First Chronicle 魔導士ルイン

20. 思想交錯

「ねぇガロ、真面目に話を聞いているの…?」
「んー…聞いてるって……あはっ、ははははっ!! あれだろ? …なんだっけ……ははっ! ええっと…そうだ、確か魔界に…くく……人間が来ているって、話だろ…ふふふ♪」
 笑い声を上げるガロはのんびりと自室のソファに寝転がっていた。イライラを募らせるパルーバを余所に、彼の視線の先にあるのは魔界で販売されている漫画雑誌だ。彼は普段、漫画を読む習慣があるわけではない。しかし、暇を持て余していたので興味本位にページをめくってみたところ、思いのほか面白かったのでそのままのめり込んでしまったという現状だ。
 そんな時に彼の元を訪ねてしまったものだから、つくづく運が無いなとパルーバは感じていた。そばにいる使い魔の闇精霊も居心地が悪そうに彼女の近くへ寄り添うばかりだ。
「…で、何なのさ?」
 視線は漫画に向けられたまま、ガロの声だけが淡々と返ってくる。漫画を手放す気は無いが話くらいはしてやってもいいよ? という上から目線丸出しの行動だ。とはいえ、彼の態度は今に始まったことではないし、実際、彼の方が自分より格上なのだから仕方ない。
 そのことには触れず、パルーバは話の続きを口にした。
「城の警備を上げた方がいいって、さっきから言っているじゃない」
「そんなの、必要ないよ」
「どうして? 人間が来ているのよ? もしかしたら魔王様を狙って」
「だーかーらー、必要ないって。相手はたった一人なんだろー?」
「そう聞いているわ」
「ならいいじゃないか。それともまさか、魔王様が人間ごときにやられるとでも思っているの?」
「思っていないわ。そんなこと、思うはずないじゃない……でも、念には念を入れた方が」
 パタン、と本が閉じられる音が部屋に響いた。パルーバは反射的に言葉を詰まらせてしまう。というのも、漫画を閉じたガロが無感情の顔を浮かべてこちらを見ていたからだ。パルーバは何かを言おうとして……だが、その口元はいつの間にか自分のすぐそばへ来ていたガロの力強い押さえつけによって拒まれる。
 ドンっ!
 乱暴に壁へと押し付けられたパルーバは身動き一つすることができなかった。
「…っ!?」
 ガロの赤い眼差しは無意識に身体が震えてしまうほど冷たい殺気に満ちていた。感情の読めない瞳は正直恐怖を感じずにはいられない。パルーバは彼の性格をよく知っている。だからこそ今、この瞬間……彼女は彼を怒らせてしまったと理解していた。ガロを怒らせたのは非常に危険なことだった。なんとかしなければ…と思ったが、思考と反比例するように身体の自由が利かなくなる。…動けない!!
 その間にガロはパルーバの額に自分の額を押し付けて、囁くような低い声で呟いた。
「ねぇパル……僕は必要ないと言っているんだ。聞こえなかったのか…?」
「…っ……」
「それとも、僕の言ってる意味がわからない? んんー…?」
「~~~っ…!」
「えー? 何? 全っ然、聞こえないよぉー…?」
 口元をガロの片手に覆われているパルーバはとても声を出せる状況ではなかった。強く抑え込まれて息が苦しい。ガロはそれを知りながら甘ったるい声で彼女に問いかけている。パルーバにはわかっていた。これは、彼の嗜虐心から来る“遊び”なのだと。
 パルーバはガロを退けようとしたが、圧倒的な力量差がそれを邪魔していた。いくら彼女が力を入れてもガロの腕はびくともしない。それどころか…。
「…っ!…!!」
「おやおや~、君らしくないね。得意の反論劇はもう終わりなのかい?」
 必死になっている者を見るとガロは胸が躍るような感触を抱き、もっともっと求めたくなる性格だった。相手が拒めば拒むほど、それは彼の欲望を煽る行為に他ならない。
 もがき苦しむパルーバを眺めながらガロはくすくすと笑う。内心では不思議な奴だと考えを巡らせていた。
 ガロから見たパルーバは、己の立場・力量を弁えながらも時として自分に反論してくる唯一の同僚という認識だった。大抵の者は昔からの地位に習い、上官に対して怖れと共に敬いを示す。しかし彼女は……四天王第一位である自分を恐れていながらも、断固として刃向う度胸を持ち合わせているのだ。本当に面白い。今だって彼女は恐怖を抱いているはずだ。このまま殺されるかもしれないと、そう思っている。だからこそ精一杯の抵抗を示そうとしているのだろう。ただでは死んでやらない、涙に滲んだ赤い瞳はそう言っている、気がする。
 ……ほんと、可愛い奴だなぁ。
 不意にニヤリと笑みを浮かべたガロは、己のさらなる欲求を満たそうとパルーバの身体に触れた。たまには彼女と遊ぶのも良い。今日はとことん可愛がってやろう、そう考えたのだ。
 だが……。

 ガンッ!!

 強い衝撃が突然ガロの後頭部に襲いかかった。鈍器で殴られたような重い一撃を受け、一瞬ひるんでしまう。それを目の前で見ていたパルーバは、驚きとともに彼の怒りの視線をまともに受けることになった。もちろん彼女に向けられた怒りではないのだが……言葉にならない恐怖を覚えたのは事実だ。怖さを抱きつつも、しかし、パルーバにも何が起こったのかわからなかったので、呆然と成り行きを見守るしかなかった。
 ガロは痛みのある頭部をさすりながら辺りをキッと見渡して声を荒げた。反動で背中の翼がバサリと広がり鋭い音を立てる。
「~~~っ! てぇなっ…!! 誰だ!!?」
 その返答は思いほか近くから返って来た。
『が、ガロっ! パルに何するんだよ!!』
 声を上げたのはパルーバに従う闇精霊だった。闇精霊はわなわなと身体を震わせながら黒いオーラを全身に纏っている。怒っているのは見て取れた。
「!!…………ああなんだ、パルのペットか」
『ペットじゃないっ! ボクはスーニャだ!! それよりも早くパルから離れろっ!! じゃないと今度は…!!』
 ガロに向けられた衝撃はパルの使い魔・闇精霊スーニャから放たれたものだった。彼女を友人として慕うスーニャはガロの愚行に嫌気がさしたのだろう。ガロはなるほど、と納得しながら素直にパルーバを解放することにした。せっかくの行為を続けられないのが少々心残りだが仕方ない。というのも、スーニャが本気で己の全力を解放しようとしていたからだ。守護者である闇精霊は主君を護るためならば手段を辞さないだろう。
 だが、ガロはスーニャの力を恐れたわけではなかった。彼が懸念したのは、ここが自分の部屋であることだ。寝床を荒らされては困る、そんな日常生活の心配を優先しただけだった。
 解放されたパルーバは大きく咽ながらガロから離れた。何度か咳き込み、ようやく息ができるようになるとキッとガロを睨みつける。闇精霊スーニャは心配そうに『パル、大丈夫…?』とそばへすり寄っていた。
「大丈夫。……ねぇガロ、私にはあんたの考えていることがわからないよ」
 顔色を悪くしたパルーバが言うと、ガロは不思議そうに肩を竦める。
「そう? まー別にわからないままで良いと思うけどね」
「……人間を甘く見ない方がいいわ」
「それは忠告かい? おかしいね…どうしてそんなに人間を恐れているのさ?」
 僕には君の考えの方がわからないよ、とガロはのんびりと言葉を紡いだ。危機感の無い、余裕のある態度にパルーバはぎりっと歯を噛みしめる。本当に、彼にはわからないのだろうか?
 パルーバはもう一度息を整えると改めてガロへ向き直った。顔に浮かぶのは、彼に募る疑念の色だ。
「二人は…人間にやられたのよ」
 その言葉に、ガロは若干顔色を変えた。効果があったのか? パルーバは構わず言葉を続けることにした。
「ディーと、あんたの妹 ── ギズイーはね」
「ディーは別にいい、あいつは運が悪かったで片付けられる。…でもパル」
「…!!」
 ガロが瞳を細く据えた瞬間、パルーバは彼の動きを捉えることができなかった。気が付けば、ギラリと光る黒爪が自分の喉元に突きつけられている。友人の良からぬ状況に闇精霊スーニャは『ガロー!!? お前はまたぁ!!』と堪らず唸ったのだが、パルーバが片手で抑するものだから闇のオーラをバチバチ鳴らしながらも必死に介入したい気持ちを抑えた。
 ガロは彼らのやり取りなど見えていないかのようにパルーバだけを睨み、今にも噛みつきそうな声色を唸らせた。
「あれが僕の妹だって? 確かにね、血縁上はそうなることは認めるよ………はははっ、馬鹿馬鹿しい。なぁパル、二度とあいつの名だけは口にするな。あいつは僕の面汚しなんだよ……名前を聞くだけで反吐が出るっ!!」
「なっ…! 自分の妹でしょう!?」
「くくくっ、そうだよ、妹さ。…いや、妹“だった”の方が正しいか。僕は一度たりともそう思ったことはないけどね!!」
 あははははっ!とガロは笑い声を上げながら一歩仰け反った。その顔にゆらりと浮かぶのは人ではなく、正真正銘の悪魔の顔だ。怖れを知らない真紅の瞳、剥き出しになった牙、獲物を引き裂く黒爪、背中に広がる翼……そして、圧倒的な存在感。
 世界では悪魔は邪なものとして認識されている。しかし悪魔だって同じ“人”だ。自分たちにも感情というものがある。全ての者が残虐非道に実力を行使するわけではないとパルーバは思っていた。「悪魔=悪者」と結び付けられることは心外なことだ。
 だが、今のガロはそれを肯定せざるを得ない典型的な悪魔模範だった。彼は悪魔の中の悪魔だ、そう思う。
 ひとしきりに笑ったガロはようやく声を抑えると「ああ…そういえば、パルは知らないんだっけ?」と思い出したように言葉を紡いだ。
「君はあいつが人間にやられたと思っているみたいだけれど、正確には違うよ」
「…? どういうこと?」
 話の意図が掴めないパルーバは眉を顰めた。彼の妹は以前、世界侵攻を企てて軍を引き連れて行ったが、残念ながら人間たちの反撃を受けて二度と戻ることはなかった。そう、聞いている。それが、違う?
 ガロは、くくくっと歪んだ笑みを浮かべていた。これから話すことがいかにも楽しくて仕方ないという表情だ。
「あの子は『人間に負けて死んだ』って…あんたが言ったことじゃない」
「そうだよ、あの時はいちいち説明するのが面倒だったんだ。事細かに語るようなことでも無いしね」
「何なの? いったい…何を言っているの?」
「大半の事実は合っている、あいつは無鉄砲に突進して人間の反撃を喰らった。それは間違いじゃない。でもね、あいつに最後の止めを刺したのは、他でもない…──」



「この僕さ」



 …なん、だって……?
 高見にある赤い瞳はくつくつと満足気に笑っていた。それがとても……不快だった。自分の古傷が抉られる。あの時は悲しくて、残念で仕方なかった気持ちが蘇る。今だって忘れはしない。
 ── なのに、こいつは…!!
 愕然としたパルーバの心には、次第に怒りが汲まれていた。
 一方ガロは、笑みを浮かべたまま傷心に触れた彼女の反応をじっくりと眺めていた。「ふふ、ビックリした?」と立ち尽くすパルーバの顔を覗き込んでポンポンっと肩を叩く。パルーバが返せる言葉は何も無い。彼が語った真実は、あまりにも……あまりにも大きな衝撃だったから。
 それは闇精霊スーニャも同じだった。このスーニャはパルーバの胸の内を知っている。ガロの妹はとても彼女に懐いていて、よく面倒を見ていた。自分が羨むほどに仲が良い、まるで姉妹のような関係だったことを覚えている。その子がまさか、実の兄に殺されたなんて……何を言葉にしていいのかわからない。
 しかし、ガロはそんな彼らの心情など構わずに言葉を紡いだ。
「そうそう、勘違いされては困るから付け加えておくけど、あいつは僕の手に掛かって嬉しそうだったよ? まぁ、当然だろうね……“大好きなお兄ちゃん”に逝かせてもらえたんだからさ」
「ガロっ…あんたはあの子の気持ちを知っていて…、それなのに…!!」
 パルーバは思わずガロへ殴りかかろうとした。だが、彼女が繰り出した拳はあっさりと掴まれてしまい、逆にカウンターを受ける羽目になる。強烈な一撃がパルーバの腹部に打ち込まれ、力を失った身体はがくんと床に崩れ落ちた。闇精霊スーニャは咄嗟にガロへ攻撃しようとするが、パルーバの身体が彼の元にあるため手出しすることができない。優位に立っているガロは不敵な笑みで「邪魔をするな」とでも言うようにスーニャを一瞥すると、「がはっ」と咽るパルーバの顔を無理やり上げさせた。
「昔の話はもういい、飽きた。それよりも今は、人間を気に留めていたんじゃなかったっけ?」
「…っ……」
「安心しなよ、僕は君が慎重になっていることくらいわかっている。もし人間を見かけたら始末しておくさ。それでいいんだろ…?」
 一方的に言い放つと、ガロはゴミを投げ捨てるかのようにパルーバを払い倒した。スーニャは慌てて再度咽る彼女の元へ駆け寄った。その間にガロは自室の扉へ向かって歩き出している。
「あーあ、パルが余計な話をぶり返すから気分が悪くなったじゃないかー…」
 大きな伸びをしながらそう言い残し、彼は部屋を出て行った。

『パル…』
 スーニャは慰めの言葉を掛けようとしたのだが……何一つ繋げることができない。床に伏せるパルーバは殴られた腹部を抱えながらも、凄まじい形相でガロが去った扉を睨み続けていた。
 その瞳には、未だかつてない憎悪と怒りが込み上がっていた。

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