First Chronicle 魔導士ルイン

19. 潜入、そして…

 城の運搬口を通り抜けた貨物車は城内の倉庫前で車輪を止めた。荷台に積んでいる貨物は魔王城憲兵の指示で次々と倉庫内へ運ばれる。品質チェックのため人の大きさほどある木箱のコンテナがランダムに開けられたが、異常は見られなかったので運搬作業は順調に進んだ。
 やがて、全ての貨物を運び終えると倉庫の扉は閉められた。空となった貨物の車輪の音が徐々に遠ざかっていく。

『ルイン、もう出ても良さそうです』
 妃砂の声を合図に、ルインはようやく煮詰まった貨物の中から這い出ることができた。静かに深呼吸をすると力が抜けたようにその場へ座り込む。その理由を妃砂は察していた。
『さっきは危なかったですね』
「はぁ…まったくだ」
 さきほど行われたランダム検査は、ルインにとって心臓へナイフを突きつけられた状況だった。表口で軽い検査を通過するだけかと思っていたものだから酷く焦ったものだ。自分の侵入した木箱が開けられた時には強制突破するしかない、そういう覚悟を決めてルインは必死になって気配を殺すことに努めていた。本当に、命からがらの危うい場面だった。
「でも、ここまで来た…………いや、ここからが本当の本番だ」
『ルイン…』
「妃砂、何も心配するな……私の決意は、もう変わらない」
 落ち着きを取り戻したルインは倉庫内をあちこちを調べ始めた。人間の視力による闇への視界はほとんど利かない状態だったので魔導杖にわずかな光を灯し、物音に気を付けながら貨物の木箱を辿った。倉庫内はかなりの広さがあるようだ。いくつもの木箱が積まれている他に麻袋や大きな樽なども置いてあることから、ここは食糧庫なのだろう。
 奥へ進むと次第に貨物が除けられて広い通路のようなものができていた。床を調べてみると複数の滑車跡が残っている。頻繁に貨物が移動されている証拠だ。ルインはその周辺を慎重に見渡した。
 すると、その先に両開きの大きな扉があった。外から続く扉と逆位置にあることから城内へ続く扉なのかもしれない。ルインが何かを命じる前に妃砂はすでに扉の向こう側を偵察しに行っていた。精霊の霊体はするりと扉をすり抜ける。

 その間、ルインは敵地決戦に向けての準備を始めた。ずっと旅路を共にしてきた魔導士帽子を取ると黒い艶やかな髪がさらりと流れる。防寒用として着用していたケープ一体型のマントを外すと隠れていた白い肌が露わとなる。今まで紫づくしだった魔導士の印象はがらりと変わった。帽子やマントの外観で保守的だったイメージは皮を剥がせば攻勢的になるものだ。
 ルインが着用しているものは紺色の法衣。一見何の見栄えも無い地味な服なのだが、これは以前お世話になったエルフ族が特別に作ってくれた特殊防具だった。生地には魔法糸が織り込まれていて、魔法はもちろん物理的な耐久性にも優れている。着心地は良く柔軟性もあるので非常に動きやすい魔導士用法衣だ。
 本来は帽子とマントも合わせて着用していたいところなのだが……ルインは兼ねてから自分に発生する負の要素を感じていた。帽子の唾は視界を遮るし、マントも返しが悪ければ自分の足枷となる。外では防寒の役目があったから身に付けていたが、この先はありとあらゆる妥協を許さないだろう。だからルインはここに来て、帽子とマントを外すことにした。
 ただし、赤紫のスカーフだけは昔からの思い入れがあって手放せず、ルインは左腕に巻きつけることにした。利き手に握られたのは使い慣れた魔導杖ジスティー・ロゥゼリア、腰のベルトには戦いの助けとなるアイテムが入ったポシェットと、銀閃が納められた剣鞘がある。
 ルインは一度剣の柄に触れて、それから胸に手を当てて自分の中にあるものを確かめた。
 ── 大丈夫、きっと私を見守ってくれているはずだから……。

『………』
 偵察から戻ってきたばかりの妃砂は、暗闇に佇むルインへ声を掛けることができなかった。いや、正確には言葉を失っていたのかもしれない。それは彼女が偵察前と異なる格好でいたことも一つの理由なのだが、何よりもルイン自身が纏う圧倒を逸する空気に呑まれたせいだった。
 まさか、高位精霊である自分が人間の雰囲気に押されている? そんなことがあり得るのか…? 疑わしいことだ。そこまで考えた妃砂はハッとなった。彼はルインを主として契約を交わしているが、心のほんの片隅で精霊は人間よりも勝っている……自分がそう思っていたことに、たった今気が付いてしまったのだ。
 しかしそれは、人間であるルインを下手に見ているという意味では無い。
 けれど、星の史歴を辿ればいつだって精霊は神の恩恵 ── つまりは神の次に位置する存在ということになるわけだ。星に住む生命は皆、神と神の恩恵があってこそ生きていられる。だから精霊である自分は…。
 妃砂は首を振った。そんなことを考えてどうする…? 過去も未来も今は関係ないじゃないか。余計な思考に囚われた自分に嫌毛を覚えながら、彼女と同じ、紫色の瞳を据える。妃砂はじっとルインを見つめた。
 胸に手を当てたまま瞑想するルインの清廉とした姿は、見惚れるほど美しかった。閉ざされた闇の中で立っているだけだというのに、彼女の纏う空気は幻想的な風圧を持ちながらも力強さに溢れている。自分がそう思うのだから、他の者が見たならばもっと衝撃的な印象を焼きつけられるに違いない。
 自分はその魅力に気付いた最初の精霊になるのだろう。そしてルインという人間は自分の契約者であることよりも、自分の大切な友人であることを思い出す。
 そう思った瞬間、妃砂は心の底からの笑顔を浮かべていた。

「何を笑っている…?」
 決戦前準備を終えたルインは妃砂が戻っていることに気付き、彼の表情を見て眉を顰めた。
『ふふ、すみません、ルインを笑ったわけじゃないんです。ちょっとした自惚れですよ』
「自惚れ?」
 冗談混じりの含みにルインはますます分からなくなるが、妃砂が満足そうに笑っている様子を見ると本当のことを教える気が無いことがわかる。気にはなるが…彼の言うように自分が気にするようなことではないのだろうと思い、いつもの調子へ戻った。
「……向こうはどうだったんだ?」
 ルインが真面目に尋ねると、妃砂もすぐさま守護体制へ切り替わる。瞬時に消えた笑顔に代わって端正な顔立ちだけが残り、妃砂は状況を話し始めた。
『扉の先は一本の通路になっています。進んだ先の突きあたりには左右へ続く通路に繋がり、おそらく城内通路になっているようです。歩哨を一人見かけました。でも警備に当たっているというよりは……暇で暇で仕方ないという感じですね。この辺りの警備は薄い感触です』
「そうか。でも、警備が薄いからといって油断はできない」
『それはもちろんですよ』
「……妃砂」
『なんです?』
「もし ──」
 私が死んだ時は……。そう口にしようとしている自分に気付いたルインは一度出かかった言葉を飲み込んだ。先に自分の死を考えるなんて、結局自分という一人の人間は弱腰のまま魔王城へやってきたのか? ……違う。そうだ違う、違うだろう? いつだって負けるために戦っているわけじゃない。勝つために、生きるために、これまでの自分は時を刻んできたはずだ。
 だから今、自分が妃砂に伝えることは死後のことではなくて……。
 一度首を振ったルインは「今までもずっとそうしてきたけれど…」と、静かな口調で話を切り出した。

「妃砂、この先も一緒に来て欲しいんだ。そして……私の力となって欲しい」

 ルインの凛とした紫の瞳は力強い眼差しでもう一方の紫の瞳へと重ねられていた。
 妃砂はそれをじっくりと真に受けてから、流麗な仕種でルインの左手をとる。これは実体化しないとできない動作なのだが……彼女が何も言わないことを考えると一時的に許されたのだろう。その場で身を屈めた妃砂は、礼儀を嗜む紳士のように彼女の手の甲へそっと口づけた。
「我がマスターレディ・ルイン、私は貴方のそばにいる限り、どこへでもお供しますよ」
 誓いを立てた妃砂はにこやかな笑みを見せる。彼の行動と表情にルインは呆気にとられてしまったのだが、久々に穏やかな笑みを浮かべることができた。
 本当にありがとう、そう言葉にはしないけれど、多くを共にした感謝の気持ちを込めて。

「うん……それじゃあ行こう、妃砂」
「はい」

 魔王城の戦いは今、ここから始まる。

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