First Chronicle 魔導士ルイン

5. 魔界の街

 視界の先に霧が漂っている。白く霞がかかった景色はおぼろげだ。
 しかし、距離が縮まればくっきりと形が浮かび上がる。
 最初に見えたのは黒いシルエット。そこから視線を滑らせると複数に連なる建物の輪郭だと分かる。耳を澄ますと声が聞こえてきた。がやがやと騒がしい響きは聞き慣れたもののように思える。進むたびに声数は増え、行き交う“人”も多くなっていた。ここで暮らしていたならば毎日目にする在り来たりの風景なのだろう。どこにでもあるような街並みの姿、それが紫の瞳に映し出される。
 一つ違うと言えば、ここにいる“人”は“人間ではない”ということだった。

『魔界も世界とあまり変わらないようですねぇ』
「……そうだな」
 呑気な声を上げる妃砂に対して、ルインは無表情のまま相槌を打った。

 同じ視界を得ている二人。けれど、ルインと妃砂の互いにいる位置は異なる場所だった。ルインは街の全景が見渡せる丘の上。対する妃砂はルインが見ているだろう街の中。つまり妃砂が一人だけ街に潜入し、内部をふらふら偵察していた。
 離れた二人に言葉が通うのは“同調(シンクロ)”しているからだ。これはアグアノスの契約において、信頼の絆を深めた者たちだけが為し得る力。そのおかげで、妃砂が見る同じ風景をルインは遠くに居ながらにして知ることが出来る。
 魔界の街に入るとなると、人間であるルインの存在が知られてしまう可能性は重大……それを回避するための偵察作戦。今、彼らは魔界の情報を集めようとしていた。
 街の全貌が確認できたのはついさきほどの事だった。本音を言うと、ルインは自分の目で街の様子を確かめたかった。己の存在を周りに悟られない魔法を習得していたので、それを使って街への侵入を試みようと考えていたからだ。それに直接見た方が状況の把握はしやすいというもの。しかし、妃砂はリスクが高すぎるとして反対した。いくらルインの魔法が優れていたとしてもすべてに通じるとは限らない。アグアノスとして従事する妃砂から言えば、マスターの安全確保は第一。今の段階でルイン自らを危険に飛びこませるような真似はさせたくないのだろう。彼は断固として譲りはしなかったため、結局ルインは妃砂が別に提案してきたこの方法を受け入れることになった。
 そして実際、妃砂の作戦はとても良い方向へと働いた。
 それもそうだろう。魔力で構成される精霊は、彼らの意思で自由に視覚レベルを変えることができる。本来精霊という存在は人の視力では見えない位置づけにあり、姿が見える時というのは大抵、精霊の方が人に合わせて視覚レベルを調整しているためだ。これは悪魔に対しても同じことで、精霊自身に姿を見せる意思がなければ存在を悟られることはない。

『向こうの建物が賑やかそうですね』
 街の中を漂う妃砂は一軒のお店へ向かった。魔界独自のものなのか、扉のプレートには乱暴に引っ掻いたような文字が黒のインクで綴られている。その横には大きく酒瓶のような絵が描かれ、扉の装飾は随分と派手なものだった。
 なるほど、と意味を理解した妃砂は言葉を続ける。
『酒場のようです』
「そうか、ここなら何か情報がありそうだな…」
『では入りましょうか?』
「ああ、頼む」
 ルインの了解を得た妃砂はするりと建物へ入り込んだ。



 酒場の中は薄暗く、いかにも陰気な雰囲気が漂っていた。しかし想像していたよりも店内は綺麗だ。カウンターはもちろんテーブルは整然と配置されていて、バーテンダーと思われる悪魔の背後には数多く酒らしき銘柄が並んでいる。悪魔といえば何から何まで横暴なイメージがあるが、案外そうでもないらしい。
 でも、ルインは少なからず嫌悪の表情を浮かべていた。悪魔=敵と認識しているために胸が騒ぐ。街に入った当初と比べればいくらか落ち着きを持つようになってはいるものの、彼女の怒り、そして憎しみは変わらない。
 店内にはすでにグラスを片手にした数人の悪魔が会話を楽しんでいた。
 妃砂は彼らの会話が聞き取れるテーブルに向かう。精霊がそばにいると気付いた者はいない。例え気付いたとしても目視することは不可能。そんな自分ならではの地位を密かに楽しみながら、悪魔の会話に耳を傾ける。ルインも同じ声を聞いていた。大抵はどうでも良い話ばかりが耳に届く。たとえば仕事の愚痴で酔い潰れていたり、気の合う者同士が意気投合して歌い始めていたり、中にはしんみりと悩みにふける悪魔もいる。
 たくさんの声が入り混じる酒場。しばらくすると妃砂は興味を惹く言葉を聞きつけた。それはルインも同じだったらしい。妃砂が何かを言う前にルインは指示を出した。
「妃砂、向こうのカウンターに行ってくれ」
『了解です』
 妃砂が向かったカウンター席には二人の悪魔が並んでいた。

「なぁ、オレ考えたんだけどさぁ…」
 悪魔の低い声が聞こえてくる。見た感じでいえば若い青年。彼はグラスに揺れている赤い液体を眺めながら、隣に座っている女の悪魔に語りかけていた。
「今度魔王城で行われる騎士選抜会に出てみようと思うんだ」
「選抜会って、下手したら死ぬって言われてるじゃない。貴方にそんな力があるの?」
「失礼だな、知ってるだろ? こう見えてもオレは辺りじゃ腕っ節の良い傭兵なんだぜ? それに、もし昇格することが出来たら一生安泰だ」
「そうだけど…」
 意気揚々と語る青年に、女は何かを考えながらグラスに口を付ける。話の流れからして青年のことを心配しているようにも見えた。恋人なのだろう。
「確かに、魔王様に仕えることは誰もが夢見る魅力的な地位よね」
「だろう? 実力さえあれば…今なら四天王にだってなれるかもしれない」
「四天王……二人は人間に討たれたって聞いたわ」
「ああ、だからその穴埋めをするために、各地で騎士志願者を集めてるってわけだ」

「………」
 彼らの出した言葉にルインは顔色を変えていた。嫌悪の表情に険しさが増す。
 四天王とは、魔王直属の部下のこと。魔界でも一選された力を持つ4人の戦闘能力者の総称だった。だが、青年と女の話にあったように二人は人間の手で討ち取ることに成功している。そのうちの一人は、ルイン自身が討っていた。
 これは妃砂がルインと契約する以前のことだった。だから彼は詳しい経緯を何も知らない。いつかその話に触れたことがあったけれど、ルインは決まって口を閉ざしたことを妃砂は思い出す。マスターにはちっとも良い記憶ではないらしい。悪魔の侵攻を受ける人間にとって喜ばしいことのはずなのに。
 でも、安心して喜べないのはそれだけ四天王の実力が相当なものだという表れだ。残る彼らは二人……一人については必ず戦うことになる。ルインにとって宿命の敵であることを妃砂は知っていた。
『…まだ話を聞きますか、マスター?』
「いや、ここはもういい。他に情報がないか調べたい」
『わかりました』
 辺りを見渡した妃砂は、店内の一画に何やらたくさんの紙が貼られていることに気づき、言葉を続けた。
『あちらに情報版のようなものがありますね』
「わかった、見てみよう」
 妃砂が調べてみると、そこには人間世界でもよくありがちな求人情報や賞金が懸けられたブラックリストなどが掲載されていた。その中で「騎士選抜志願者募集」の一枚を見つける。魔界の文字が読めないルインは妃砂に尋ねるしか方法がなかった。
「なんて書いてある…?」
『これは騎士選抜志願者募集の詳細ですね…』

 ── 騎士選抜志願者募集について ──
 現在、魔王城では有能な騎士を募集しています。
 力に覚えのある者はこの機会に是非、志願してください。
 場所:魔王城闘技場にて
 開催期日:志願者数が集まり次第、随時開催予定
 資格:腕に自信のある者に限る
 募集職種:魔界騎士(主に城内での守衛)
 なお、騎士選抜審査は四天王の一人が行います。
 四天王の願に叶えば、昇進の可能性もありますので多数のご応募をお待ちしています。

『ということみたいです』
「……四天王が審査員、か」
 微量な感情を含んだルインの呟きに、妃砂はすぐに言葉を返した。
『ルイン、騎士選抜に行くおつもりで?』
「そこにあいつがいるならな………でも、今は魔王城の位置を特定しないとどうにもならない」
 厳しい表情を浮かべるルインは妃砂に調査を促す。言われたとおりに情報を探る妃砂だったが、地図のようなものは見当たらなかった。
『……地図はないようです。住所も書かれていませんね。まぁ、あったところで魔界の住所録なんて知りませんが』
「仕方無い、他を…… ── !!」
『どうかされましたか?』
 ルインの驚きともとれる反応に妃砂が尋ねると、彼女は冷静を装いつつも危機感のある声を零した。
「悪い妃砂、同調を一時中断する……魔物に見つかったようだ、お前はそのまま偵察を続けてくれ」
『え、ちょっとルイン! ルイン!?』
 何度も呼びかける妃砂だったが、ルインとの連絡は取れなくなっていた。

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