雷を司りし ライバリス

 雷鳴が轟く暗闇の閃光。
 その到達地点、切り絶った断崖に先立つ一頭の巨大狼がいた。
 虹色の鬣が陽炎のように揺らめく。
 天へ向けられた頭角には雷閃の煌めき。
 大地を射抜く鋭い眼力は、雷原谷を渡る人影を見つめていた。

「エレヴィーさま、あいつらをどうするのです?」
 巨大狼の足もとに集うのは、彼よりも小柄で紫の毛並みを持つ狼たちだ。この小狼たちは巨大狼の威厳ある視線とは異なり、遠くに見える人影を興味深そうに眺めている。許されるのならば彼らを追いかけて遊びまわりたいのだが……主君の目前にいるものだから軽率な行動は控えていた。
 エレヴィーと呼ばれた巨大狼は子供のような狼達をちらりと見やって、わざとらしく呻き声を上げる。
『今の私は聖獣…… “ギルクウェム” だ』
「あ…!?…し、失礼しました! エレ…いえ、ギルクウェムさま」
 ギラリと光る瞳に睨まれた小狼たちは一瞬にして怖気づく。それに満足した巨大狼は再び人影へ視線を向けて思考を巡らせた。

 やがて、言葉を紡ぐ。
『ふむ、彼らにここを抜ける力があるのか……試してみるのも悪くはないな』



 雷原の地を支配する巨大狼 ―― ギルクウェム。真の正体は、雷精霊の統括者エレヴィーだ。
 彼の領域である雷原谷は文字通り、いつの時も滞ることなく雷閃が鳴り響いている。にも関わらず、そこを通り抜けようとする者は少なくない。ここを超えないと辿り着かない場所があるからだ。大半は旅人や物資を運ぶ商人たちなのだが、時に変わった連れ合いが渡ることもある。今、視野に映る人影がまさにそうだった。
 その中に異様な力を持つ者がいるのだから俄然興味は湧く。なぜならあの者は…。
『我が同胞たちよ、彼らの元へ行くがいい。ただし、危害だけは加えてはならんぞ?』
「はいっ、ギルクウェムさま!」
 主君の言葉を聞いた小狼たちは咆哮を唸らせて大きな歓喜を上げる。彼らはその言葉を待ち侘びていたのだ。瞬時にキラキラと輝きを見出した瞳は、まるで新しいおもちゃを与えられて喜ぶ子供のようだった。
 自由を与えられた小狼たちは思い思いに先へと駆け出した。地ならしが響く地面にはバチバチと小さな火花が散る。
 その際、期待に胸を膨らませる彼らの声が聞こえた。

「お前らは左舷へ回り込め、俺らはこのまま後ろを付ける」
「わかった、大口叩いてヘマだけはするなよっ!」
「へっ! その言葉、そっくりそのまま返すぜ!」

 走りながら作戦を確認するのが常である雷精霊は、まさに狼の群れそのものだ。
 残されたギルクウェムは、静かに彼らの動向を見守ることにした。


 ………


 しばらくすると、小狼たちは主君の元へ戻って来た。大きく息を吐いた彼らはぐったりと大地に寝転ぶ。精霊にしては珍しく、疲れているらしい。
 それを見たギルクウェムは微笑を浮かべ、先の様子を彼らに尋ねる。
『随分と打ちのめされたか……まさか、危害は加えていないだろうな?』
「はっ…もちろんです。でもあいつら、なかなかやるようで」
『一筋縄ではいかなかったと?』
「奴らの中に不思議な魔力を持つ者がいまして……なんというか、今まで感じたことの無いような妙な力でした」
『そうか、やはり…』
「あの者を知っているのですか?」
『クク…だいぶ昔の話さ』
 瞳を細めてギルクウェムは天を覆う雷雲を仰ぐ。彼の脳裏によぎったのはこれから起こるだろう、一つの可能性だった。それは不穏な予感でもある。
『皆、休める時は十分に休息を取るが良い。近いうちに…お前たちの力が必要かもしれん』
 意味深な言葉に小狼たちはそれぞれ首を傾げて、主君を見上げた。自分たちの力が必要になるとはどういうことなのだろう?
 彼らの視線を受けたギルクウェムは『いずれ時は来る』と零すだけだった。

 真剣な眼差しを浮かべるのも束の間、ギルクウェムは再び雷原谷を見つめる。彼にならうように小狼たちも視線を周囲へ泳がせた。その先には荷車を牽く馬の姿が原野の中を駆けていた。
「あれは……街へ向かう商人、ですね」
『ああ、人は目的のためならばどんな困難にも立ち向かうようだ』
「エレ……あ、いえ……ギルクウェムさま、あいつらは…?」
『ほぅ、まだ遊び足りないのか? さきまで疲れていたような顔をしていたというのに』
 ギルクウェムがニヤリと笑ったので小狼たちはギョっとする。しかし、それはほんの一瞬の事に過ぎず、互いを見合った小狼たちはニヤリと笑みを返した。
「それは、だって」
「あいつらと遊ぶのは楽しいからですよ!」
『クク、良かろう……お前たちの好きにするがいい』
 主君の許しを得た小さな狼たちは大きな歓喜を表すかのように、競って咆哮を唸らせた。

「よし、今度は俺が先回りするぜ!」
「てめぇ! 先駆けはズルイぞ!?」
「何言ってやがる! すべては早い者勝ちなんだよ!!」



 威勢良く駆け出す彼らを見送ったギルクウェム……いや、
  ―― 微笑を浮かべたエレヴィーは、いつものように遊戦を眺めることにした。



 雷原谷の紫雷は、いつの時も閃いている。