First Chronicle 魔導士ルイン

28. 宿敵

 ── 魔王城・上層部
 自室の窓辺から広がる眼下は、延々と続く黒い森と切り立った断崖の風景がある。その中で時折雷光が走る度、彼は赤い瞳を細める。今日も魔物たちが争っているのだろう。もしくは精霊たちが織りなす自然現象か…。

 コンコン

「エルガナス様、シルフィーです。紅茶をお持ちしました」

 ノックと共に響いた若い女の声に悪魔 ── エルナガスは振り向いた。彼は「入れ」と言葉を返し、黒皮と繊細なレースに飾られたソファに座った。
「失礼します」
 扉を開けて入ってきたのは黄緑色の髪を束ねた彼の部下・シルフィーだ。左手にある御盆には紅茶と菓子が載せられている。エルガナスの前で一礼し、紅茶と菓子をテーブルに置くとシルフィーは口を開いた。
「配下から魔界で人間を目撃したとの情報がありました」
「そうか」
「調べたところ、人間は魔導士。魔王様を倒しに乗り込んできたようです」
「魔王を……なるほど」
「いかがなさいますか?」
 シルフィーの問いかけにエルナガスはすぐには答えない。“人間が魔界にいる”という珍しい情報にも関わらず、表情は眉一つとして動じることはなかった。彼にとって人間の存在はさほど注目するようなことではないのだろう。
 ただ、何かを考えるように彼は白い湯気が立つ紅茶を口に付ける。そうしてしばらくしてから、エルガナスは静かな声で答えた。
「今は様子を見るだけだ。もしも城内まで現れるような人間であれば…」
 エルナガスは席を立ち、再び窓辺から魔界の景色を眺めた。外では先と変わらない黒い風景が続くばかりだ。お盆を抱えたシルフィーは主の横顔を捉えたまま、次なる命を待つ。

「丁重にお持て成ししろ」
「はい」


    *


 ミラーの計らいにより、倉庫部屋で十分な休息を得たルインと妃砂はその場を後にすることにした。彼らはもう二度と会うことはない、一期一会の存在となるだろう。ルインと妃砂はミラーにお礼の言葉を交わす。
「ミラー、今でも正直あなたが私たちを擁護する理由がよくわからないが…ありがとう。おかげで疲れを取ることができた」
『わらわは久しくこの部屋で独りきりだった。感謝するのはわらわの方であろう。汝たちの存在、会話はわらわにとって十分楽しめる有意義な時間となった。汝たちが去れば再び長い時を闇の中で過ごすことになるだろう』
「あなたは……ずっとここに留まるおつもりなのですか?」
『見ての通り、わらわは自ら移動することは不可。しかしここは大切なお方との思い出の品で囲まれている場所でもある……わらわの存在はここで良いのだ』
「そうですか…どうかお元気で」
「…世話になったな」
『汝らの目的が果たせることを陰ながら祈っていよう。行くがよい』
 軽く会釈を交わし、ミラーに見送られながらルインは再び緊張の走る城内廊下へ戻っていった。



 城内廊下へ出ると、戦いは避けられない。自分の持ち魔力を温存しながらもルインは必要に応じて悪魔たちと戦った。城内の上部へ行くたび対峙する悪魔は強くなる。
 しかし、敵はまだ侵入者ルインの存在を完全に捉えてはいないようだった。彼らの間に「城内に人間が侵入した」との情報は広まっているらしいのだが、その詳細を分かっているものは数少ない。ルインが魔法に手練れていることを理解していない悪魔が多かった。
 悪魔族という特性なのかはよくわからないが、統一感がない。そのおかげもあり、完全回復したルインは少しずつ魔王城の上層部へ進むことができた。
 そして何度目かわからない戦いは再び始まる。



「いた! 侵入者よっ…!!」
 悪魔はルインを見つけるなり武器を投げてきた。風を切る鋭い音が鳴る。

 ひゅんっ!

 ルインは攻撃を避けると同時に炎の魔法を放った。目の前に現れた紅蓮の炎はごうっと唸りを発して燃え上がる。翼を広げた悪魔はそれをひらりとかわした。武器は軌道を変えて再び音を鳴らす。攻撃を逃れたはずのルインだったが直後、左腕へ痛みを覚えていた。
 見やれば服が少し裂けている。そこから晒された肌は先程治療したはずなのに表面を切っていた。つぅっと赤い線が刻まれて、微量の血が流れ出る。
 ── 風斬りか。
 ルインの放った炎は一時的に両者の姿をはっきりと明確にさせていた。よく見ると悪魔が手にしている武器は今まで目にした歩哨兵とは違うものだ。大半は己が持つ黒爪、あるいは剣や槍だったが……目の前の悪魔はしなやかに弾く細長い鞭を携えている。
「ああんもう! 惜しいわね」
 攻撃を外した悪魔は口惜しそうに呟いた。だが言葉とは裏腹に口元は下弦の月のように歪んでいる。この場を楽しもうとしているに違いない。その心情を知る度、ルインが悪魔に抱く嫌悪のカウントは上がる。
 中心となる相手は女の悪魔だった。色褪せたブロンドの髪が頭の上で束ねられており、魔王城共通の黒い軍服を身に纏う。気になるのは軍服の一部に他とは違うアレンジが加えられていることだ。右腕に階位を示すような腕章があり、着崩したジャケットにはバッジが数個付けてある。さらにブロンドの悪魔が穿いているのはレース裾で飾られたミニスカート。今まで見かけた女悪魔は確か、飾りのないものだった……気がする。
 女悪魔の左右には他に二人の悪魔がいた。数歩後ろで構えていることを考えると答えはすぐに出た。この悪魔は、部下を従える士官兵だ。

 女悪魔は廊下にぱしんっと鞭を打つ。それから品定めするかのようにルインを眺めながら、傍に控える悪魔二人に命じた。
「ディールズ、ロバンナ、あいつを捕まえておしまい。いい? 生かしたままよ? 止めは私が刺すんだから」
 二人の悪魔はニヤリと笑みを浮かべて「わかった」「ふふ、褒美を忘れるなよ?」と了解の意を唱えた。一方は自慢の爪を伸ばし、一方は黒槍をくるりと回して前へ踊り出る。彼らは俊敏な動きでルインに襲いかかってきた。

 その場に留まるルインは詠唱を唱えていた。小さな囁き声は相手に聞きとられることは無い。それでも威力のある魔法を発動させるとなると時間が掛かる。だから悪魔が接触しようする直前、妃砂はルインの周囲に雷撃を響かせて敵の足を牽制した。悪魔が攻撃を躊躇う僅かな間に、綴られた言葉と描かれた紋様は形を成して降臨する。
 現れたのは紫電の毛並みを持つ複数の狼。ルインが魔力で創り出した自立型魔法である。紫電の狼は魔法でありながらも個々に意志を持っていた。彼らは牙をむき出し「グオオォォォ!」と咆哮を挙げて、次々に悪魔の方へ走り出す。
 廊下を駆ける狼を避けようと、先手を切っていた悪魔の一人は翼を羽ばたかせて上空へ逃げていた。しかし、その考えは間違いだ。身なりは狼であっても元は魔法……逃げる標的を追う紫狼は高々と驚異的なジャンプを披露する。焦った悪魔はどうにか狼を払いのけるが、飛びかかってくるすべてを撃退することは不可能だった。
 隙を縫って払いを逃れた紫狼の一匹が悪魔の片足へ咬みついた時、次の魔法が発動する。

 パリパリパリ……パキ、パキ、パキ
「な!? ああアあアアァぁー!!!」

 紫狼が咬みついた部分からは次々と氷の結晶が生まれていた。紫狼から氷牙へと繋がる連鎖魔法だ ── この類の魔法応用術はルインが得意とするものである。
 氷は矢継のように悪魔の全身を走り、すべてを氷で支配する。あとは時間と重力の成すままだった。宙で凍てつく氷塊は翼の機能を失い、やがて重みのまま廊下へ落下する。ひゅうっという音が耳に届いた時、氷塊は床へ衝突して粉々に砕け散った。
 その欠片の一部は後ろに控えている女悪魔の足元まで転がってきた。破損した結晶の中には悪魔の肉片が混ざっている。氷に閉ざされた者が、生きているはずもない。
「っ…ロバンナ、あなた弱すぎよ!」
 部下の末路に腹を立てた女悪魔は乱暴な言葉を投げ捨てると、欠片を荒々しく踏みつぶした。怒りが成すままに彼女は鞭を振るう。
「ディールズ! さっさと人間を捕えなさいっ!!」
 辛うじて紫狼を逃れていた悪魔はすでにルインへ斬りかかっていた。だが女悪魔の命令に不快を覚えて舌打ちをする。それを今実行しているというのに…!
 その様子をルインは冷静に見ていた。

 交錯した杖と槍。互いの武器はギリギリと音を立てて、悪魔は力任せにルインへ押し迫る。ディールズは体格の良い男の悪魔だった。物理的な力の差を考えると非力なルインに勝ち目はない。敵の位置が近いために妃砂の雷護陣も使えない。
 そうなれば、逆転の発想を使うまで。相手は躍起になっているのだから成功するだろう。抵抗していたルインは、不意に力を抜いた。
「…な、にっ…!!?」
 押し合っていた力が急に一方通行になる。抵抗し続けるものだと思っていた悪魔は力を抑制することが出来なかった。押されるまま後ろに倒れるルインは、悪魔の持つ力を利用して流れるように相手を掬い投げる。投げ出された悪魔は不意を突かれたためにまともな受け身を取ることが出来ない。結果、彼は通路の壁へ激突する。盛大な音を立てて壁は崩れた。
 立ち上がったルインはすかさず最期の一撃を放つ。制裁の刃は悪魔の息の根を絶った。

 残された悪魔はただ一人。

「な、何よ、何なのよ…もう! どいつもこいつも役に立たないじゃないっ!!」
 部下二人の呆気ない終末を目の当たりにした女悪魔は赤い瞳を釣りあげていた。手にする鞭は両手で何度もピンっと伸ばされて、怒りの煽りを受けている。
 しかし、彼女の感情が揺らいだのはほんの束の間だ。
 というのも…。
 ── 侵入者がいない!!
 少し目を離した隙に人間の姿が消えていた。いったいどこへ隠れた? この通路に隠れる場所なんてどこにも無いはず…。まさか、自分をすり抜けて先へ行ったのか…!?
 女悪魔は慌てて後ろを振り返る。
 その先に映ったのは、目先に迫る何かの影だ。忍びよる影、それは悪魔を狙う凶器だった。

 がんっ!!

 鈍い音が頭に響く。言葉にならない強烈な痛みが一瞬にして女悪魔の頭部を麻痺させた。
「…! つぅ…!!?」
 あまりの痛みに悪魔は頭を抱える。どろりとした血が手に伝うのが分かった。痛い、痛い痛い痛い痛い…!! 自分に危機が迫っていると知った彼女は乱暴に鞭を振るう。だが、頭の痛みが酷くて全身に力が入らなくなる。悪魔はがくんと膝を折ってその場で屈んでしまった。
 すると、頭上から聞き慣れない声が聞こえてきた。
 それは、透明感がありながらも酷く冷たい人間の声 ── ルインだ。
「…本当に、無駄な生命力を持っているな」
「何、ですって…」
 痛みに耐えながらも女悪魔は気丈になって言葉を返す。どうにか立ち上がろうとするが、悪魔を憎むルインはそれを許さなかった。
 右手の杖に魔力を込めて、躊躇うことなく振り上げる。
「もう終わりだ」
「!!」
 悪魔に同情の余地などない。ルインは女悪魔に止めを刺した。



 戦いを終えて、ルインが残された悪魔の亡骸を片づける中、妃砂はぽつりと呟いた。
『ふむ、悪魔は連携が成っていないようですね。動きが全部バラバラです。この先も同じであればレディの敵ではありませんね』
「そういうわけにもいかないだろう。確かに上下官の仕組みはあるようだが……グループによって違うようだ。油断は禁物だぞ妃砂」
『それは承知していますよ。この先、また悪魔がいますね……これは…』
 余裕を浮かべていた妃砂の顔色が変わる。ルインは眉を顰めた。
「どうした?」
『ルイン気を付けてください。次の悪魔は今までと違います、魔力が桁外れに高い…!』
「敵は何人だ?」
『一人です。この力は確実に上位悪魔でしょう。避けたいところですがこの道は迂回路がありません』
「わかった…四天王かもしれないな。このまま行こう」

 四天王、と自ら口に出した途端、ルインの脳裏は青と赤の色が入り混じっていた。妃砂の様子からすると、この先にいる悪魔はかなりの強敵に違いない。
 杖を握る手の力が余計に強くなる中、楽しい思い出と悲しい思い出が交錯した。
 楽しいけれど振り回されるばかりで苛立った、そんな他愛もない日常。
 思った以上に辛すぎた、突然の訃報。

 もしかしたら、待ち構えているのは“奴”なのかもしれない。あの時、たった一度だけ対峙した、灰色の……。



 ── 僕のこと恨んでる? でもね、君とは戦わないよ。僕の目的は彼だけだから♪



 薄暗い廊下を走る自分の足音がやけに響く。
 その足音の数が一人分から二人分へと変わった時、ルインはピタリと足を止めた。
 杖を身構え、闇に沈んだ廊下の先をじっと睨む。
 見えるものはまだ何もない。
 けれど、ルインの鼓動は静かに高まっていた。
 相手が近づいてくる僅かな気配に悪寒を覚える。
 妃砂の言っていた通り、高い魔力……強い闇の力。

 やがて、廊下の先にうっすらと影が現れた。
 悪魔が姿を現すと同時に、聞き覚えのある声が響いた。

「何だか騒々しいから様子を伺うだけだったんだけど、ここに来て正解だったね」

 悪魔を捉えたルインの瞳の色が一層深くなった。
 悪魔独特の、血のように真っ赤な瞳。
 灰色の跳ねた髪。
 そこから覗く顔つきはどこか幼く、無邪気な表情を見せる。
 右頬には見覚えのある紅い模様があった。
 今まで見てきた悪魔とは違って一回り背が高く、格段に異質な雰囲気を放っている。
 ニコニコ笑いながらルインのもとへやって来たひとりの悪魔。


「お前は……!」


 ルインが長年抱き続けてきた願望 ── 宿敵との再会はついに叶った。

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