First Chronicle 魔導士ルイン

11. 灰色の悪魔

 黒き闇の世界。
 明かりのない空の下で、歓声と悲鳴が騒々しいほどに鳴り響いていた。

 眼下に繰り広げられるのは命を掛けた死闘だった。
 ある者は己の拳で、ある者は自慢の刃で。熱気の篭る咆哮を飛ばし、黒い翼を広げて互いの殺意を交わし合う。感情を剥き出しにして目の前に立ち塞がる相手へと襲いかかった。そうでなければこちらが殺される。殺されたくなければ、あるいは高見を目指すというのなら、己の命を貫き通すしかない。
 騎士選抜というこの闘いのルールは単純だった。勝って生き残ればいい。しかし単純なルールだからこそ難しいと言えた。いつまで耐えればいいのか参加者には明らかにされておらず、闘いは無限に行われる。相手を負かしても気の緩みは許されなかった。

「いつまでこんなことをするつもり?」
 闘技場を見下ろしている悪魔に向かって一人の女悪魔が尋ねた。
 彼女の名前はパルーバ。短く刈り上げられた紫の髪だけを見ると男のような風貌だ。そんな彼女は今や二人だけとなった魔王軍四天王の一人である。
 テラス越しに佇む相手もまた然り。パルーバより年上だというのに、灰色の跳ねた髪から覗く顔立ちは少年のような幼さがある。
 彼は終始子供っぽい笑顔を浮かべて、パルーバの問い掛けに応じた。
「さぁ?」
「さぁ、って……現状を分かっているの? 今は遊んでいる時じゃない」
「フフ、だって面白いじゃないか。この中から新しい魔界騎士を選ぶ、それが単なる僕の遊びだってことを…彼らはいつになったら気付くのかなぁ」
「同志討ちをさせて何が面白いの?」
「同志討ちじゃない。この中に本当に強い者がいるのなら大歓迎だからね」
「今まで見込みのある者さえ見限ったのに?」
「おかしいねぇ、僕が見た限り見込みのある奴なんていなかったけど?」
 紅い瞳を細めた悪魔は肩を竦めた。余裕さながらの態度は自分に間違いが無いことを主張している。パルーバは返すべき言葉が見つからなかった。
 そんな彼女には構わず、彼は再び闘技場へ視線を向けた。
「どうやら今回も期待外れみたいだ」
 失望の言葉とは裏腹に、その口調にはどこか楽しさのようなものが滲み出ていた。しばらく戦いを眺めてから、彼は不意に翼を広げる。その意味を理解していたパルーバは顔色を変えて言葉を返した。
「まさか、今日も彼らを…」
「僕は最後の後片付けをするだけさ」
 そう言うと男の悪魔はテラスを乗り越えて闘技場へと飛び去って行った。
 残されたパルーバは、彼を止めることも追うことも出来ずに立ち尽くす。後片付けという響きが酷く彼女の心を揺らしていた。
 同じ四天王であるはずなのに、彼の存在は随分と高見であるような気がした。





 ザシュッ!!

 騎士選抜に参加する悪魔達は己の眼を疑う。彼らは一瞬、目の前で起こったことが理解できなかった。
「…あーあ、こんなあっさりやられるなんて。君、弱過ぎだよ?」
 そう言い放ったのは、つい先ほど空から舞い降りた一人の悪魔。その片腕には悪魔独特の青い血液がべっとりと付着し、地面に滴っている。もちろんそれは彼のものではない。足元には、男の悪魔が無慈悲にも首を切断されていた。
 とはいえ、悪魔の生命力はとても強く、切断された首はまだ生きていた。痙攣を引き起こし、それでも赤い瞳が僅かながら動く。視線の先は自分をこんな風にしてしまった悪魔へ向けられた。悔しさや憎しみを抱いていることは表情から見てとれる。しかし、相手の正体を認識すると驚愕の眼差しへ変わっていた。
 それを不快と思ったのだろうか。片腕を血に染めた悪魔は無言のまま片足を上げ、躊躇い一つなく彼を踏み潰した。気味の悪い音が周囲に響き渡り、青い鮮血が地面に広がる。
「この中に強い悪魔はいるかい?」
 遺体には気にも留めず、悪魔は笑みを浮かべていた。その口ぶりから伺うには今を楽しんでいるようだった。彼は辺りを見渡し、自分の問いに応える者を探した。けれど実際は、彼らの反応を吟味していたに違いない。
 集団の中から一人を目に留め、彼は口元を歪ませた。
「君は、強いのかな…?」
「え……」
 声を掛けられた悪魔は戸惑った。というのも、自分に問いかけた悪魔が四天王だということを知っていたからだ。そして自分が今、騎士選抜の審判をかけられていることを直感した。ここで不適切な答えを出した場合どうなるかなんて……言わずとも理解できる。
 答えは慎重に選ばなければならない。しかし、彼は肝心なことに気付き忘れていた。冷たい沈黙が流れる度に指名された悪魔の緊張の度が増す。慎重になった時点で時はもう遅かったのだ。
 なかなか帰ってこない返事にしびれを切らした悪魔は口を開いた。
「…あのさぁ、せっかく聞いているのに待たされるのは嫌なんだよね」
「あ…俺は…」
「強い? 弱い? どっちなのさ?」
 悪魔の口調は至って平然としている。答えを催促するだけで、一見何も気にしていないように思われた。だから指名された悪魔は最善だと思う答えを、できるだけ冷静に述べた。
「強さに自信はあります。……貴方には及ばないかもしれませんが」
 悪魔は騎士選抜による安泰を手に入れるため志願していた。選ばれるためには四天王である彼に気に入られる必要があると自負していた。最後の言葉はそのためのものだった。
 四天王の悪魔は表情を変えず、ただ少しだけ眉を顰めていた。それから指名した悪魔の方へ歩き始め、すぐ目の前で止まると再び尋ねる。
「それは、僕より弱いってこと?」
「そうかもしれません。でも他の奴らよりは…」
 その言葉は最後まで聞かれることはなかった。

「がっ……!?」
「僕さぁ…僕より弱い奴には興味ないんだ」

 指名された悪魔は突如口から血反吐を零す。瞬く間に急激な痛みが全身を駆け巡った。何が起こったのか、本人にわからなくとも周囲には知れていた。
 四天王の悪魔の片腕が相手の悪魔の腹部を貫いていたのだ。それを知った本人は瞳を見開いたまま、懇願するような眼差しで彼の腕を引き抜こうと自分の腕を掛ける。顔を上げると残酷な笑みがそこにあり、目が合った。
「さ・よ・う・な・ら」
 そう告げた四天王は、貫いた腕でそのまま悪魔を斬り裂き、殺した。

 突然行われた四天王による審判。誰もが驚き、戸惑いを隠せなかった。騎士選抜は死人が出ることで有名だと知っていても、実際その惨劇を目撃してしまえば恐怖も覚える。自分の命が掛かっているのだと初めて実感するのだ。ある悪魔は恐怖に怯え、ある悪魔は狂乱に精神を奪われる。
 しかし、この唖然となった空気は次なる言葉によって盛況を取り戻すことになる。
「さて、余興は終わりだよ。僕のこと、知らない奴はいないと思うけど……一応名乗っておこうか」
 彼は返り血を浴びたまま、たった今片腕に絡んだ青い血を舐める。気楽な様子で残った悪魔達に振り返ると、言葉を続けた。
「僕はガロ。魔王様直下の四天王だよ。今は二人しかいないけどねー」
 四天王 ── ガロは不敵な笑みを浮かべたまま、足下にあった悪魔の遺体を蹴り飛ばす。それは周りに見せる付けるかのよう豪快に飛ばされ、宙に鮮血が舞った。肉塊が地面に叩きつけられるのを見届けて、彼は言った。
「見ての通り、僕は僕より弱い奴に用は無い。僕が探している奴は僕にも匹敵する強い奴さ。騎士選抜は言わば魔王様の部下になることだからね。強くて当然だろう?」
 言いながらガロは背中の翼を広げる。バサバサと羽音を鳴らせて、最後の言葉を綴った。
「これから騎士選抜の最終審判を行う。条件は簡単さ、僕に少しでも傷を付けることができればいい。さらに、僕1人に対し、君達は何人でも束になっていい……なんて優しい条件なんだろうね? この中に優秀な戦士がいることを祈るよ」
 話を終えたガロは「ここまでおいで」というように空を飛び始め、闘技場の中を旋回した。
『四天王ガロに傷を付けただけで、昇格できる!』
 わかりやすい条件に、我が先! と自信のある者は次々と彼を追い始める。残された昇格チャンスに悪魔たちは大きな咆哮を唸らせ、興奮染みた盛況を挙げていた。もちろん中には怯えきって逃げようとする悪魔もいる。だが、残念ながら彼らがここから逃げることはできなかった。
 命がけと知っての参加でありながら、逃げるとは何たることか。そしてここで自分の命を一番に守ろうとする者は、魔王配下の護衛騎士には向いていない。ガロは見逃すことなく彼らを追いかけ、事を切った。
 その間に昇格目当ての無謀な輩が次々とガロに牙を向けてくる。逃げ出す悪魔の後始末、それが彼の大きな隙だと思ったのかもしれない。けれど彼にとっては毎回行っていることだったので、たいしたリスクではなかった。
 自分目掛けて八方から迫る覇気。
 ガロは心底楽しそうに爪を振りかざし、彼らの相手になった。



 やがて、城内の廊下を一人で歩いていた。全身は青い血に染まり、彼が歩くたびに鮮血が滴っている。あとで大臣クラスの悪魔に知れたら「廊下を汚さないでください!」と毎度ながら注意されるのだろう。そんなことを考えながら、指先に付着した誰のものかわからない血を舐める。
 ガロはつい先刻まで行っていた戦いの余韻を満喫していた。残念なのは、今回も魔王配下の魔界騎士として推薦できる悪魔がいないということくらいだ。魔王様には申し訳ない。だが我らの魔王はそんなことをたいして気にする人物ではないことを彼は知っていた。
 だからこそ、彼は自分のしたいように事を進めている。同じ四天王であるパルーバにあれこれ言われるが……知ったことではない。
 彼自身を満たすものは血肉の踊る戦い。求めるものは戦闘による快楽。
 それだけだった。

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