First Chronicle 魔導士ルイン

7. 一時の休息Ⅰ

 ルインは疲れていた。その一番の理由は魔物との連戦にある。
 小柄な身体にはいくつもの裂傷が残されていた。いくら回復魔法を心得ているとはいえ、戦いによる傷痕を完治させるには時間が掛かる。

 一息ついたルインは意識を集中させようとして、なぜかやめた。ふと視線を足下に向けるとさきほど倒した巨大な魔物の亡骸が映る。肉塊となった身体からは絶えず生臭い血が溢れていて、鼓動を絶たれた臓物は剥き出しになっていた。その袂を見れば死の匂いを嗅ぎつけた虫たちが颯爽と群れを為しているのがわかった。そのおぞましい光景にルインの気分はぐらりと揺れる。世の中を知らない上流貴族であれば悲鳴を上げて失神することだろう。嫌な光景から目を逸らしたい衝動。だがルインはぎりぎりのところでそれを留めた。この命を奪ったのは自分……最後まで現実を見届けろっ! と、逃げ出しそうな自分に叱咤して冷静さを取り戻した。
 そうして事実と向き合うと、よくもここまで酷いことをしたものだと心が痛む。戦いを終える度に纏わりつく感覚は、何度体感しても後味が悪いものだ。
 しばらく無気力になっていたルインは森の音をただ聞いていた。閑静な森の中で耳を澄ますと木々のざわめきが流れてくる。時折唸りを上げるのは風の音だった。しかし、その中に魔物の遠吠えが混ざった途端、黒い世界を強く意識した。
 ── 油断は隙を生む…。
 ここが魔物の縄張りであることを思い出したルインは周囲に神経を尖らせる。まだどこかに彼らが潜んでいるはずだ。自分を狙っていないとしても気を抜いてはならない。
 見渡す限り闇だけが広がる森の中、ルインはある一点を凝視した。単に「なんとなく」という勘で警戒したのだが、視線の先では魔物が一斉に駆け出したことを考えると彼女の勘は幾分冴えているのだろう。駆け出した魔物の群れは森の奥へと消えていった。
 再び訪れた静寂にルインは肩を撫でおろす。今の自分に残された力はわずか……これ以上は戦いたくないし、危険だと感じていた。
 ルインは改めて一呼吸置くと、自分を待っているだろう精霊に意識を向けた。



「ルインー!!」
 同調を心待ちにしていた妃砂は瞬時に転移すると遠慮なくルインに抱きついた。いつもの彼女ならうるさそうに振り払うところだが、疲れているためそこまでする気力が無い。「実体化するなと言ったのに…」と小声で悪態を付きながらも、妃砂の存在を感じ取っていた。
「これは心配させた代償です。まったく! 一人で行動するなんて軽率すぎますよ?」
 いつも冷静な宿霊もマスターの危機とあっては気が気じゃない。妃砂はルインの無事を喜びつつも半ば怒った口調だった。
「……悪かったよ。でも、お前を呼び戻す余裕がなかったんだ」
 同調中は互いに意識を集中していないと成り立たず、特に人間の場合は周りの変化まで気が回らない状態に陥りやすい。集中力が欠けてしまえば反応も遅れる、下手をすれば気付かないままになることがあるから注意しなければならなかった。
「まぁ仕方ないことですけど…そういう時はとにかく先に呼んでくださればいいのに」
 そう言ってようやくルインから離れた妃砂はさらに続けた。
「ずっと戦いっぱなしだったようですね……あとは私に任せてルインはしばらく休んでください」
「ああ」
 素直に頷いたルインは近くの木に腰をおろした。妃砂がそばにいれば余計な不安を抱く必要はない。こういう時、彼の存在には大きな価値があるとルインは実感していた。もしも本当に、たった一人で魔界に来ていたならば休憩する時間は無かったはずだ。契りを護るために、自分のためにも、与えられた時間は有効に使わねばならない。
 妃砂の言葉通り、すべてを任せることにしたルインは眠り始めようとしていた。
 その時だ。

『ちょっとー!! アタシのことは無視? 無視するのー!?』

 今まで黙っていた黒い精霊が感極まって大声を上げた。片手にランタンをぶら下げて浮遊している闇の精霊 ── ドリーである。ルインのことしか考えていなかった妃砂の反応は「おや、いたんですか?」と特別驚く様子は無かった。まったく意にも介さない妃砂を見て自分が放置されていたと知った黒い精霊は躍起になって言葉を返した。
『いたよー! だって約束したじゃない!』
「約束ならもう果たしましたよね?」
『……まさか、これで会ったとか言うんじゃ』
「そのまさか、です。十分でしょう?」
『何ソレー!? アタシは妃砂にたくさん魔界のことを話してあげたのにぃっ!』
 にこにこ笑みを浮かべる紫の高位精霊に、黒い精霊の怒りのボルテージは上昇する一方だった。二人の話が読めないルインは、耳に付くドリーの甲高い声にただただ表情を歪ませている。せっかく休もうと思っているのにこれでは眠れない。事情を説明しろというような視線に気がついた妃砂は即座にドリーを黙らせていた。
「すみませんルイン、こちらがさっきお話した闇の精霊ドリーです」
「……ああ…そういえば、そんなことを言っていたか」
 ルインは妃砂と先ほど同調した時のことを思い出す。自分の無事を伝えて彼の様子を聞いた時のことだ。『闇の精霊と一緒にいる』と妃砂は言っていた。それがこの黒い精霊なのだろうと改めて視線を向けた。
 妃砂の肩越しに浮かんでいる精霊はエメラルド色の髪に橙色の瞳を持つ少女の姿をしていた。褐色の肌と大きな帽子が特徴的で、闇の精霊なのに光の灯るランタンを手にしていることが少し奇妙だと思った。
 しばらくドリーを眺めていたルインは吐息をつく。聞きたいことはいろいろあった。魔界の精霊となれば知っていることはたくさんあるはずだから。
 けれど、今は…。
 ルインは顔を背けて静かに瞼を閉じた。

 ドリーは何を言われるのだろうかとドキドキしていた。しかし、いくら待っても目の前にいる人間の言葉が返ってこない。どうしたのだろう? ドリーが不思議に思って首を傾げていると、妃砂がその疑問に答えた。
「…残念ながら、レディは眠ってしまわれたようですよ?」
 そう促されてルインの顔を覗き込んで見ると、確かに彼女は寝入っているようだった。いつの間に寝てしまったのか。密かな期待を裏切られたドリーは思わず声を上げてしまう。
『なんでー!?』
「ドリー、静かに」
 妃砂に睨まれたのでドリーはすぐに口を噤んだ。けれど不満が残っているらしく、小さな声でぼそぼそと文句を零し始める。
『酷いよ、アタシを見て何の一言もないなんてさぁー……せっかく人間と話せると思ったのにー』
「仕方ないことです。ルインは疲れているのですから」
 そう言うと、妃砂は何かを唱えて地面に大きな文様を浮かび上がらせた。直径およそ25メートルに及ぶそれは巨大な魔法陣である。
 突然光り輝いた地面にドリーは慌てふためいていた。
『わっ!? わぁー!? 妃砂何してるんだよー!?』
「防護陣です。休憩中のレディの元へ魔物が来ては困りますからね」
『だからって、これは…! うわっ…光は嫌なんだよー!!』
 闇の精霊は光が苦手だ。そして、魔界に存在する以上光を目にすることは滅多にない。そのせいもあってか、極端なまでに光が不快だったドリーは魔法陣が放った閃光に耐えかねて姿を消していた。
 一瞬にして姿を晦ました精霊に苦笑しながら妃砂は陣を完成させる。浮かび上がった文様が地面に溶け込むように消えると、森の中は何事もなかったように暗闇と静けさを取り戻していた。
 ── 闇に慣れ親しむ者ほど光を嫌う、これがこの先ルインの有利となればいいのですが…。
 一作業を終えてルインの隣に座った妃砂は、自分の役割を果たすために意識を集中し始めた。

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