大地と風と土と

 世界には豊かな自然が溢れている。
 そのすべては神が星に与えたマナ・フォース ―― つまり精霊から構成されるものだった。精霊の頂点に立つのは、あらゆる力の根源となるオリジンだ。
 彼を筆頭にして精霊達はそれぞれの役目を担っていた。

 すべての自然は神の元にあり、極端にいえば精霊達のものとなる。精霊達がいないと世界の自然はまったくもって成り立たない。自然とは、精霊存在故の大いなる財産といえた。
 だからこそ大地の精霊は自分の地位に誇りを持ち、自らが統べるべき場所 ―― 自然環境を何よりも愛している。しかしながら、少年の身形をしたその精霊は永い時が過ぎる度に機嫌が悪くなる一方だった。



「おや、君がここに来るなんて珍しい」
 オリジンは特定の場所で世界を見るのが日課だった。特定の場所、というのは人が住む世界の中にある。しかし、決して人が踏み入ることのできない異空間。彼はそこで自分の主から教わった空間投影の技を使ってあらゆる世界を眺めていた。
「まさか、君も相談事なのかい?」
 世界観賞する彼のもとには時々様々な精霊が遊びに来る。属性を問わず下級から高位まで種類は多岐にわたり、彼らは精霊最高位にあたるオリジンを慕って相談を持ちかけてくることが多かった。単に遊びに来るだけという無礼な精霊も中にはいるのだが、オリジンの人懐っこい性格はどんな精霊にも寛大。それでいて聞き上手なのだから精霊最高位としての役割はオリジンこそが相応しいといえた。
 そういうわけで今日も悩みを抱えた精霊が訪れてきたらしい。その相手というのが意外な精霊だったからオリジンは興味深そうに瞳を丸くした。
「…聞きたいことがあるんだ」


    *


 赤毛の少年は大陸に広がる森林上空でふわりと浮かんでいた。
 額から覗く銀のサークレットから薄手の布がひらひらと靡いている。幼い顔立ちではあるが、子供のような無邪気な表情は見られない。少年はざっとあたりを見回すと、ある一点を睨むように凝視した。
 あいつらは自分の役目をわかっていない。少年の瞳に映るのは小柄な少女と少年の姿だった。少女の背中には透けるような羽根があり、パタパタと羽ばたかせては空中を飛びまわっている。一方、少女よりさらに小柄な少年は自分よりも大きな岩に乗り、不思議な事にこの巨大な岩は重力に逆らって浮いていた。
 赤毛の少年は二人のことを知っていた。彼らは部下に当たるような存在で自分の管理下にある。だからこそ自由奔放に振る舞う二人の姿に苛立ちを覚えてならない。
「ったく! 何度言ったらわかるんだ…」
 思わず言葉を零す少年の顔は一層険しくなった。自分が監視していると知らずに二人は呑気に遊んでいる。翼を持つ少女が空を舞えば、岩に乗る少年も追いかける。少年が追い付くと少女はふわりと上空に旋回して再び距離を広げた。見ている限り、鬼ごっこをしているようだ。少女に巧いこと逃げられた少年は負けん気になって彼女を追いかけていた。
 風を駆ける少女は風精霊の統括者 ―― ウインディーである。そのウインディーを追いかけているのは地精霊の統括者 ―― ミグニーココット。彼らは互いに反発しあう属性柄ではあるが、性格の相性は良かった。そのため一緒に遊ぶ傾向が強い。
 しばらく二人を眺めていた少年は、大きな悪態を付いて彼らの元へ向かった。

「ほらほら~! こっちだってば~♪」
 ウインディーは得意そうに羽根を広げていた。妖精を思わせる透明な翼は時折光の反射を受けて虹色に輝く。穏やかなそよ風は彼女に浮力を与え、どこまでも流れゆく風道へと導いた。
 自分の後を追って来るミグニーココットを目下に旋回すると、視界に映った天と地がくるりと入れ替わり……その一瞬、ウインディーは身に覚えのあるかすかな悪寒を感じた。突き刺さるような強い魔力。まるで殺気にも似た感覚に、思いがけずよろけそうになったので慌ててバランスを保った。
「わわ…!」
「どうしたの、ウインディー?」
 突然動きの鈍くなった彼女を見てミグニーココットはきょとんと首を傾げる。それから自分が乗っている岩船を器用に動かして彼は辺りを見渡した。すると、異変に気付いたようだ。ミグニーココットはウインディーの視線と同じ方向の空を見上げた。
「もしかして…?」
「うん、あいつが来る…!」
 二人が揃って顔を見合わせた時だった。
 不思議な空気がじわじわと辺りに流れ始めたかと思うと、近くでくしゃ、と地面を踏むような音が聞こえた。二人が音の聞こえた方へ視線を向けると、足もとに見えていた小さな雑草が急成長して幾重もの蔦を伸ばし始める。その中から届いたのは唐突な怒鳴り声だった。
「いつもいつも倦怠するとはいい御身分だな!」
 大きく成長した蔦の合間から現れたのは赤毛の少年だ。少年は鋭い剣幕でウインディーとミグニーココットを睨み、足場を組んだ蔦に乗りながら二人の目の前へやってきた。その気迫に押された二人は困惑し怯えるような仕草を見せる。
 しかし少年は意に介することなく言葉を紡いだ。
「そんな演技は無駄だぞ? 僕は全部知っているんだ」
「何の話かなぁ…ねぇミグ?」
「え、あ……うーん、何かなぁ?」
 ウインディーは隣にいるミグニーココットを肘で突きながら言葉を返し、ミグニーココットも相槌を打って答える。二人の様子に少年は眉をひそめた。
「とぼけるつもりか。ならば仕方ない…」
 赤毛の少年は不意に片手を空へ仰ぐ。すると幾重もの蔦がウインディーとミグニーココットを目掛けて一斉に唸りながら襲い掛かってきた。驚いた2人は慌てて逃げ出すのだが、蔦の伸びるスピードがあまりにも凄まじい勢いだったため、あっという間にぐるぐる巻きにされてしまった。
「ううー捕まっちゃったぁ…」
 蔦を振りほどこうにもビクともしないので、ミグニーココットはため息を付いて潔く諦める。ウインディーは往生際が悪く、じたばた暴れながら声を上げていた。
「何すんのよエクシオン!? 放しなさいよー! こんなの職権濫用じゃない!!」
「職権濫用…? 遊んでばかりいるお前に言われたくないね! だいたい、分かっているのか? こうしている間にも“奴ら”に森が浸食されている」
「……奴ら?」
「人間に決まっているだろ。ウインディー、そしてミグニーココット、お前たち2人が管理する森には結界がない。だからいとも簡単に開拓されてしまう……このままでは人間に緑が奪われてしまうじゃないか!」
 大地の精霊 ―― エクシオンは星の自然が大好きで、何よりも緑豊かな森がお気に入りだった。それはウインディーとミグニーココットにとっても同じことが言える。しかし、エクシオンに限っては自然汚染に関して他の精霊以上に敏感であり、少しでも部外者に立ち入られると嫌悪を感じるようだった。
 エクシオンの言おうとすることは分かっている。ずっと昔から今日まで、確かに人間は自然を侵食し始めているのかもしれない。でも、それは……。
 ウインディーは押し付けられることに不満を抱いて言葉を返した。
「何でもかんでも私たちのせいにしないでよね。森の監視だってエクシオンが勝手に決めているだけじゃない! 結界だって張ればいいってものじゃないわ!!」
「何だと…!? お前、僕を誰だと思って口を聞いている…!!」
 聞き分けのないウインディーに怒りを覚えたエクシオンは我慢がならず、蔦に力を込めた。ぎゅーっと締め付けられる痛みにウインディーは悲鳴を上げる。抜け出しくても抜け出せない。それはミグニー・ココットも同じで、とばっちりを受けた彼にも為す術がなかった。けれども、苦しみに比例するイライラは無意識にウインディーの力を解放させることになった。
 彼女を取り巻く空気が鋭い音を鳴らしたかと思うと、それは見えない刃に変貌してエクシオンの蔦を断ち切ったのだ。身体が自由になった瞬間、二人はすぐに逃げ出した。
「逃がすものか…!」
 エクシオンは再度蔦を伸ばして彼らを捉えようとする。しかし、後を追う蔦はウインディーの風刃に切り裂かれ、あるいはミグニーココットが創り出した岩壁に弾かれてしまった。
 力を失った蔦は次々と地面へ落下する。もう一度片手を仰ごうとするエクシオンだったが、視線の先に映る二人の姿は小さく遠ざかっていた。
 残されたエクシオンは腹立たしく舌打ちをするしかなかった。


    *


「怒ってばかりじゃ通じる話も通じなくなるよ?」
 スクリーンに流れる映像を見ながら、オリジンが言った。彼の傍らに立っているのは、さきほどまで星の地域にいた大地の精霊 ―― エクシオンだ。赤毛の少年は相変わらずむすっとした表情を浮かべている。そういえば、彼が楽しそうに笑う姿は見たことがない。そう思いながらオリジンはにこりと笑みを浮かべて、話を続けた。
「君の気持ちは分かるんだ。自然を、この星を護ろうとしているのだろう? それが僕ら精霊の守護者としての役目だから。間違ってはいない」
「じゃあなぜ人間を放っておくんだ? 彼らがいるから星の自然は失われて…」
「エクシオン、人間も星に誕生した大切な存在だ。もし君が人間を排除したいというのなら、その意志は“あの方”と違えることになる」
「!? 僕は、そんなつもりじゃ…!」
「もちろん、それは分かっているよ。ただ、もう少し冷静になることを覚えないとね」
「………」
 オリジンの語る口調はとても穏やかなものだった。エクシオンを責めているわけではない。けれど、オリジンが交えた言葉には絶大な効果があったようで、大地の精霊はすっかり沈んでしまっていた。自分達の存在意義は忘れてはいないようだ。
 とはいえ、彼には少し刺激が強すぎたかもしれない。そう思うと少し可哀想な気がしたので、オリジンはエクシオンの頭を撫でて言った。
「さぁ、そんなに気を落とさないで。ちょっとした失敗は誰にでもある。それに皆が仲良くできるとも限らないからね。君はまだ新しい精霊だから……他の精霊との交流に戸惑ってしまっただけさ」
「オリジン、僕は……」
 ようやく顔を上げたエクシオンはひどく傷ついたような表情だった。ああ、やはりまだ子供なのだろう。そんな心配を抱くオリジンの前でエクシオンは言葉を続けた。
「僕は自然が好きなんだ、だからそれを壊す人間は嫌いだよ……でもそれは、彼らが自然の良さを知らないだけだということも本当は…分かっているんだ」
「ありがとうエクシオン。君はそこまで星を大切に想ってくれているんだね」
「うん…。でも、僕はどうしたらいい…? ウインディーとミグニーココットは遊んでばかりで僕には星を護ろうとしているようには見えない」
「己の主観ではすべてを見ることは出来ないよ」
「…どういうこと?」
「言葉の通りさ。ああ見えて彼らも統括者だからね……本当に遊んでいるだけなのか? 今度は良く見てみるといいよ」
 オリジンの言葉にエクシオンは合点のいかない顔をしていたが、やがて小さく頷いて見せた。その姿を見たオリジンは人知れず安心する。
 先ほど言ったとおり、エクシオンは精霊の中でも新しい存在だった。子供の姿であるのはたまたまなのだが、精神面では他の精霊よりも繊細なので目の前にある現実を受け付けないことが多い。無垢な心はまだ育ち始めたばかり。この小さな存在がすべての自然を司ると思うと、星の守護者という重圧は大きいのかもしれない。
 でも、今回のことでオリジンは確信していた。
 大地の精霊という勤め……エクシオンならきっと大丈夫だ。