First Chronicle 魔導士ルイン
31. 風星
声は、聞こえていた。
自分のすぐそばで幾度となく殺気が飛び交っている。金属がかち合う反響音、鋭い衝撃音、その中に時折交る光と闇、辺りには禍々しい魔の力が溢れていた。
戦っているのは悪魔と人間、そして雷光の精霊。
僕は、彼らの事をずっと以前から知っていた。
*
『君は、この剣の…?』
僕の存在を認識したのは雷光の精霊・妃砂だった。彼は僕と同じ宿霊。けれど、僕はどうしようもないくらいの絶望と無力感に支配されていて、言葉を返すことが出来なかった。
妃砂は時間さえあれば僕の元へやってきた。行く宛てを見失った僕を気遣ってくれたんだ。優しい言葉を掛けてくれて、本当は嬉しかった。……一人でいるのは寂しかったから。
けれど、彼の好意に甘えることは出来なかった。いくら元気付けてもらっても、自分自身が抱えた心の傷はあまりに大きく、簡単に癒せるようなものじゃなかった。なぜなら、僕はずっと剣の持ち主に出逢うことを楽しみにしていて……それが叶わなくなるなんて思いもしなかったからだ。
剣に強い想いを込めてくれた人がいたから僕は ── 風星のリムセアは生まれた。もともと剣の魔力でしかなかった僕に、命を与えてくれたんだ。
その人の名前は、レイエ。
いつも聞こえていたんだ。彼の声と、彼と言葉を交わすもう一人の声。剣を通じて僕は様々なことを知った。レイエはその人のことをとても大切に想っていること。自身の命を投げ出すほどに護ろうとしていたことを。
だから僕の期待は自然と大きくなっていた。そこまで人のためを想う剣の持ち主、レイエはどんな人物なのだろう? と。
でも、僕が初めて外へ出た時、彼は…もう……。
あの日は、すぐにでも雨が降り出しそうな天気だった。
不思議なことに、僕はこの日、特別なことが起こるという予感を感じていた。それは僕にとってもレイエにとっても悪いことではなく、良い意味での兆しだと思っていた。
いつからか、レイエは国の騎士魔導隊に所属する士官剣士として日々従事していた。この日も魔物を討伐する任務があって、前線で戦っていた。彼の隣には信頼できるパートナーがいた。その人は女の魔導士で、ルインという人だ。
レイエはルインのことが大好きで、いつも彼女のことばかり考えていた。昔、いろいろ確執があったみたいだけど、それは和解されていて仲良しだった。仲間、友人、親友……ううん、二人は恋人だった。
この日、レイエはルインに求婚しようと決めていた。正確には婚約自体はもう済ませてあったから、その約束の証を渡す予定だった。だから仕事が終わった後、いつもは二人揃って帰るはずなのにレイエは「まだ仕事がある」と言ってルインを先に帰らせた。仕事があるというのは出任せで、本当は知り合いのクリエーターに特注していたものを取りに行ったんだ。それは、思い出を詰め込んだ宝石で作られたリング。
大切な証を受け取ったレイエは真っ直ぐに帰宅して、ルインを喜ばせる……はずだったんだ。
帰宅途中、予定が変わった。
脇道から慌てて飛び出してきた住人に悪魔襲来の報せを聞いたものだから、レイエは現場へ向かうことにした。……本当は、行ってはいけなかったんだ。その報せは、最初からレイエを狙って仕組まれた罠だったから。
でもレイエはそんなこととは知らずに、帰る前の一仕事だと思っていただろう。
この時、僕はまだ目覚めることが出来なかった。自分の中ではもうすぐ目覚めるという感覚があったけれど……まだ、だった。
剣士としてのレイエは強かった。彼の戦闘センスは人並みを超えていて、魔物が数多く群がっていても難なく片付けてしまう程だ。数多の戦を勝ち抜いてきた剣豪のような相手でなければ、彼と互角に剣を交えることは困難だろう。レイエの剣裁きは、どうやら彼の過去にも起因するようだけど、詳しいことを僕は知らない。
話に聞いた現場は、街はずれ ── スラムにも近い廃墟街にあった。レイエが向かったのはその奥地。人が住んでいるような区域ではないため、軍の警戒域には入っていない。
その場所には確かに悪魔が群がっていた。士官としての責務、人々の日常を脅かす要因を取り除くために、レイエは剣を抜き、銀閃を走らせる。下級悪魔であったせいなのか、戦闘はすぐに終わった。彼の敵となる相手では無かったんだ。あまりに手ごたえがないから拍子抜けしていたんだと思う。でもこれで寄り道はおしまい。
レイエはきっと、帰った後のことを、ルインが驚く顔を思い浮かべていたに違いない。早く帰らないと。
僕も、楽しみに思っていた。
それなのに、どうしてなのだろう……。
油断、していたせいもある。でも、どうして……どうして…………!?
ざっ
「…っ!!?」
あの一瞬は……僕には、よくわからなかった。ただ、凄く嫌な感覚が全身に奔ったのは確か。レイエの声が聞こえたはずだけど、よく聞き取れなくて、気付いた時には剣から伝わるレイエの力が急激に薄れていったことを知った。
レイエの身に何かがあったんだ。でも何が起きたのかわからなくて、僕は早く目覚めなければ! と必死になった。
目覚めの時は確実に近づいていた。
けれど、あと少しなのに力を出すことはまだ出来なくて、僕は酷く焦っていた。なぜなら、レイエが誰かと言葉を交わしていて、良くない会話が聞こえていたからだ。
「あははははっ! あーあ、人間ってあっけないよねぇ。こうも簡単に騙されちゃってさぁ…?」
「お前は…!……あの時の…悪魔、…か……?」
「くくく、久しぶりだねぇ…剣士様? 覚えてくれていて僕は嬉しいよ♪」
「…っ……がはっ!…くそ……」
「残念ながら、君は僕を見破ることが出来なかったようだ。まぁ、それで好都合さ。おかげで手間を掛けずに君を葬り去ることが出来そうだよ」
レイエが対峙していたのは一人の悪魔だった。さきほど倒した下級悪魔ではなく、彼らを統治していた上位悪魔だ。いつの間に現れたのだろう。間近に伝わってくる邪悪な闇の力は禍々しいものだった。
会話を聞く限り、レイエと悪魔は互いに知っているようだった。そして、レイエは負傷していた。息は上がり、何度も言葉を詰まらせて……おそらく致命的な傷を負わされていたんだ。剣は握っていた。けれど、そこから伝う彼の力は少しずつ弱くなっていた。もしかして腕をやられたの…? 今の僕は、音と感じることでしか事態を把握することが出来なくて、ますます不安と焦りが募っていた。
すぐにでも目覚めて手助けしたいのに、僕はまだその時ではなかった。
その間にも、レイエの境遇は徐々に悪い方へと進んでいる。
僕は、何もできない…。
── やがて、時は来てしまった。
「君も同じだね。いくら相手が偽っているとはいえ、愛する者の姿とあっては歯が立たないようだ」
「だまれっ…! この、悪魔が…」
『レイエやめてくれっ!! 私が、分からないのか!?』
「なっ…!? …く…!!」
「あははっ!! おっかしいなぁ! もう♪」
「…はぁっ、……はぁ…」
「そろそろ終わりの時だ。残念だけど剣士様、ここでさよならしないとね」
「ぐっ……俺は、まだ…」
「手負いながらもまだ生きようとする根性、それは褒めてあげるよ。実は言うと、僕はもっと早く済ませるつもりだったんだ」
「…はぁっ、ぐあ…!?」
「フフ、君との闘いは思っていたよりずっと楽しかったよ。もっと続けてもいいくらいだ。でも、駄目なんだよねー。本当に残念。理由は、聞かれても言えないよ…?」
「……う…あ…」
「ふぅん、もう応える気力も無くなってきたのかな?」
「これで終わりだ」
「……」
悪魔の言葉を最後に、レイエの声は聞こえなくなった。
*
風星剣に宿り続ける精霊は、ずっと過去を引きずったまま今もなお、自身を閉ざしていた。
主を失ってしまった遠い記憶が、いつまでも頭の中で繰り返されてしまう。
自分にもっと強い力があれば、未来を変えられたのかもしれない。そう考えて、いつも同じ悔しさを抱いていた。
声が聞こえていた。
ああ、あの人がまた戦っているんだ。自分と同じ気持ちを抱きながらも、僕とは違って前へ進み続けている。
僕は諦めてしまったのに、彼女は諦めていないのだ。心が強い人なんだと思う。
そんなことを感じていた時だった。
『風星…リムセア!!』
風星剣の精霊 ── リムセアは、突然怒鳴られるように名前を呼ばれて身体を震わせた。聞き覚えのある声だった。
声の主は雷光の精霊・妃砂だった。また、いつものように僕を外へ連れ出そうと訪ねてきたのだろう。
しかし、予想とは裏腹に、妃砂は今まで見せたことがない悲観気な表情を浮かべていた。
『お願いだリムセア……無理矢理なのは良くないことだとは分かっている。でも…君の力が必要なんだ』
『……僕は、何もできないよ。だって僕は』
聞きなれた会話から逃げようとリムセアは背を向ける。その時、妃砂の掠れた声が零れ落ち、普段と様子が違うことに気づく。振り返って妃砂を見上げると、明るい髪色から覗く紫色の瞳はとても悲しげに、リムセアを見つめ返していた。
『え……妃砂、泣いているの?どうして』
『助けてほしい、私の大切なマスターが……ルインが、このままでは…』
『ルインが…どうかしたの?』
リムセアは顔を顰めると、そういえば妃砂のマスター・ルインは今まさに戦闘中であることを思い出した。そして不思議に思う。片時も離れずに彼女を支援しているはずの妃砂が、なぜ今自分の所へ来たのか。
『ルインに私の声が届かない。私も、彼女の意識がはっきりと、把握することができず……そばにいるのに。おそらくは敵の特殊能力によるもので…』
妃砂は状況を説明するが、言葉の整理が出来ていない様子だった。いつもは落ち着いていて物腰の柔らかい高位精霊は今、冷静さを失って焦っている。それでも彼は伝えるべく話を続けた。
『ルインは精神を干渉されている。身体的危機は、できる限り守りを尽くしているけれど…』
リムセアは困惑していた。妃砂が本気で助けを求めている。
話を聞いて分かったことは、妃砂は今、マスタールインとの意思疎通が出来ないでいること。さらに彼女は、敵の精神攻撃に捕われており、身体的にも危険な状況下にあること。彼自身は彼女を救おうと最善を尽くしているが、打つ手がない。だから、他の助けが必要だということに至った。
最も身近で、助けになるだろう存在がリムセアだったのだ。
自分よりもずっと位の高い精霊が、小さな精霊に頭を下げた。
『リムセア、どうか目覚めて。君の力を、貸してくれ……ルインが戦っている相手は──』
レイエの仇、彼を殺した悪魔だ。
どくんっ、とリムセアの鼓動が膨らんだ。
何だって? 聞き間違いかな? 妃砂は、誰の仇だと言ったんだ?
顔を上げた妃砂の瞳はリムセアの顔を捉えて離さない。リムセアが一瞬反応したことを認め、言葉を続けた。
『ルインは、レイエの幻影を見せられている』
ずきんっ
レイエ、その名を聞いてリムセアの頭が痛くなる。ぐらりと目の前が歪んだような感覚に陥った。しかしそれはすぐに収まると、今度は不思議な温かい光が自分自身を包み込む、そんな錯覚を覚える。
どこからか声が聞こえた。
いや、違う。聞こえたのではない。聞いたのだ。
遠い昔の約束。彼の、最後の想いを。
── あいつの、ルインのこと…頼むよ。
レイエ。
僕は、僕がすべきことは……。
リムセアが心に閉まっていた約束を思い起こした時、辺りに突如、異質な空気が流れ込んできた。重苦しい、不快な風が舞い込んでくる。
これは闇の魔力。リムセアは全身で感じ取っていた。これは、あの時と同じ陰鬱な感覚で…。
妃砂も不穏な力に気付いて顔色を変えた。『ガロが…剣を……』そう呟くのが聞こえて、リムセアは深刻な事態を知る。
『リムセア……ルインが…殺されてしまう………君の、風星剣で…!!』
『!!』
妃砂の叫び声が鳴り響き、リムセアは碧色の瞳を見開いた。
僕は何も出来ない。ずっとそう思っていた。
けれど、それは単なる自身への諦めと逃避でしかないことに気が付く。
僕はまた、何もしないのか? 何も出来ない? 本当にそうなのか?
答えを見つけようと、自身へ問いかける。
今ここで、何もしなかったら後悔する。きっとまた、重い後悔を背負うことになる。
あの時と同じ悲しみは、もう嫌だ! 絶対に── !!
『…そんなことさせない』
リムセアの心は決まっていた。
小さな精霊は自信を取り戻し、初めて両翼を広げた。とても美しい光の翼だった。
『妃砂ありがとう…もう大丈夫。僕が、ルインを助けるからっ!!』
リムセアの身体が眩しい光に包まれた。
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