First Chronicle 魔導士ルイン

32. 覚醒の星光ほしひかり

 一瞬だけ、目を開けていられないほどの激しい光が放たれ、時が止まったようだった。
 静かに視覚だけがその時間を物語る。

 ざっ、ずずっ…

 闇の空間に響く鈍い音。
 がくん、と冷たい地面に膝をつき、そこから液体がじわりと流れて広がった。
 一本の剣が、無慈悲にも対象を貫いている。
 しかしそれは…。



「馬鹿…な……」
 ガロが小さく呟く。仮の姿でしかない青年の蒼い瞳が、本来の持つべき紅色へ戻りかけ、瞳孔は開いたまま瞬きはしない。
 彼の懐に、ルインがいた。彼らの間には、白く眩い光が溢れ出ている。何かの反動でガロの翼がばさっと広がり、強い痙攣を引き起こして震えていた。
「なぜ…こうなった……?…僕が、君を殺しているはず…なのに……」
 ついさきほどまで悪魔が手にしていた剣は今、ルインが握りしめていた。そして、悪魔の身体を貫いている。剣は光属性を備えており、闇属性を持つ悪魔に耐え難い苦痛を与え続けた。全身の力が入らない。いったいどうして。なぜ立ち位置が逆転しているのか。
 ガロには、この状況が信じられなかった。



 ほんの一瞬の出来事だった。
 その僅かな閃光の中で、たくさんの時間が過ぎていたことを、ルインは理解する。



 ガロが剣を振り下ろそうとした時だった。風星剣の刀身が突如光輝き、時を止めた。同時にルインの頭の中で、声が鳴り響いた。聞き馴染みのない声であったが、どこかで聞いた声色だった。
 その声が大きく呼びかけてきた。
 ── 今のうちに剣をっ!急いで!!
 悪魔の動きは止まっていた。けれど、不思議にもルインの時間は流れているようだった。身体があちこち痛むのを感じながら、ルインは自分を捕えている腕を払い除け、立ち上がった。周りの空気がキィィィンと耳鳴りに近い音を立てている。
 ルインが剣を取り戻した時、再び声が聞こえて懐かしい優しさに包まれる感覚を抱いた。剣を伝って、全身に新しい魔力が流れ込んでくる。これは風と光の魔力。
 ── ごめんねルイン、今説明する時間はない。僕を信じて。
 子供のような幼い声が言う。真っ直ぐな強い意志を感じたルインは声の主に応えた。
「私は何をしたらいい?」
 ── 剣を構えて離さないで。そのあとは僕に任せてほしい…。
「わかった、君を信じる」
 ── …ありがとう。

 再び時間が動き始める。
 ルインが構えた剣は白緑の光を纏った。その剣先は、迷いを断ち切るように悪魔の胸へと突き刺さった。



 悪魔の懐でルインは静かに告げる。
「ガロ、お前の負けだ」
「何、だって…?」
 ガロは小さく眉を顰めた。ルインの瞳に映る悪魔は、未だ青年の姿のまま。彼に動ける力がないことを悟り、ルインはゆっくりと剣を引き抜いて離れた。剣と衣服に悪魔独特の青い血がまとわりつく。地面も同じ色に染まっていた。
 支えを失い倒れそうになったガロは右手を地面に付き、もう片方の手で傷口を抑えながらルインを睨み上げる。ガロの苦しむ姿は青年そのものであるはずなのに、彼女の紫色の瞳は動じることはなかった。
「いったい、どうして…」と状況を疑問視する悪魔に、ルインは言葉を返す。
「この剣は、私を裏切らなかった。そして」
 ルインは剣を纏う血を振り払い、再び悪魔へ差し向ける。剣の袂には見覚えのない、白緑に輝く小さな精霊がいた。剣が持つ魔力が実体化し、翼をもった少年の姿を現わしている。
 風星剣に宿る精霊リムセアだった。彼は少しだけルインの方へ振り向くと、こくりと頷く。リムセアの存在を認めてルインは確信する。
「貴様を倒すために、風星剣は覚醒したんだ…!」
『ガロ、もうお前の思惑通りにはさせない!』
 ルインとリムセア、二人の意思が同調した時、新たな宿霊の契約が交わされた。


 剣から溢れ出る光は、覚醒の星光。
 魔導士に、風と光の加護が加わる。


 胸を貫かれたガロの意識は朦朧としつつあった。けれども強靭ともいえる彼らの生命力はすぐには消えない。
 息を荒げながらもルインの兄と同様に、武器を具現化させようと片手を広げる。しかし、掌に集約する力が一向に出てこない。集中が足りないのか、もう一度。だが、何も起きない。なぜだ?
 その間、ルインは風星剣を頭上から大きく振り下げて衝撃波を放っていた。風と光の刃が地面を這いながら突き進んでくる。ガロは避けようと体を逸らしたが、先読みしていたルインによって追撃の魔法が降り注ぐ。連続で放出された光のナイフが悪魔を狙い撃ち、数本が身体に突き刺さった。一つ一つが急所を突くような鋭い痛みを与えていた。
「ぐうぅ…!なぜだ、何がどうなっている…!」
 想定外のダメージを受けた悪魔は苛立ちながら呟いた。魔法の効果を認めたルインは「やはりそうか」と言葉を返した。
「今のお前に、魔力はない」
「何…?」
「記憶から本人の能力も復元すると、お前は言ったな」
「そうだよ…それが、どうしたって言うんだ?」
「私の記憶にある…レイエの能力を、よく考えろ」
「!?」

 ガロの特殊能力・記憶昏睡は相手の精神へ干渉し自分自身へも大きく影響を及ぼす力だった。それは相手の記憶力に比例する。確固たる記憶があればあるほど、ガロは記憶を繊細に復元することができた。逆を言えば、半端な記憶では完全な復元が叶わない。この能力は、記憶や思い出を強く持っている対象にこそ絶大な効果があった。その一例が、多岐に渡り感情的な記憶を多く持つ人間に当てはまる。
 記憶を復元する、それは見た目だけではない。

 ルインはガロに向かって癒しの魔法を唱えた。優しい聖なる光は、敵味方を問わず対象の傷を回復させるものだが ──。
「な、にを…!? うぐ、ああああぁぁぁーーー!!」
 悪魔が受けたのは至福の癒しなどではなく、全身を火で焚べられたかのような悶絶する痛みだった。傷が抉られて更なるダメージを被る。苦しげな声を上げて悪魔は憔悴した。その姿を見て、ルインは少し寂しげな表情を浮かべながら言った。

「レイエは…………神が与えた罰、魔力無し」

 世界の人々は魔力を持って生まれてくることが当然だった。けれども類稀に、全く持たない者も存在した。彼らは「魔力無し」と呼ばれて、「神が与えた罰」だと揶揄されていた。
 魔力無しに対する魔法は、些細な微力であったとしても、脅威的な力となる。例え、癒しの力だとしても。

 ルインは辛かった。風星剣の覚醒、そして復元された彼の能力、それらは自分を勝利へ導こうとしているように思えた。けれど、例え目の前の存在が偽りであったとしても、彼の弱点を付くことに変わりなくて、本当に彼自身を傷つけているような感覚に陥りそうだった。しかし、今ここで躊躇ってはいけない。相手は悪魔だと言い聞かせる。
 感情を切り捨てるため、ルインは心の中でそっと呟いていた。
 レイエ、ごめん…と。


 思わぬ反撃によってダメージが蓄積され耐えられなくなったガロは、蒼髪の青年から徐々に悪魔へと戻り始める。元の姿になったガロは少しだけ自分本来の力を取り戻した。
 悪魔は余力を振絞るように地面を這い、ルインへ斬りかかろうとした。決死な様子で片腕を振り上げる。
「このままで…済むと思うなっ…!!」
 鋭い爪ががちゃりと音を鳴らした。だが、風を味方にしたルインは軽やかに反応する。後方へ飛び退いて回避すると、よろめく悪魔を見据え、言葉と陣を並べ始めた。風星剣の魔力が作用を促しているのか、普段よりも早々と魔法の準備が完了する。
 その時ようやく聞き慣れた雷精霊の声が耳に入ってきた。
『ルイン…!やっと繋がりましたか…』
「妃砂、無事だったか」
『当然です! ああ本当に良かった…リムセア、貴方になんと感謝したらよいのか』
『そんな、僕は別に……それよりも今は』
『状況はわかっていますよ』
 主のもとへ戻ってきた魔導杖は紫色の光を帯びていた。雷光の魔力を確かめるようにルインは馴染みの武器を手に取ると、二人の精霊に言った。
「妃砂、リムセア、共に力を貸してくれ……終わらせる」

 感じたことのない痛みに身体が支配されているガロは、攻撃が空ぶると悪態をついた。
「ああ、くそっ…!」
 貫かれた傷口からの流血が絶えない。翼を動かそうにも神経が麻痺しており、飛ぶことも叶わない。
 この自分が、人間にやられるというのか? 一人の、女魔導士に? 信じがたい屈辱だ。彼女の記憶に残る彼らならば、辛辣なダメージを与えられるはずだった。実際効果はあった。彼女は青年の姿に僅かながら心を許し、兄を見て攻撃を躊躇ったのだから。だが、剣士の魔力無しは誤算だった。自分の能力のデメリットは、読み込んだ記憶を否応なしにすべて復元されてしまうことだと、今更ながら気付いてしまった。
 未だかつて抱いたことのない感情を覚えて、悪魔はぼやけてゆく視界の中、魔導士の影を見る。
 右手に剣、左手に魔導杖を携える彼女の表情は凛としていて、決意に満ちていた。


 ルインは流れるような仕草で陣を描き並べて言葉を綴り、ふわりと魔導杖を振るう。炎、水、雷、風…数多の魔法が一つの光となって、悪魔へ向かって注ぎ込まれた。手負いのガロは魔法を回避することができない。
「ぐあああぁぁぁぁっーーー!!!!」
 魔法は無慈悲に炸裂して、悪魔の叫び声が反響する。
 その間にルインは風の力で敵のもとへ近づくと、魔力を込めた風星剣を振り上げて、銀閃を放った。
「これで…最後だ!!」
 空を掻いた剣は、躊躇うことなく振り下ろされた。



 ……ザシュッ!!


 ………。



「はぁっ……はぁ……くっ…!」
 大きく息を切らしながら、ルインはガロに突き立てた剣を引き抜いた。勢いで青い鮮血が再び辺りを支配する。
 横たわる悪魔は二度と動かない。彼を包んでいた闇の気配が消えていき、紅い瞳は色を失っていた。
 ── これでようやく報われる…。
 訓練場の静まり返った空気に自分の息遣いが響く。ルインはホッと安堵していた。

 けれども。

「………」
 なぜか、黒い闇が自分の前を掠めるのは、気のせいなのだろうか。
 ルインは妙な感覚に戸惑っていた。考えていたのとは違う感情が自分の中に現れていたからだ。念願の仇を取ったというのに、残っているのは冷えた憂鬱に似たもの。仇のガロを倒せばその達成感で亡き兄や友にも胸が張れると思っていた。けれどもどこか、すっきりしない。ひどく疲れているせいなのか、頭の中が上手く回らないだけなのか。
 ── これが仇討ち…?
 息を整えながら思考を巡らせていると、妃砂が嬉しそうに現れた。
『ああ!本当に良かったルイン!!』
「妃砂?」
『気を悪くしたのなら先に謝ります。でも私はもう、貴方が駄目かと思ったんです…だから』
 彼の顔をよく見ると目元がほんのりと赤いことに気付き、ルインは想像以上に妃砂を不安にさせたことを知る。
 今までずっと妃砂の声が届かなかった原因は、ガロの特殊能力のせいだった。記憶昏睡は対象者の精神に強く作用する。そのため記憶に囚われている間は、正確にはガロが記憶の姿を保っている間、ルインと妃砂の意思疎通が遮断されていた。致命傷を受けた悪魔が能力を解いたとき、ようやく妃砂はルインの意識を把握することが出来たのだ。
「謝ることはない。私もあいつの罠だとはわかっていたんだ…でもあれは……私には、本当に蘇ったようにしか…」
 ルインは今一度息絶えた悪魔を見やり、偽りの中でも存在したレイエの姿を思い出す。ここに彼はいない。それなのに、いつまでも心に強く残り続けている。想いを振り切るには、まだ時間が足りないのだろう。ルインが感傷に浸っていると、近くで震える声が零れ落ちた。
『ごめんねルイン……僕の、せいなんだ…』
 ルインと同じ目線で羽ばたいていたリムセアは、顔を俯けて悲しみの表情を浮かべていた。
「なぜ謝る…?私は、君のおかげで助かった」
 眉を顰めたルインが聞き返すと、小さな精霊は声を強張らせた。
『それは約束したから……本当の僕は……無力だったんだ!!』
 リムセアが何か普通の状態ではないと察してルインは一度、妃砂へ目を向ける。事情を知っているらしい雷精霊はただ黙したまま、小さく首を振った。自分からは話せない、そういう合図だ。ルインはややあってからリムセアへ静かに言葉を紡いだ。
「まだ会ったばかりで君のことはわからないが…私を救ってくれたことに変わりない。だから、お礼は言わせてほしい……ありがとう」
 リムセアはしばらく黙り込んでいた。自分にお礼を言われる資格はないと思っていたから。でも何か言葉を返さないと、そう顔を上げた時、そばにいる魔導士が少しだけ微笑んでいることに気付く。ついさっきまで殺気立って戦っていた魔導士が、今は優しい顔を見せていた。心がほんのりと温かくなる。
『僕は…』
 そう言いかけた時、滅多に見せないルインの表情を垣間見た妃砂が思わず声を上げていた。
『リムセア、先に言っておきますけど、レディの最初のアグアノスは私ですからね?ずるいですよ、私を差し置いてマスターの笑顔を見るなんて!』
『え…え?僕はその』
 ルインが少しばかり気を緩めたものだから、妃砂はリムセアを羨んだ。けれど、口調は不満そうではあったものの彼の表情はどこか楽しそうだった。この場を和ませようとわざと横槍を入れたのだろう。妃砂の言葉でルインは大切なことを思い出した。
「そうだった。リムセア、さっきの契約は……破棄できるから」
 ルインの言う契約は、アグアノスの契約のことだった。悪魔を倒すため、戦いの中で必然的に交わされた風星剣との繋がり。リムセアは即答できず迷った。素直な気持ちで言えば答えは出ていた。でも、自分は彼女に話さないといけないことがある。
『……ルイン、僕は貴方に大事な話がある』
「私に、話?」
『僕が知っている…レイエの話だよ。聞きたくないかもしれないけど。契約は、僕の話を聞いた貴方に判断してほしい』
 彼の名前を聞いて、ルインは自分の胸の鼓動が大きくなるのを感じた。期待と不安が混ざる複雑な想いが脳裏で交錯する。
 少し間を開けてからルインは応じた。
「……わかった」

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