First Chronicle 魔導士ルイン
33. 託された想い
リムセアの話を聞くために、ルインは訓練場を後にした。もともとガロが自分の縄張りとして利用していたせいなのか、他の悪魔が駆けつけるような気配はない。だが、激しい戦闘音や振動は城内に響いているはずだ。いずれ気付かれるのは時間の問題だろう。それにあの場所にはいたくない、ルインはその気持ちの方が強かった。
妃砂が近くを探索すると空き部屋があった。おそらくは訓練場用の休憩部屋だと思われたが、長年使われていないようだった。
『今のところは大丈夫でしょう』
妃砂が安全を確認したので、ルインはこの部屋で一休みすることにした。
「リムセア、話を聞かせてほしい」
取り急ぎ簡単な回復を済ませたルインは腰を下ろして、改めて風星の精霊へ声をかけた。呼ばれたリムセアは羽ばたきながらルインの前に現れると、強張った顔で『…うん』と頷いた。
語られるのは、6年前の黄葉の月。
レイエが一緒に帰宅しなかった理由は後日、ルインは知人より聞いていたため知っていた。彼の上着の内ポケットにしまわれていたリングがその証だ。寄り道は自分を想ってのことだった。ルインは嬉しい気持ちを抱きながらも、こんな結果になるのなら無理にでも一緒に帰るべきだったと、今でも後悔する。
悪魔の報せについてはレイエ本人、そしてルインの兄にも関係することが軍の調査でわかった。過去、悪魔奇襲による討伐作戦が行われた際、きっかけとなる出来事があり、それは一時期、ルインとレイエを仲違いさせる原因にもなったことだ。でも、だからこそ二人の距離は縮まったともいえる。
彼が一人で討伐へ向かった理由は、場所が軍の警戒域外だったため、勢力が増す前に早めに掃討する必要があると判断したことが要因だった。
そして、ルインと妃砂が訪れる前のことだ。
『僕が外へ出た時、貴方たちが到着する前、レイエはまだ生きていたんだ…』
リムセアの言葉にルインは「え…」と驚いた表情を浮かべ、風精霊の話に耳を傾けた。
*
「これで終わりだ」
悪魔の言葉を最後に、辺りはしんと静まり返っていた。どうやら悪魔は立ち去ったらしい。
── レイエはどうなったの?
そう思ったとき、僕の視界は突然明るくなった。光に囲まれたような眩しさが続いたかと思えば、気が付くと初めて見る世界の景色が目の前に広がっていた。
ふと自分の足元を見やると、剣があった。レイエの剣、風星剣だ。
すぐに理解できた。やっと僕は実体化できたのだっ!自分自身の姿を見ることはできないが、背中には翼があり、背丈は剣の柄くらい。小さな妖精のような風貌かもしれない。
『レイエはどこ?』
喜ぶのも束の間。無事を信じたい一心で僕は辺りを見回した。崩れた建物が並ぶ廃墟街の風景。けれど、その中で碧色の瞳に映ったのは…。
『ああ…嘘だ、間に合わなかった……どうして、せっかく出会えたのに…』
剣が落ちていた少し先で、レイエと思われる人間が瓦礫を背にして倒れていた。剣士の身なりをした蒼い髪の青年。
近くへ寄ると、胸の傷が深く出血が酷い。流れ出た血は地面を染めている。他にも刃物か爪痕のような裂傷が多数見受けられた。
彼は、動かない。
『僕が、僕がもっと早く実体化できたなら……うう…』
レイエの傍らで、悲しみを抱いた時だった。
「誰…だ? 泣いて、いるのか……」
『レイエ…!!?』
「妖精……?」
『レイエ、無理に声を出さないで。僕は風星の精霊リムセア。頭の中で話をしよう』
驚いた。レイエはまだ生きていた。辛うじて息があり、うっすらと瞳を開いた。諦めかけていた僕は声を聞いた瞬間、信じられない喜びを抱いていた。この僅かな灯を失いたくない。
僕は必死になって回復させようと試みた。けれども外へ出たばかりの僕にはまだ治癒力を使うことが出来なかった。彼の傷口を塞ぐことも出血を止めることでさえ。レイエは蒼い瞳を細めながら僕に言った。
「リムセア、だったか? 止せ、俺にはもう通用しない……悔しいけど、ここまでなんだ」
『そんな、どうして…? 僕はずっと君に会いたかった、力になりたかったんだ!』
「俺を知っているのか? どこかで会ったか…?」
『僕はレイエが持っている剣、風星剣の魔力から生まれた精霊だよ』
「剣の魔力……そうか。ごめんな、ずっと気が付かなくて……俺にはあまり、縁のないことだったから」
『ううん。大事なことは、レイエがずっと大切な人を守ろうとして剣を使っていたから…その想いが僕を生み出したんだ』
「俺の想いが、精霊に…? そんな不思議なことがあるんだな…………なぁリムセア、少し俺の話に付き合ってくれないか」
『もちろんだよ』
こうして僕は、レイエと残り少ない時間を過ごした。短いながらも、とても長い時間だったようにも思う。
レイエは僕にいろいろな話を聞かせてくれた。内容のほとんどが彼が大切に想っているルインのことで、出会ってから今までのことを教えてくれた。ルインのお兄さんのことも話していたっけ。
風星剣を通じて、いつも感じていた持ち主の存在。
彼 ── レイエは、僕が思った通りの素敵な人だと感じられた。
だからこそ叶うならば…。
話に区切りを付けたレイエは残念そうに呟いていた。
「ルインにすぐに帰るからって言ったんだけど、約束を守れそうにない……怒るだろうな」
『……レイエ、ごめんなさい、僕がもっと早く支援できればきっと』
「リムセアが気にすることじゃないよ。あの悪魔は、俺の不始末が招いたことなんだ。最近いろいろ上手くいきすぎて……罰でも当たったのかもな」
自嘲するレイエの声は僕を元気づけようとして明るかった。身体は血だらけで、酷い痛みを伴っているはずなのに。僕は何度か止血を試みたけれど、先と変わらず何も出来なかった。そんな僕を見てレイエは「無理するな」と気遣ってくれた。
でも、時間はどんどん過ぎ去っていく。
そのうち頭に響くレイエの言葉は途切れるようになってきた。
「もう、長くない…ようだ……リムセア、先に礼を言うよ…ありがとう」
『レイエ、何言ってるの?まだ早いよ…』
「本音を言えば、俺は……ずっと、ルインのそばにいたかった。あいつは、俺がいなくなったら……」
今まで明るかったレイエの声が少し悲しみを帯びていた。きっと、僕の前でずっと強がっていたんだ。自分に押し迫る時間を忘れようとして。最後になると悟ったレイエは、自分の本当の気持ちを言葉にしたのだと思う。
「リムセア、押しつけのようで悪いけど……あいつの、ルインのこと…頼むよ。そして、伝えてほしいんだ……そばにいてやれなくて、ごめん…って…………それでも、俺はずっと、ルインのことが大好きだよ……世界中の誰よりも、ルインを愛しているって」
『そんなこと言わないでレイエ、まだ駄目だよ!今助けを呼んで』
「…ごめん、俺は…もう………最後に…リムセアと話せて、よかったよ…──」
『レイエ…?』
「………」
『ねぇレイエ! レイエ…!! そんな、嫌だよ!せっかく会えたのに、すぐにいなくなってしまうなんて……!!』
言葉は返ってこなかった。蒼い瞳は静かに閉じられている。
僕は小さな身体でレイエの肩を揺らし、彼の意識を呼び戻そうとしたけれど、駄目だった。
『うぅ……うわあああああーーーーー!!!!!』
*
『…それからしばらくして、貴方たちが来てくれたんだ。でも僕は、合わせる顔がなかった』
「そう、だったのか……」
今まで知り得なかったレイエの最期。彼が残した言葉にルインの目頭が熱くなる。レイエは心の底から自分のことを想っていて、命が尽きるその時まで心配していたことを知り、無性に泣きたくなった。遠い昔のことが、つい昨日のことのよう。
ルインは溢れそうな涙を拭い、6年前のことを思い出しながらリムセアに言った。
「あの日、私は声を聞いたんだ。頭の中に響く叫び声を……あれはリムセア、君だったんだな」
『僕は、何も出来なかった…レイエを助けたかったのに、無力だった……だから、だからずっと!』
肩に力を入れて己を責める精霊に、ルインはそっと手を伸ばして彼に触れた。
「リムセア、もう気にするな。ありがとう、私にレイエの想いを伝えてくれて。君がいなければ今日まできっと何も知らないままだったんだ。あの日も、君の声が聞こえたから……私はレイエのもとへ行けた」
『ルイン…でも』
「レイエのことは君のせいじゃない。無力なのは私も同じだ。私だってずっと、そう思ってここまで来たのだから」
『ルイン…』
「私も自分に力があれば、両親も兄さんもレイエも皆失うことはなかった……そう思う。でも、今ようやくひとつの仇を取ることができた。それはリムセア、君が助けてくれたからだ」
ルインの優しい言葉にリムセアは困惑した。自分が今まで伝えられなかったレイエの想いを聞けば、すごく悲しむと思っていたからだ。彼を失くして一番辛いのは彼女の方なのに。どうしてこんなに優しいのだろう。
『僕は、もう一度外へ出るのが怖かったんだ……今さら目覚めても、僕に出来ることなんて無いと思っていたから』
「そんなことはないよリムセア、大丈夫。ほら、もう顔を上げて…」
ルインに促されてリムセアは俯けていた顔を上げた。そこには涙を浮かべながらもやんわりと微笑むルインの顔があった。紫黒の髪に、紫色の瞳。レイエが守りたいと願った、大切な人。その時、ああそうか、とリムセアは彼女の優しさの理由が少しわかった気がした。ルインは大人になっているんだ。自分は6年前から時間が止まっていたけれど、彼女は前へと進んでいた。
「今は私と、妃砂がいる。君は一人じゃないよ」
『僕は…このまま一緒にいてもいい?』
「もちろんさ、リムセアさえ良ければ。そうだろう?妃砂」
『ええ、彼を誘っていたのは私ですから。リムセアの力はマスターの助けになりますし、味方は多い方が心強いです。リムセア、言った通りでしょう?私のマスターはとても素敵な方なんです』
ルインと妃砂の温かい視線を受けたリムセアは不思議な気持ちを抱いていた。初めて感じた居心地の良さに心がすぅっと軽くなる。きっとこれが、安心感というものなのだろう。
今の気持ちを忘れてはいけない、そう思ったリムセアは『二人とも、ありがとう』とほんの少し微笑むと、敬意を込めて言葉を続けた。
『契約は破棄しないよ。ルイン、僕を貴方の宿霊にしてほしい』
「そうか……ありがとうリムセア、私からもお願いするよ」
互いに顔を合わせたルインとリムセアは、改めて契約を綴り交わした。
風星剣を取り出したルインが刃を横に携えると、その刀身にリムセアがふわりと降り立った。共鳴した風星剣が淡い光を放つ。魔力が反応していることを確認したルインは契約の言葉を綴る。
「我が名はルイン・ルオシェイド、今ここにアグアノスの契約を結ぶ。宿媒は風星剣、宿りし精霊は風星、名はリムセア。宿霊となった風星は我を主と認め、その力を我に示せ」
『風星のリムセアは、ルイン・ルオシェイドを主と認めよう。アグアノスの契約は今ここに成立した』
互いの契約の誓いが終わると、風星剣の刀身には古代言語による光の文字が刻まれた。閃いた文字は刃に溶けるように消えていき、契約の儀式は完了する。風星剣の放つ光が納まると、ルインはリムセアに言った。
「これからよろしく頼むよ」
『うん、よろしくね。ルイン』
アグアノスの契約、宿媒は風星剣。
契約により付与される力は風と光、風星リムセアの加護だ。
その加護はルインの風と光の魔法を強化し、詠唱短縮と移動支援を促進することになる。
こうして宿敵を倒したルインに残された目標はただひとつ。
魔界を統べる魔王だけだ。
── 戦いはまだ…終わっていない。
仇は取っても悪魔は……魔王は生きている。世界はまだ平和を取り戻したわけではない。
魔王を倒さない限り、本当の永い戦いは終わらないのだ。
契約を済ませ風星剣を鞘に納めたルインは、しばらくその剣柄に手を添えていた。風と光の魔力がほんのりと自分へ伝うのを感じながら一人思う。
── レイエ、リムセアから聞いたよ。最後まで私のことを想ってくれてありがとう。今日やっと、仇は取った。でも、まだ終わっていない。あとは魔王だけなんだ…………もう少し、力を貸してほしい。
さらなる決意を胸に抱き、ルインは歩き出した。
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