First Chronicle 魔導士ルイン
6. 魔界に住む者
日常の風景を横目にして奥へ進むと、開けた場所に出られる。街の広場ようだ。中心には円形に陣取った噴水があり、その中央には女悪魔の像が水瓶から水を注いでいた。悪魔にしてはなかなか芸術に富んだ代物であるといえる。
周囲に吹き出された水は天を仰ぎ、小さな飛沫となって流れ落ちる。その様子を追うように見上げていたのは雷光の精霊・妃砂だった。酒場でルインとの連絡が途切れてから、数時間が経とうとしていた。
『………』
本来ならすぐにマスターの元へ戻るはずだった。連絡が途切れる寸前、ルインは妃砂に偵察を続けろと言ったが、命令とはいえマスターの危機とあれば無視しても構わない事態なのだ。けれど、結局彼がそうしなかったのは…………いや、本当は一方的に同調が絶たれてしまったために戻ることが出来ずにいた。同調している時ならば、彼女の気配を辿って戻ることが出来るのだが、ルインの気配が捉えられない今は広い魔界を自力で探すしか方法がない。マスターの力は誰よりも信じているとはいえ、妃砂は心配で心配で仕方なかった。
── きっと無事でいるはずです…。
そう自分に言い聞かせながら、妃砂はルインに言われた通りに偵察を続け、彼女が欲しているだろう情報を集めていた。その甲斐あって、それなりの情報は集まっただろう。ルインの目的地でもある魔王城の位置も知ることができた。あとは彼女と合流出来ればいい。
妃砂は瞑想し、一度ルインとの同調を図ってみた。しかし……。
『……ルイン…』
自分の呼びかけにルインの返答はない。まだ魔物と戦っているのだろうか。情報収集が終わった今、すぐにでもマスターの元へ帰りたい妃砂であるが、ルインの気配を捉えられない以上どうすることもできなかった。
そうして妃砂がふてくされている時のことだ。
『…貴方、光の精霊よね』
突然掛けられた声。妃砂が振り返ると、そばには黒い色調の精霊が浮かんでいた。片手にランタンを持っている精霊は小柄な少女のような姿をしている。
『誰ですか?』
そう妃砂が尋ねると、精霊の少女は答えた。
『アタシは闇の精霊、名前はドリー。貴方、光の精霊でしょ?』
『ええ、私は雷光の妃砂。何かご用ですか?』
『やっぱり。でも、光の精霊が魔界にいるなんておかしいわ。それに、微かだけど人間の匂いがするの……どうして?』
『へぇ…なかなか鋭いですね』
『もしかして、人間が魔界に来ているの?』
『そうだとしたら、どうします?』
妃砂はうっすらと笑みを浮かべていた。質問に質問で返された闇の精霊 ── ドリーはすぐに言葉を返せないようだ。しばらく考えた後、彼女は呟くように声を零す。
『……魔王に報告するかも』
ニヤリと笑って答えるその仕草には何かを企んでそうな含みがあった。だが、妃砂は顔色を変えずに精霊を見つめた。
感情の読めない紫の瞳がじっとドリーを捉える。それがあまりに真っ直ぐな視線だったため、不覚にも魅了されそうになったドリーは慌てて首を振った。それからぽんぽんっ! と自分の頬を叩くと慌ただしく言葉を返す。
『う……そんな目で見ないで! アタシは精霊よ、何もしないに決まってるじゃない!』
『おや、私は尋ねただけで他には何も言ってませんけどねぇ…』
ドリーは妃砂との精霊格差を知ったのだろう。余裕を得た妃砂は涼しい顔で彼女に笑いかけた。するとドリーは、自分の方が遊ばれていることに気が付いたようでムスっとした顔になる。本当はこちらが彼をからかってやろうと思っていたのに、逆手を取られた今は全然面白くないというわけだ。かといって、このまま引き下がるのは正直悔しい。
引くに退けないドリーは妃砂に言ってやった。
『でもこれでわかったわ。妃砂、貴方は人間付きの精霊ね!』
えっへん! といわんばかりの態度で胸を張るドリー。
けれど、妃砂はニコニコと笑うだけだった。
*
闇の中に漂う黒い影があった。
バサバサと広がるのは蝙蝠型の翼。
風に乗る度、長い髪が揺れている。ひらひらした服装は尚のことだった。
「なーにか♪ 面白いこと♪ ないのかなぁ~♪」
歌いながら飛んでいたのは女の悪魔。見かけは少女と言ったところで、額の左右には小さな角があった。悠々とした様子で空を舞う彼女は宛てもなく漂っている。どうやら散歩をしているらしい。
そんな彼女がとある上空に差し掛かった時のことだった。
ドォンッ!!
爆発したような音に、悪魔は進行するのを止めてその場に留まる。
「何の音…?」
彼女がきょろきょろ辺りを探っていると、丁度自分の真下で閃光が走っているのが見えた。悪魔が苦手とする光……それを魔界で見かけるのは珍しい。
なんとなく興味を抱いて様子を伺っていると、またも下の景色は閃きを見せる。すると魔物の騒々しい叫喚が轟き始め、驚いただろう鳥型の魔物が一斉に羽ばたいていた。
しばらく見ているとそこから煙が昇り、数秒後には凄まじい雷撃音が鳴り響く。
「あらあら派手に暴れているわねぇ…」
この辺一帯は森が広がっていた。当然多くの魔物達が巣食っている場所でもある。
悪魔は、魔物が縄張り争いをしているのだろうと思っていた。光の原因は、魔物の持つ魔力が衝突したからに違いない。
「ふむ……他に行きたい場所もないしなぁ」
しばし上空で考えていた悪魔はふわりと降下した。暇つぶしに縄張り争いが行われているだろう場所へ近づくことにしたのだ。
「あれは……ライガルヴァーね」
悪魔が見つけたのは殺意を剥き出しにしている獣型の魔物だった。ライガルヴァーと呼ばれるその魔物は、頭に獅子のような鬣がある。そして、噛みついた獲物を逃さないための鋭い牙、手足と背中には刃に似た爪を武器として持っていた。彼らの気性は見た目通りに荒く、縄張り意識も強い。魔界の中でも強い類として名前が挙がるほどだ。
そんなライガルヴァーを怒らせてしまうとは、彼らの縄張りに入ってしまった魔物はさぞ不運なことだろう。木陰に隠れている悪魔はちょっぴり同情を覚えつつ、ライガルヴァーに戦意を向けられた相手を探した。
木々の間で再び閃光が瞬く。悪魔の赤い瞳はその閃光を捉えていた。おそらく相手の魔物が起こした魔力放出 ―― 魔法だ。しかし、その光は奇妙なものだった。
── 今のは…。
悪魔が考えていると、魔物・ライガルヴァーの絶叫が空気を震わせる。
「ググッギャアアアァァァァ ――――――!!!!」
ライガルヴァーの巨大な身体には、相手が放っただろう無数の閃光が突き刺さっていた。動けば動くほどに閃光の輝きは強くなり、勢いを増す。
── 光の………剣?
悪魔が見た閃光は、銀閃の剣だった。魔力を剣型に変える魔物の話は聞いたことがない。もしかして新種の魔物なのだろうか。そうであればぜひ一目見ておきたい。
期待を抱いた悪魔は、木々の向こうにいるだろう魔物を見るために身を乗り出す。だが、不穏な気配に気付いて動きを止めた。奥から感じるもの……魔物にしては異様だと思ったのだ。そして、それはやがて姿を現す。
悪魔の赤い瞳に映ったのは、思いもよらない影だった。
── あれは人間…よね?
紛れもなく、悪魔が見たのは人間だった。間違いなくそう言えるのは、一番目についた瞳の色……暗い炎を灯したような紫の瞳は悪魔のものではないからだ。それに何より、人型でありながら背中に翼が無かった。マントで隠れている可能性も考えられるけれど……魔界にいる悪魔が翼を隠すメリットは何もない。
── ふーん? 人間がいるなんてねぇ。
少しだけビックリした悪魔だったが、彼女は特に動揺してはいなかった。それどころかますます興味を抱いたようで、じっと人間を観察し始める。
悪魔が見守る中、じりじりとライガルヴァーに歩んだ人間は低い声で何を呟いた。
「……これで止めだ」
感情のない声色。人間が杖を薙ぐと、未だ暴れようとするライガルヴァーに最後の一撃が貫いた。一時的に膨れ上がる強烈な光。それは悪魔自身も消されてしまうのではないかという錯覚に陥るほど凄まじいものだった。
やがて、魔法の光が落ち着くと、辺りはひっそりと静まる。
悪魔が様子を見ていると、人間は大きく息を切らして疲れているようだった。どうやらずっと魔物と戦っていたらしい。先の戦い、そして身を纏っている法衣、姿を見たところ女の魔導士なのだろう。その魔導士は持っていた杖を支えにして息を整えていた。
悪魔は、ふと思う。
── …今なら、私でも倒せそうね。
見る限り、かなり体力を消耗している今の魔導士には隙が多かった。たった一人きり、それに女だ。不意を突いて攻撃すれば息の根を止めるのは容易い。
速攻を仕掛けるべく、悪魔は背中の翼を広げようとした。
だが……。
「………」
疲れきっているはずの魔導士がこちらを睨むように見ていたので、悪魔は思わず身を竦める。もしや、自分の存在が悟られてしまったのだろうか。
鋭い紫の瞳は強い殺意を秘め、睨まれるだけでも身が裂かれてしまうような印象があった。悪魔が緊張してじっとしていると、茂みの中から小型の魔物が一斉に走り出した。魔導士の放つ殺気に驚いて散らばっていったらしい。
しばらく魔物を目で追っていた魔導士だが、彼らがいなくなると一人息を付いていた。どうやら悪魔の存在には気付いていなかったようだ。
── 危ない危ない…。
ホッと肩を下ろす悪魔。安易に手を出すものではないなと実感しながら、再び魔導士の様子を観察することにした。
── 何してるのかしら?
休憩もそこそこに、魔導士は何やら気を集中させていた。魔法の詠唱ではない。しばらくすると手ごたえを感じたのだろう。魔導士は声を零す。
「……妃…………るか? …ああ…私は…………そう…」
いったい誰と何を話しているのか。小声のために上手く会話が聞き取れない上、いくら周りを探っても魔導士以外の人物は見当たらない。悪魔は気になって仕方無かったが、これ以上接近するわけにはいかなかった。さっきまで疲労で隙だらけだと思っていた魔導士なのだが、よくよく注視すると常に警戒していることがわかるのだ。さらに、魔導士の持つ魔力は自分を上回っているではないか。自分に勝機があるならまだしも、真っ向勝負となれば話は別なのである。この悪魔は面倒な戦いが苦手で、勝ち目の無い戦いは嫌いだった。だからもう戦う意思を持ち合わせていない。
「…精霊? お前が………うのなら……わかった…」
会話を続ける魔導士は歩き出していた。悪魔はこのまま追いかけたい衝動に駆られるが、止めておいた。
── さて、どうしようかなぁ?
魔界に来る人間の目的……悪魔の間ではわかりきったことだった。
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