First Chronicle 魔導士ルイン

18. 魔王城へ

 強い風がごうっと吹いていた。黒い森はざわめき、どこからか魔物の群れが飛び行く音、遠吠えの咆哮が聞こえてくる。その音に紛れ込むようにして、森の茂みがざわりと揺らいだ。気配を消した影はそろりそろりと慎重に歩を進める。
 やがて、目標物である巨大な岩壁を目視した影は一瞬だけ強い殺気を帯びる。すぐ目の前に長年の敵がいる、そう思うと気が気では無くなるのも当然だ。しかし、今見つかってしまってはこれまでの努力が無駄になる。逆毛を立てた殺気はすぐさま無の虚空に沈められた。幸いにも気付いた者は自分の守護者だけのようだ。その守護者でさえ今は魔導杖の中に息を潜め、これから始まるだろう決戦に備えている。
 魔導杖を手にした魔導士は小さく身を屈めて、時を待つ。
 紫の瞳は一層深い色を宿していた。鋭い眼光の奥に秘められる頑なな意志は、先に佇む敵の塒をじっと見つめている。否、睨み続けていた。
 視線の先にあるのは、正門より北西に位置する貨物用の運搬口 ──。


 ルインは今、敵地潜入の時を迎えようとしていた。


 もちろん闇雲に潜入するわけではない。自分へ向けられるだろうリスクを下げるため、魔王城周辺に辿りついたルインは入念な下調べを行っていた。ここで助けとなるのは宿霊である妃砂だ。精霊の特権を最大限に利用した彼は周辺の警備状況と地形を偵察した。その情報を元にしてルインは潜入経路を割り出した。
 どうやら魔王城へ入るためにはまず、岩脈から築かれた外壁を突破しなければならないようだ。妃砂が見た地形情報はアグアノスの契約による同調共有(シンクロリンク)でルインの脳裏にも刻まれている。城周辺の地図は妃砂が得た情報の範囲内で思い描くことができた。
 潜入口として最もわかりやすいのは正門だった。城を取り囲む外壁と繋がっている正門には扉が付けられておらず、地上から天上まで広々とした空間で成り立っている。城内関係者の悪魔は翼を広げて自由に行き来しているらしい。一見、隙を付けば楽々と潜入できる場所のように思える。
 だが、ここは常時数人の門番が立っているほか、正門内にも魔界特有の警護システムのようなものが仕組まれていて、門を出入りする者に対して瞳を光らせていた。何らかの条件と照合することで資格のある者を判断しているらしい。それに正門周辺の外壁は見張り塒にもなっている。その上空で歩哨の悪魔が翼を広げて飛んでいるのが見えた。
 言うまでもなく、ここを突破するのは無理な話だ。ルインに翼があれば飛行歩哨の隙間を縫って侵入できそうではあるが……生憎彼女は人間だ。背中に翼は無い。一応代替案として浮遊魔法を使うという手もある。でもこれは浮遊する間の魔力消費が大きいことから選択肢から外された。
 ルインが討ち取ろうとする悪魔は“魔王”と、“もう一人”。その既定だけは今後も変わらない。目的を達成するためには何が何でも己の力を温存させて城へ潜入する必要があった。リスクの高い捨て身の潜入経路は自ずと除外されるのだ。
 ……他の潜入口を探さないといけない。
 そこで見つけたのが、現在ルインが目にしている運搬口だった。
 基本的に城内への出入りは正門で行われているのだが、妃砂の偵察によれば一部の貨物はこちらから内部へ運ばれているらしい。商人専用の運搬通路なのだろうか、不思議にもここでの貨物検査は簡易なものだった。
 労働用に慣らされた魔物はギャアギャアと鳴き声を挙げている。世界ヴァーツィアであれば魔物を飼い馴らすことなんて到底考えられないことなのだが、魔界ならではの経済利用に少しばかり頷けるものがあった。世界と魔界、環境が違えば理念も変わる。だからこそ、世界と魔界は対立位置にあるのかもしれない。
 魔物に曳かれた貨物車は出入口で順に待機していた。貨物の持ち主が検問兵へ書類を手渡すと、それを元に貨物が点検される。何も異常が無ければ通すという仕組みのようだ。つまり、貨物車の中へ潜りこめば城の中へ入ることができる。貨物検査で彼らに発見される可能性を完全に消すことはできないが、上手く欺くことさえできれば魔王城潜入へのリスクはかなり下げられるはずだ。
 ルインはその機会を見計らうべく貨物車が来るだろう森の方へ移動し始めた。彼らを吟味し、密かに乗り込むための作戦が始まる。

『ルイン、どうか気を付けて』
「………」
 妃砂の声にルインは小さく頷くだけだった。


    *


 何の変わり映えのない、いつも通りの毎日だ。街からはるばる魔王城へと貨物車を走らせる悪魔の少年はそんなことを考えていた。
 貨物を牽引する魔物に何度も鞭を打って、見慣れた暗い森の中を進む。時折、植物性の魔手が襲いかかってくることがあるが、彼は平然として口笛を鳴らすだけだ。その口笛は貨物の上に待機している護衛魔物への合図で、彼らは少年の命令で貨物車を護るようにしつけられていた。合図を受けた彼らは甲高い鳴き声をあげながら貨物に手を伸ばそうとする敵に牙を向ける。護衛魔物のおかげで少年は気兼ねなく貨物車を走らせることができた。しかし、これもまたいつも通りのことだ。

 少年の両親は先祖代々商いを営む家系にある。そして少年は一家の長男だった。その生い立ちは自然と稼業の後継ぎとして世襲される運命だ。だが本音を言えば、少年は稼業を継がないで魔王城の騎士兵になりたいと願っていた。魔王配下の士官職務は魔界の悪魔なら誰もが羨む勤務先なのだ。給料も良い、名誉もある。まさにエリート街道を連なる場所だった。
 けれど……商いの誇りを重んじる家族はそれを許さなかった。
 いくら少年が嫌だと反抗しても「これは一家の生まれ持った使命なのだ!」と言って聴く耳を持たなかったのだ。少年の他に男の兄弟がいないことと(姉と妹はいるのだが…)、少年自身も父親譲りの目上の者に逆らえない性格が災いし、おいそれと決められたレールを受け入れるしかなかった。
 こうして現在、彼は店の商品を売り込むために毎日魔王城へと訪れている。少年のお店は精肉店を経営していて、幸いにも魔王城へ仕入れ精肉の調達業務契約を請け負っているのだ。最初こそ商売業務が嫌で嫌で仕方なかった少年であるが、魔王城への調達業務を機に仕事への拒絶感は薄れていった。なんせ憧れの魔王城へ行くことができるのだ。もしかしたら商売を通じて自分の騎士兵スカウトがあるかもしれない…。
 だが結局のところ、夢のような話は簡単にはやってこない。悪魔の少年もそれはわかっている。それでもいつかは……。淡い希望はいつになっても捨てきれないものだ。
 だから貨物を引く魔物が前触れもなく突然急停止した時は心臓が飛び出るほど驚いた。車輪は悲鳴を上げ、貨物の荷台がガクンと大きく揺れる。少年も危うく座席から振り落とされそうになったが、どうにか脇にしがみついたので落ちずに済んだ。
 いったい何事だ!? 夢想に耽っていた少年の目はすっかり覚めた。状況を確認するため少年が貨物を降りてみると、道の前方に魔物の死体が5、6体転がっているのがわかった。夥しい血と臭いが散漫する中に死体を漁る小型の魔物も集まっている。その光景を見て魔物の縄張り争いがあったのだろうと少年は想像した。魔界ではよくあることだ。だが問題はそこではない。
 少年は首に下げていた懐中時計をすぐに確認した。針は魔刻6時11符の上弦を指している。仕入れ調達時間は上弦6時24符だ。魔王城はすぐその先にあるのだが…。少年は時間ピッタリに出発し、時間ピッタリに到着するという習慣付いた時間枠生活を送っていたため、調達時間中に寄り道する猶予時間がないことに気が付いた。
 魔王城への仕入れが遅れた時のことを考えると……とても冷静ではいられなかった。
 ── 早く死体を除けて貨物を運ばなければならない…!
 自分の人生に警鐘を覚えた少年はすぐに口笛を鳴らし、護衛魔物2匹のうちの1匹に道を塞ぐ死体を除けるように指示した。小型の魔物を剣で追い払いながら少年自身も死体を道の脇へ運び始めた。ほんとは2匹とも加勢させたいところなのだが、貨物を護るためには片方を残しておく必要があった。

 貨物に残された護衛魔物はしっかりと己の任務を勤めていた。闇の中から密かに伸びる魔手を喰いちぎり、精肉の臭いに誘われて来た敵には牙を剥き出して威嚇する。攻撃を仕掛けることも度々だ。だが、1匹で貨物の周囲を護るには限度というものがあり、ところどころに死角が生じていた。左舷へ行けば右舷が手薄になり、後方へ行けば側面が危ぶまれるといった具合だ。
 護衛魔物が上空から飛来した魔翼獣と貨物上で対峙した時、後方の納入口は無防備状態に陥っていた。今がチャンスとばかりに腹を空かせた敵がぞろぞろと集まる。上空戦を制した護衛魔物は慌てて後方へ舞い戻り、彼らと一戦をやり合った。少年に従事するこの護衛魔物は翼を持つ猛獣 ── キメラと呼ばれる強化型魔物だったので簡単にやられる性質では無い。
 キメラが貨物に群がる敵を追いやった頃、ようやく自分の主と相棒が前方の道を開けて戻ってきた。少年は貨物に異常がないことを確認すると、護衛のキメラを撫でて褒めてやった。彼らの仕事は上出来だったのだろう。嬉しさからなのか、キメラは「ギャア」と一声鳴いた。

 魔刻6時18符、悪魔の少年は再び鞭を慣らして貨物車を走らせた。死体除けに少し手間取ったが、急げば問題無い時間だ。

 ……貨物の中に、拾った覚えのない客が乗っていることなど知る由もなかった。


    *


 乗り込みは上々だ。運搬経路を辿ってこの貨物を見つけたのは非常に運が良かった。護衛魔物の死角を突いて血生臭い貨物の中に紛れた客は息の根を殺しつつ、現状と今後の行動を練り始めていた。
 ガタン、と貨物車が揺れる度に異臭が漂って具合が悪くなる。が、どうにか堪えるしかない。外では鞭打ちの音と魔物の鳴き声が度々聞こえてきた。大丈夫、誰も自分には気付いていない。今はただ、ここで大人しく待つだけだ。
 もうじき、魔王城へ潜入できる。

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