うのだろう…?
 だが、後退的な考えはすぐにやめた。
 今は城を探して、魔王を、仇を倒すことだけを強く意識するだけだ。



 幾度も似通った森を抜けると白い霧が漂っていた。魔界の道は荒れ果てた獣道ばかりでとても歩きにくい。そろそろ休憩場所を探さないと……ルインがそう思った時だ。案内人として先頭を突っ切っていたドリーが『あっ』と声を零して急にぴたりと止まった。今までのご機嫌はどこへやら、何かに呆然とした様子にルインは訝しげに眉を顰めて黒い精霊の傍へ並ぶ。そこから視界に映る光景、そして肌を伝う冷たい空気に触れた時、理由はわかった。
『なんだか…気分が悪いよぅ…』
 ふらふらとよろめいたドリーはルインの肩越しに寄りかかり、小さく息を吐く。
 目の前に広がっていたのは廃墟だった。建物がバラバラに崩れており、道無き道は瓦礫だけが積み上がっている状態だ。ただの廃墟であれば何も恐れることは無い。
 しかし、すでにルインは異常を悟っていた。ここは単なる廃墟では無い……でなければ精霊であるドリーが『気分が悪い』など言うはずがなかった。言葉には表せないが、ルイン自身も嫌な感覚を肌で感じていた。
 この先に何があるのか。事実を確認するため、ルインは慎重に足を踏み出した。
『えええ!? 中に入るの…!? ここは止めた方がいいんじゃ…』
 抗議の言葉を口にするドリーだったが時すでに遅く、ルインは躊躇うことなく前へ進んでいた。『早く来ないと置いていきますよー?』と妃砂に言われて、ここに残されるのは嫌だと思ったドリーは慌てて後を追った。

 崩壊した建物、散らばる瓦礫の欠片、傾いた看板、横倒しの柱…。辺りには黒く焼け焦げた跡や夥しい青い液体が飛散していた。中はどうやら街になっていたようで、ここで何かが起こったのは間違いない。荒廃を進むたびにそれは更に酷い状態であると黙認することになった。
 風に乗って流れてきたもの。靄が掛かった空気に混ざる異臭にルインは吐き気を覚える。生ものが腐ったような臭いと、燻したような臭いが混ざり合って強烈な悪臭となっているのだ。その原因は瓦礫の先で足場を埋め尽くしている悪魔の死体だった。辺りには彼ら独特の青い血痕が散っていて、幾重にも折り重なった悪魔の身体は人としての見る影もない。
『争いでもあったのでしょうか…酷い有様ですね』
「そうだな」
 ルインは果敢にも遺体のそばに寄り、顔を顰めながら彼らの状態を観察し始めた。ほとんどの遺体は肢体が切断されていて、その断面は何か強い力で引き千切られたような痕を残している。他にも鋭利な爪で裂かれた傷や熱で溶けた痕跡なども確認出来た。魔物の急襲か、あるいは悪魔同士で争いが起こったのだろうか。彼らの傷はどれも一方的なものばかりだったので、ルインは魔界の狡猾な性質が表れていると感じた。
『道楽だ…』
 ドリーがぽつりと呟く。肩越しにいた闇の精霊はふわりと浮かんで同じ景色を眺めていた。さっきまでは元気に明るく前に立っていたというのに、今では少し疲れたような顔を浮かべている。ドリーの様子も気になるが、ルインはそれよりも言葉の方が気になった。
「道楽? ……悪魔同士が争っただけじゃないのか?」
 その問いかけにドリーは『大体同じようなものだけど』と言葉を続ける。
『噂だからほんとのことはアタシも知らない……でもこれはきっと“魔王”がやったんだ。魔王は時々城を出ては気まぐれに相手を見つけて殺戮を行うんだよ。運が悪いと街ごと壊されることだってある。それが魔王にとっての“道楽”ってワケ』
 言葉に混ざったたった一言はルインの顔色を変えさせた。突き刺さるような紫の瞳は怨嗟の炎を滾らせている、と妃砂は容易に理解できた。魔王という言葉を聞くだけでルインの憎悪は躊躇いなく膨れ上がるばかりだ。
 ドリーは話を続けた。
『それに、ここはフォースがとっても薄いみたい。魔王はフォースも喰らうって話だからそのせいかも……おかげでアタシまで気分が悪いよ…』
 フォースが薄いということは精霊が存在するための糧が少ないということだった。糧が無ければ精霊もいずれは消失してしまう。だから、この地に来たドリーの気分は削がれていたのだろう。しかし、妃砂にはその影響が無かった。彼が高位精霊であることもひとつの理由だが、一番大きな要因は宿霊であるからだ。宿霊は宿媒の魔力を糧にするから周りの環境はさほど関係ない。
「魔王はフォースを喰らう…」
 ルインは確かめるように呟く。これは覚えておいた方がいいと頭に刻みながら、彼女は辺りを見渡した。冷たい空気に混ざる異臭……その先で遺体に群がる小型の魔物が視界に映っていた。周囲一帯の腐臭が強烈であるためか、生餌になりうるこちらの存在には気付いていないらしい。
「そろそろここを出よう。…ドリーは大丈夫なのか?」
 戦いを避けるためにも早くこの場を去るべきだ。その一心でルインはドリーの様子を尋ねていた。するとドリーは驚いたようにきょとんと瞳を丸くした。信じられないとでも言うような顔つきで『アタシのこと、心配してくれてるの…?』と口にする。どうやらルインの気遣いが嬉しかったらしい。ルインとしてはドリーに対してまったく心が無かったわけではないのだが。
 彼女はいつもの無表情で言葉を返した。
「……ぐずぐずしていると置いていく」
『え、あ…! ま、待ってよー!?』

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