First Chronicle 魔導士ルイン

24. 戦いの道

『ルイン、大丈夫ですか…?』
「ああ……さっきは悪かったな」
『こちらこそ貴方の様子に気付くことが出来ずに申し訳ありません。早く気付いていれば戦闘には』
「いいんだ。あれは私の精神の弱さが招いた結果だから…………ほんの少し、昔のことを思い出しただけなのに、な…」
『ルイン…』
「…だからこそ早く奴を見つけるんだ。フェイクはもう使えない」
『それじゃあこの先は?』
「リスクは高いが戦うほかない。……この命がある限り」

 魔法解除と最初の交戦を機に、ルインは身を隠すことを止めた。自分の安全を図るのなら“偽りの陰”を使うべきなのだが、この魔法は改めて消費魔力が大きいと実感したのだ。その上、どうも自分の精神を統一させるのが難しい。集中していたつもりなのに、気がつけば思考は全然別の方向へ行ってしまう。孤立すればするほど胸の奥に眠る感情が抑えられなくなる。そうなればいずれ、まともに戦うことが出来なくなるだろう。
 そうなっては駄目だ。自分の目的を果たせない。無意識に我を忘れるくらいなら、怒りの矛先を解放させる方がずっと楽だ。そう、ルインは考えた。
 それに…。
 魔導杖に身を置く妃砂は思案しながら声を零す。
『…悪魔の動きが少々活発になっているようです』
「私の情報が広がったせいだ。仕方ない」
 悪魔は忍びこんだ人間の存在を知っている。先の戦闘によって城中に響いた騒音、あるいは戦っている間に一部の悪魔が伝達を行ったのだろう。薄暗い通路の先で、彼らは必ず待ちかまえている。

 城内はどこも似たような通路が広がっていた。廊下には間隔を置いて明かりがあるものの、儚い炎の揺らめきは頼りない。進んで行くうちに、実は同じ場所を行ったり来たりしているのではないか……そう錯覚するほど変わり映えのない風景が続く。
 廊下は相変わらず静かだった。彩りの無い壁に囲まれた場所。漂うのはひやりとした空気。だが、その中でルインは強い殺気を感じていた。奥は暗くてよく見えない。けれど、自分が向かう先に敵はいる。

 ルインの生まれ持った感性は、悪魔が潜在的に持つ闇の魔力を捉えることができた。彼らの気配は徐々に強くなっている。おそらく相手も気付いているはずだ。
 しばらくするとルインは自ら駆け出していた。すでに唇は動き、杖の先端は魔力が灯り始める。目先の敵との距離が狭まる。大気に混ざる闇の力が迫る。
 互いの姿が認識された時、再び悪魔との戦いが始まった。



 ルインは悪魔と遭遇する度に戦った。もちろん回避できる場合はそうするに限る。最初に戦闘を行ってからというもの、ルインは休む暇がなかった。自分の存在が知られた今、城内にのんびりしていられるような場所はないのだ。
 通路の交差点では慎重に警戒し、悪魔がいるのなら気付かれないように倒す。行動は迅速かつ確実に行う必要があった。足跡を残していはいけない。いかに自分へのリスクを減らすことができるか、それが最終的な戦いの鍵を握っていることをルインはわかっていた。
 しかし、リスクを減らすためにはさらに神経を削るような努力をしなければならなかった。念には念を、警戒を怠ってはならない。同じことを繰り返す中で、ルインの疲れはどんどん積み重なっていく。
『ルイン……奴らが来ますっ!』
 悪魔の気配を察知する妃砂の声色には焦りがあった。状況は悪い方へ進んでいるのだろう。あの時、自分がもっと集中していたなら誰にも気付かることなく…今頃は……。ルインは最初の失態を悔いながら、薄暗い通路を走っていた。
「敵は何人だ…?」
『8人です。このまま戦っては貴方の身が…』
「引き返すわけにはいかない」
 妃砂の心配を退いたルインはぼそぼそと詠唱を唱え始めていた。魔導杖の先端に魔力が集中する。ルインは彼らと鉢合わせた瞬間に魔法を発動させるつもりでいた。遭遇してから行動するのでは遅すぎる。気づかれる前に、戦う隙を与える前になんとかしなければ…。
 もうすぐ問題の交差通路へ到達する。集中力は切れていないか? 詠唱は合っているか? 範囲指定、属性、威力、方向、連鎖……陣の準備は…………大丈夫。大丈夫、大丈夫だ。あとはその瞬間を迎えるだけ…!
 交差通路へ辿り着く時、ルインは複数の魔法を一斉に放った。
 風は敵を切り、炎は混乱を呼ぶ。
 水は視界を狂わせ、雷は敵の動きを麻痺させる。
 一度きりでは無い魔法の効果は、次々と火花を拾って複合連鎖する。
 その間にルインは通路を走り抜けた。だが、すべてが上手くいくわけではない。運良く魔法を逃れ、ルインを見つけた一部の悪魔は行く先を妨げた。
 黒い刃がルインの身に迫る。危機を察した妃砂は雷撃で彼らを払い除けるが、それでも死角はあった。鋭い爪がわずかにルインの左腕を掠める。巻いていたスカーフと袖が裂ける。外に晒された肌に赤い線がつぅっと刻まれた。腕に痛みが走る。でも今は構ってなんかいられない。
 血を流しながらもルインは反撃へ転じた。

 いったい何度、悪魔と刃を交わせばいいのだろうか。
 戦うたびに体力が削られる。魔力も消費される。唯一上がるものといえば内に秘める苛立ちだけだった。こうなることは予めわかっていたつもりなのに、募る感情は現実を目の当たりにしないとわからない。

 敵がいる。逃げられない。戦う。避ける。反撃する。勝利する。
 先へ行く。また敵に遭遇する。戦う。戦う。戦う。負けられない。
 負けたら終わりだ。
 負けてしまえばこの先の未来は無い。
 終わってしまう、何もかも…!!



 ── ルインを休ませる場所を探さなければ…!
 妃砂はルインの危機を感じていた。彼女はずっと戦い続けている。いくら修行で強くなったとはいえ、人間一人に出来ることには限界があった。いつの時も永遠という言葉は成立しない。無限大にはならない。
 宿霊は己が宿る媒体を通じて、それに触れている人の心を読む能力を持っていた。妃砂の場合はルインが使う魔導杖。長年付き添ってきた妃砂は、意識せずともルインの心を常に感じとることができる。
 今、彼女の心は大きく揺れていた。不安と恐怖が混ざり合っている。それを打破しようとする波はあるのだが、双方は衝突するばかりで調和できない状態だった。
 精神不安定が続けば、ルインはいずれ戦えなくなる。連戦による心身疲労はそれを加速させていた。もしも、彼女の戦意が潰えることになったら……ルインはもう…。
 思考の中で辿り着いた後退的な答えに対し、妃砂はすぐに首を振った。早く、手を打たなければならない。

 妃砂はルインの行く先を擁護しながら、敵の死角となる場所を探していた。ルインのそばを離れるわけにはいかないので、感覚だけを周囲へ巡らせる。悪魔のいない場所、闇の追手が及ばない……危険の少ない場所を…。
 実は、そういう場所はいくつかあった。問題はどこを選ぶかだ。今は悪魔の気配がない場所でも、もしかしたら彼らの私室という可能性がある。部屋に隠れたところで見つかっては意味が無い。
 妃砂はルインを護りつつ神経を尖らせる。少しでも休める場所はどこなのか。ここは? 駄目だ、近くに敵の群れがある。じゃあここは? 行くには遠すぎる。辿るまでの通路も考えなければならない。ここは…違う。こっちは? 駄目か。……ここなら…?

『…ルイン、2区画先に部屋があります。一度そこへ隠れましょう』
「わかった」

 数人の悪魔に追われるルインは、妃砂の提案を聞き入れると腰にあるポシェットから球状のアイテムを取り出した。文字が書かれた紙でぐるぐるに包まれている丸い物体 ── 目晦まし用の閃光弾だった。手にしたそれを後方通路へ放り投げると、ルインは魔法で衝撃を与えた。発火した閃光弾はパァン!!という音を立てて、視界を遮る眩い閃光と白い煙を吐き出した。
 さらにルインは紋様をいくつか描き残しておいた。悪魔が閃光域を抜けた場合、今度は陣による足止めを与えるためである。
 これで数分、追手を抑えることができる。逃げ果せるはずだ。

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