First Chronicle 魔導士ルイン

3. 異世界の地でⅡ

 色褪せた大地。辺りに漂う霞みがかった霧。
 至る所に黒い森が広がり、遠くの方で異形の魔物が群れている。
 空を見上げれば暗雲がすべてを覆い尽くし、どこを見渡しても光という根源は見つからなかった。
 闇が司る暗黒の世界、オルセイア。



 ルインは森の高台を降りはじめていた。ある程度魔界の環境は見渡せたが、霧が発生していることもあって上からでは地形が望めない。この先は自分の足で確かめるしかなかった。
 悪魔は皆「魔王様」と呼んでいる。“様”が付くくらいなのだから彼の居座る特別な場所、つまり“魔王城”がどこかにあるはずだった。どうにかして見つけ出さなければ……。

 今のところ経過は順調で、この先も常にそうあってほしいとルインは思った。
 しかし、いつ何が起こるのかわからない。異世界とはそういうものだ。
 緩やかな坂を下っていると突如、黒い影が複数現れた。鋭い牙は剥き出され、血走った瞳はルインを獲物として認識しているらしい。獣型の魔物だ。
『レディ、気を付けてください。魔界の魔物は未知数ですよ』
「…言われなくても」
 心配する妃砂を余所に、左で杖を構えたルインは右の指先で陣を描いていた。
「フレイム!」
 掛け声とともに陣から織り成された炎は真っ直ぐ魔物へ向かっていく。接触した途端、業火は勢いを上げて彼らを飲み込んだ。
 だが、魔物も単にやられるわけではない。炎を浴びながらも振り払うように、ルインへ向けて咆哮を唸らせた。
「グルゥゥ……グオォオオオォオオオオオーーーッ!!」
 殺気立った魔物たちが一気に迫ってくる。ルインはその場を動かずに、深い紫の瞳を細めた。
 僅かに、唇だけが動く。
「風よ……」
 ルインが呟くと、応えるように風が吹いた。一見何でもないような大気の流れ……しかしそれは、見えない刃だ。大きく杖を薙げば、たちまち猛威を振るう風刃と化す。

 ザンッ! ザシュ、ザシュ、ザシュ!!

 瞬く間に魔物は切り裂かれ、断末魔と共に血飛沫が舞った。無類に分断された身体がどさりと地面に倒れる。真っ向から襲いかかる風刃を防ぐためには魔法によるシールドを、あるいは相殺させないと不可能だろう。鋼鉄のような強靭な肉体を持っているなら話は別だが。この魔物はそこまで頑丈ではなかったようだ。
 それでも運良く命を永らえたものがいたらしく、生き残った魔物は傷付いた身体を引きずるように後退し始めた。戦線離脱する敵をわざわざ追う必要はないが、他の仲間を呼び寄せる可能性がある。ルインは即座に次の魔法を唱えて、残りの敵を殲滅させた。

『どうやら魔界でも力は上々のようですね』
 戦闘を終えたルインに向けて、妃砂は賛美を称える。けれどルインは何も言わず、自分の掌を眺めながら何かを考え込んでいた。
 気になった妃砂が尋ねると、ルインは「なんでもない」と首を横に振るだけだった。



 その後、何度か魔物との戦闘を繰り返した。遭遇するのは世界では見たことが無い魔物ばかりで、不思議な生態に手こずることもあった。
 しかし、戦う内に相手の戦闘態勢や能力が見えてくる。一度遭遇した魔物であれば、片付けることは簡単だ。
 炎が生む灼熱は、骨の髄まで敵を焼き尽くし ──。
 氷が踊る吹雪は、芯まで身体を凍り付かせ ──。
 風が舞う烈風は、形あるものをすべて断罪し ──。
 地が辿る崩壊は、足場を狂わせ断崖へと誘う ──。
 ルインはあらゆる魔法を使い分け、敵に対して最も有効な手段を選び、そのほとんどを即死させた。一撃必殺と呼ばれる即死効果は魔力の強さだけではなく、相手を見極める力がないと為せない技だ。
 生まれ持った強い魔力。
 努力で培った多大な知識。
 糸を紡ぐように織り成される、無限大の魔法。
 それがルインの持つ力。最大にして、唯一の武器。
 一体、二体、三体……人の匂いを嗅ぎつけた魔物は続々と現れる。けれど、ルインの敵ではなかった。紡がれる言葉と、描かれる陣。いずれも魔の閃光を唸らせて、瞬時に魔物を葬る。
 最後に残った一体が抹消されると、異世界の空気だけが佇んでいた。

 ルインは静かに息を付く。近頃連戦が続いたせいで少し疲れを感じていた。それを察した妃砂は口を開く。
『マスター、そろそろ休んではどうですか?』
「そうだな」
 頷いたルインは辺りを見渡す。霧のせいで視界はあまり利かないが、先の方に小高い場所があった。周りには障害になるものが無くて広く見渡せる。休憩するには丁度良いだろう。
 魔界の地面は固い岩で構成されている場所が多かった。土があるにしても独特の柔らかさはない。黒く染められた冷たい氷にも似ていた。道という道はなく、ただなされるまま自然の創造が至る所に根を広げている。人が歩くことを隅に追いやった獣道は、どこを歩くにも突起物が進路を遮り、ごつごつした表面は徐々に足からの悲鳴を唸らせた。浮遊魔法を使えば楽に進めるだろう。しかし、余計な力は使わないと決めていた。
 ルインは足に響く痛みを堪えながら、この先の事を考えていた。別に考えたいわけではないのだが、無意識のうちに思考は廻っていた。
 一歩、また一歩と踏み出す度に相手との距離が縮まる。進めば進むほど戦闘は増える。それは避けられないものだ。もし可能であるなら、ルインは自分を阻む者をすべて相手取る意気込みだった。彼女にとって、魔界に存在する者は敵としか認識されないのだから。
 しかし、敵を全員を仕留めることは絶対に無理だった。自分という存在は一つきりで、身が潰えればそれでお終いなのだ。絶対的な目標へ辿り着く前に力尽きるなんてあってはならない。いくら強い魔力や優れた知識・技量が備わっていても、ルインは人間。生まれた時から「神が与えた至福」という称号を持っていても、人一人の力には限界があった。
 ── できるだけ力は温存しておかないと。
 今後の展開を危惧しながらも、ルインは細い足でしっかりと前進した。
 精霊が持つ優れた感性は自然とその様子を悟っていた。
 長年の付き合いにより、いろんな意味でルインが強くもあり弱くもあることを妃砂は理解している。声を掛けようと思ったが、彼女の真剣な眼差しはそれを遠ざけていた。空気もことのほかピリピリしている。先にもあったように、ルインは一人の時間を望む傾向があった。周りからあれこれ言われるのを好ましく思っていない。それは彼女自身が集中するためでもある。
 余計な口出しは無用、そういう宣告もあったので妃砂は出かかった言葉を奥へと押し込んだ。

「ここで休憩しよう」
 辿り着いた場所でさらさらと空中に陣を描きながらルインが言った。指先に灯る魔力は即座に効果を発揮させ、淡白な光が一瞬だけ閃いた。視認攪乱兼防衛用の結界魔法だ。それを辺りに張っておくことで、敵に見つからないようにする。例え見つかったとしても、ルインの魔力であればこちらから解除しない限り、あるいは相当強い衝撃が無い限り、すぐに結界が破られるということはない。絶対ではないけれど、ある程度は気休めになるはずだ。
 マスターの言葉に妃砂は『了解です』と事務的な言葉を返した。
「明日にはまた出発だ。それまで警戒を頼めるか?」
『もちろんです。……それでレディ』
 ルインは何だ、と言わんばかりの表情を浮かべる。ややあってから妃砂は続きを言った。
『何度も言っていますが了解は取らなくて結構です。マスターを守護することは契約に基ずく私の役目ですから』
「……ああ、そうだった。すまない、どうも癖になっているらしいな……」
 きっと自分は“主”という立場には向いていないのだろう。そんなことをルインは思い、仕掛けた結界を一度だけ再確認した。
「じゃあ私はもう寝る。何かあったら呼んでくれ」
 そう言って、起伏の少ない地面を選び横になる。自分のマントに包ったルインは数分で夢の中へ入ってしまった。彼女の寝付きが良いこと察するに、相当疲労が溜まっていたようだ。
『呼ぶだけで起きてくれればいいですけどね』
 最近の事を思い返しながら、もう届かない言葉を零す。
 妃砂は杖に宿ったまま、闇にまどろんだ空気への警戒を強めた。

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