First Chronicle 魔導士ルイン
8. 一時の休息Ⅱ
しばらく時間が経過するとドリーは再び姿を現した。勝手に逃げて勝手に戻って来ては『妃砂酷いよ!! アタシを消滅させるつもりなのー!?』と一人顔を膨らませていた彼女だが、妃砂に「あまり騒ぐとルインと話せなくなってしまいますよ…?」と言われてしまい、ピタリと口を閉ざした。自分の目的が断たれてしまっては元も子もない。
結局、妃砂にまんまと言いくるめられたドリーは仕方なく静かになった。
「ルインと話がしたいのなら、彼女が回復するまで待つことです」
そう言われていたので、何もすることがないドリーはひたすら辺りをうろうろする。近くにはぐっすり寝ているルインと、そのそばには妃砂が座っていた。ルインが早く目覚めてはくれないものかと半ば期待しているドリーなのだが、1時間2時間過ぎたところで彼女が起きる様子は無さそうだった。起こそうと思って近づくと妃砂の冷たい笑顔が向けられてしまうので、ドリーは彼らのそばを行ったり来たり、あるいは周辺を散策したりして時間を潰していた。
けれども、いくら精霊とはいえ暇つぶしにも限度がある。
ドリーはあまりに暇だったので、妃砂にそうっと声を掛けた。
『…ねぇ? 妃砂はさっきから何をしているの?』
陣を展開してからの妃砂は口数が少なく、とても静かだった。それはルインが寝ているせいもあるのだろう。しかし、静かに押し黙っているというよりは他の何かに意識を集中させているようだった。
「…監視、です」
『…!?』
妃砂が性に合わないような低いトーンで呟いたのでドリーはびっくりした。さきほどとは雰囲気の違う高位精霊に一瞬寒気のようなものを感じたのだ。そのせいで鼓動は無意識に跳ね上がる。監視とは自分に対してなのだろうか? ドリーは彼に監視されるようなことをしただろうかと脳裏を巡らせる。思い当たる節は正直わからないけれど、多分あるような気がした。
血の気が失せたようにドリーが後ずさりしていると、それに気づいた妃砂はくすくすと笑い出していた。
「監視しているのはドリーじゃありませんよ?」
『そ、そうなの…?』
少しほっとしたドリーはのろのろと戻ってくる。
『じゃあ何を監視しているの?』
「さっき張った陣ですよ。どんな魔物にも通じるとは限りませんからね」
妃砂が張った防護陣は内部を外部から遮断する効果があるものだった。そのため、たいていの魔物は陣内部の存在には気付かないような仕組みなっている。例え陣の境界線に近付いたとしても何気なく相手の進行方向を外へと促してしまうという便利な隠れ蓑だった。だが、すべての魔物に通じるわけではないので常にその気配を監視する必要がある。突破された場合にはすぐ逃げられるようにするためだ。
『ふーん……あのさ、何で妃砂は人間のためにそこまでするの?』
アタシ達は精霊、そんな面倒なことわざわざする必要無いのにさー、とドリーは不思議そうな顔を浮かべる。その問いかけに妃砂は少し考えてから言葉を返した。
「ドリーはなぜ人間と言葉を交わしたいのですか?」
『アタシ…? アタシは……なんとなく。前にちょっとだけ見たことはあったけど、話したことはなかったから』
「へぇ…そうですか」
『次は妃砂が答える番だよ? このままはぐらかそうとしたって無駄だからね!』
そう言うとドリーは逃がさないとばかりに妃砂へ押し迫る。小さな精霊が目の前で瞳をギラつかせているのを見て、妃砂は「バレてしまっては仕方ない」と笑いながら答えた。
「私はルインと契約しています。自分にマスターを立てた以上、私は彼女に従い、護る者なんですよ」
『変なの、人と契約なんて縛られるだけでしょー? どうしてわざわざそんなことしたの…?』
ドリーは理解できないというような顔で橙色の瞳を瞬かせる。妃砂は何かを思い出すかのように空を見上げた。
確かに人と契りを交わすことは、少なからず自分に縛りが為されることだ。宿霊であればそれは尚更。人に使われることを了承するようなものなので、契約を交わす精霊 ── 宿霊は数少ない。だから、自分が人に近づいた最初の理由は……。
妃砂は一人笑みを浮かべていた。不意に思い出したとはいえ初心の自分が懐かしく感じる。そんな彼の真意が読めないドリーはただ首を傾げていた。
しばらくしてから妃砂は答えた。
「…それは、私とマスターだけの秘密です」
*
冷たい水の中へ沈むように、意識は深く、深く落ちていく。
周りには何もないはずで、今はしばしの休息の時……このまま深く沈めばいい。
けれど、声が聞こえた。
「……さ…い」
何を言っているのかよく聞き取れなくて、沈みかけた意識はほんの少し浮上する。
今にも消えてしまいそうな小さな声色は聞き覚えのあるものだった。これで二度……いや、三度目だ。この声は前にも聞いたことがある。そう遠くはない、自分の近いところで……。
けれど、肝心なことが思い出せない。自分はこの声をどこで聞いたのだろう…?
そうして考えている最中にも、その声は一人悔やむように呟いた。
「僕がもっと……早く………」
泣いているかのような掠り声。悲しみを帯びた声色。いったい何をそんなに悔やんでいるのだろうか。
気になって、声の主を探そうとするが姿は見当たらなかった。
そもそも見当たるはずがない……今、ここは暗い闇の中なのだから。
しかし、負に沈む声を黙って聞いているだけではいられず、言葉を掛けた。
「どうしたんだ…?」
「………」
不意に掛けた言葉にも関わらず、小さな声の主は驚く気配を見せない。だが、言葉を噤んで黙り込んでしまった。
そうなってはこちらから何を言っても無駄なのだろう。人には聞かれたくないことだったのか……理由はわからない。ひとつだけわかるのは、しばらく時間が必要だということだった。
それっきり途切れた声は、その後も言葉を交わすことは無く、時だけが流れた。
やがて意識が再び戻ろうとする。闇から這い上がって外へ出なければ。
その戻り際、最後にもう一度小さな声が聞こえたような気がした。
── 僕は…無力だったんだ…。
*
眠りから目が覚める。視線を巡らせて見えたものは闇に揺らめく木々、そこからわずかに覗く天には暗雲がどんよりと流れている。これは、魔界の風景だ。
── 今のは…。
現実を認識したルインはゆっくりと起き上がる。頭の中がぼんやりしていてまだ意識がはっきりとしない。自分に聞こえたあの声は、単なる夢の中での出来事だったのだろうか。
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