First Chronicle 魔導士ルイン

12. 闇へ続く道Ⅰ

 羽音を立てて暗雲に覆われた空を舞う。目指す場所はもう目の前にあった。
 眼下に突き当たる大きな岩壁にはところどころに明かりが灯っている。自然の産物である巨大な黒い岩壁。見た目にはわかりにくいが、そこは確かに人の手が加えられていて、魔界を統べる者が君臨する場所でもあった。
 悪魔の少女は岩壁に沿ってのろのろと遊覧していた。風に揺れる長い髪、ひらひらした服装、頭には2つの角。彼女はいつの日か黒い森の上空を散歩していた悪魔だ。
 ふたつ、みっつ、よっつ……上へ向けてあと八つ、外に灯る明かりを辿る。頭の中でカウントされる数はすでに身体が覚えていた。しち、はち、ここから左へ3つ、上へ5つ。
 悪魔は幾度となく訪れている友人のもとへ向かった。

 数分後、目当ての場所で普段と何ら変わり映えの無い仕事をする友人を見つける。壁に埋められた窓を軽く叩いて合図すると、それに気付いた友人はすぐに窓を開け、悪魔の少女を迎え入れた。
「やっほーキジェ♪ 元気?」
「…フィン、また気まぐれにいらしたの?」
「そんな邪険にしないでよぉ~軍の奴らはホントに堅苦しいんだからぁ」
「貴方こそ言葉に気を付けたらどう? 私は魔王様のもとでお仕えしているのですからね」
「はいはい、わかってますってー」
 軽口を叩く仲である二人の悪魔。一人は魔界の掟に囚われずに生きる自由人、もう一人は魔王城の使用人だった。城から一切外へ出ることの無いキジェンタに対し、自由を得ているフィンジートは時々こうして外の様子を教えに来るのが日課だった。
 キジェは手持ちの仕事を再開しながら、窓辺に座るフィンに応える。
「調子だけは相変わらずね……それで、何か用?」
「用ってわけじゃないわ。ただ、ちょーっとね」
「随分と楽しそうじゃない」
「それはもう♪ 良い情報があるの♪ ……聞きたくない?」
 フィンは期待を込めて友人を覗き見る。キジェはすぐに察しが付いたようだった。シーツを綺麗に折りたたみながら彼女は小さなため息を付く。
「…また“取引”しようって算段かしら?」
「えへへ~♪ でも今回は特別奉仕にしてあげるわ。珍しいことだから」
「珍しい?」
 キジェが眉をひそめると、フィンはニヤリと笑みを浮かべて言葉を繋いだ。
「実はね、人間を見かけたのよ」
「人間……魔界に来ている、ってこと?」
「そう、たった一人で魔物と戦っているところを見ちゃってさー、びっくりしちゃった! だってさ、人間なのにすっごく強い魔力を持っているんだよ? その上ライガルヴァーを倒しちゃったんだから!!」
 俄かに信じられないことを語るフィンにキジェは怪訝な表情で「嘘でしょ?」と言葉を返した。ライガルヴァーは魔界における凶悪な魔物として有名なのだ。縄張り意識の強い彼らは時折、悪魔にさえ牙を向けてくる。そのため度々軍の討伐隊が赴くのだが、ライガルヴァーとの戦闘はいつも怪我人が絶えないと聞く。だから、人間が一人で戦って勝利するとは思えない。
 だが、フィンはいつか目撃した光景を思い出しながら話を続ける。
「嘘じゃないって。それに、もしかしたら仲間もいるかもね」
「仲間ですって?」
「うん、あの人間……戦った後に誰かと話をしていたわ。相手はわからなかったけれど」
「そう……人間が来るなんて久しぶりね。魔王様を倒しにきたのかしら」
 わかりきった答えを返したキジェは淡々と仕事をこなす。不穏な言葉の割には心配するような素振りは見られない。それはフィンにとっても同じである。

 ── 魔王が、人間に負けるはずが無い ──

 長きに渡る戦いは悪魔達の考えを変えてしまっていた。
 未だに世界を勝ち取るには至っていないとはいえ、魔界に多大な被害があるわけではないからだ。戦いの舞台はすべて世界ヴァーツィアの地。遠征させた悪魔たちを失うことはあっても、大地までは失いはしない。それでいて、魔界の指揮官の元へ辿り着く者は数少なく……いや、最近では皆無の状態なのだ。
 かつては多くの人間たちが魔王討伐を掲げて乗り込んできた時があった。彼らも一方的に攻撃される筋合いは無いということだ。しかし、人間たちにとって魔界は未知の世界。暗雲が広がる闇の世界は行く先々で彼らの侵入を阻んだ。薄暗い世界に漂う霧は方向感覚を奪い、魔界の魔物は世界に現存するものとレベルが違った。黒い森でさえ魔手を伸ばし、彼らを餌食としてしまう。まさにモンスタートラップの宝庫なのだ。そのためか、魔王城へ辿り着く者はごく僅かしかいなかった。その上ここに至るまでに多くの力を使い果たしてしまっていたせいで魔王城の悪魔に敵う者はいなかった。
 だから、今になって人間が一人やって来た程度では、さして重要視されることでもない。

 フィンは窓辺から見える暗雲を眺めていた。彼女は悪魔であるが、魔王を崇拝しているわけではない。正直、魔王が人間に倒されようがされまいがどうでもいいことだと思っている。
 とはいえ、魔王は魔界を統べる者。魔界一最強の悪魔であることは間違いない。何せ現魔王は先代からその地位を奪い取った実力者なのだ。野心を抱く狡猾者……あんな魔導士の小娘一人に敗北する要素などない。

 しかし……なぜだろう?

 フィンは胸に突き刺さるような鋭い紫の瞳を思い出す。
 暗い炎が灯る瞳。
 怒りと憎しみを募らせる瞳。
 たった一人で最強の魔物を倒してしまった……あの瞳が忘れられない。

 悪魔の少女は、この先何かが起こりそうな予感を胸の内に留めていた。


    *


 気配を忍ばせて、陣を描く。指先に灯る魔力は光の糸を紡ぎ、白、青、緑、赤と色を変えて文字を創り上げた。
 感情の無い無機質な声が呟くと、音もなく消えた陣は俊英の刃となって無防備だった魔物を斬り裂く。黒い森に轟くはずの叫喚は、のど元を裂かれたために響くことはなかった。
 どさり、と獣が倒れる。物陰から様子を伺っていた魔導士は、二度と魔物が動かないことを知るとようやく安堵の息を吐いた。

 その魔導士はひたすら魔界の中を進むだけだった。案内人の精霊がいるものの、先の道は闇に沈むばかりである。奥へ、奥へと進むにつれて魔物は強くなっているように感じた。邪悪な気配も徐々に濃くなり、身体に纏わりついて離れない。そのせいか気分もどこか悪かった。
 しかし、進むことでしか目的地へ辿り着く術はない。

 魔王城を目指して、一人の魔導士は進み続けた。

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