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彼女はいつも空を眺めていたんだ。





僕が彼女に出逢ったのは、周りに何もない広い草原。
穏やかな風が通りすぎ、花びらが宙に舞っている。
日課のように僕がそこを通っていたとき一人で空を見上げている女の子がいた。
小さく体育座りをして、ただぼーっと空を眺めて。
それがなんとなく気になって僕は彼女に声を掛けた。

「…こんなところで何をしているの?」
空を見ているってことは聞かなくてもわかっていたけれど、一応尋ねてみた。
少女はゆっくりと振り返り僕の方を見る。
けれどそれは一瞬ですぐに視線を空に戻してしまった。
それから静かに言う。
「空を見ているの…空は見ていて飽きないから」
どこまでも広がり、どこまでも続いている空。
今日は天気がとても良い、だから雲はあまりない。
でも、僕から見れば特にいつもと変わらない空だった。
違うといえば、今日は晴れているとか、雲があるかとか…それくらい。
「空を見て楽しい?」
「うん」
僕の問いかけにこくりと頷き、少女はいつまでも空を眺めていた。



それから。
僕はあの草原で度々少女を見かけるようになっていた。
彼女はいつも一人で地面に座り込み、空を眺めている。



ザァー…
雨音が耳についてうるさい。
この日は生憎の雨だった。
空は薄暗く、雨雲ばかりが覆い尽くしている。
こんな日は自然と気持ちまで暗くなってしまうものだ。
── 流石に今日は…。
そう思いながら僕はいつもの道を歩き、あの草原に通りかかっていた。
けれど、草原の向こうを見て僕はすぐに自分の目を疑う。
正直驚いた。
いないと思っていたあの場所に、彼女がいたからだ。
いつものように一人空を見上げて。
濡れている草原に座らずに立ってはいるけれど、傘は持っていない。
雨に打たれるがままずぶ濡れになりながら、それでも彼女はぼんやりと空を見上げる。

そのまま放っておくことが出来ず、僕は彼女を自分の傘の中に入れた。
「風邪、挽くよ?」
「…うん、そうだね。ありがとう…」
彼女も一応、自分の状況を自覚しているらしい。
でも、わかっているならどうしてこんな日に外にいたのだろう。
大方空を眺めていたのだろうけど、雨雲に埋め尽くされた空に見る価値はある?
僕は徐に尋ねてみた。
「今日も空を見ていたの?」
「うん」
「こんなに雨が降る日に?見たって雨雲しか見えないじゃないか…」
少し非難するように僕は言った。
別に彼女を責めるつもりじゃないけれど、普通じゃ考えられない。
空を見ることを否定するわけじゃない。
ただ、見るなら別に外じゃなくてもいいと思う。
今日みたいに天気が悪いなら尚更だ。
家の中から窓越しにでも十分外は見られるわけだし。
どうしてわざわざ。
「…この雨雲も今日しか見られない空なんだよ」
彼女は相変わらず空を見ていた。
僕は半分呆れたように彼女と同じように空を見上げる。
「別に外まで出なくても、家の中から見られるだろう?」
「私は…ここから見える空が一番好き」
確かにこの草原は視界を遮るものは何もない。
だからここから見える空は他のどこよりも大きく、広く見渡せる。
今日の空行きは良くないからそうは見えないけれど。
それでも、いつどこから空を見上げようと同じじゃないのか?
僕は思う。
そこまでしてここから見る価値はある?
今の僕には、彼女の考えていることがまったくわからないまま。



「空ってね、毎日見え方が違うから面白いの」
ある時、彼女は微笑みながら僕に言った。
空を見上げると照り付く太陽がとても眩しい。
手で光を遮りながら僕は広がる青い空を瞳に映した。
晴れてはいるけれど、ところどころ雲が転々と大小様々に浮かんでいる。
この雲が風の強い日にはどんどん流れていき、だんだん形を変えていく。
それがまた見ていて楽しいのだと彼女は言う。



いつの間にか、僕は毎日この草原に来るようになった。たまたまこの近くが自分の通り道だったということもある。
けれど一番の理由は。

「今日の空はどう?」
「今日は快晴だから…雲一つない空はとても綺麗に見えるよ」

ここに彼女がいるから。彼女はいつも、ここから空を眺めているから。
── 今日もあの子はいるのかな…。
そう思いながら僕は彼女に逢うことが楽しみになっていたみたいだ。



長閑な日。
今日も彼女はここにいた。
いつも通り一人草原に座って、目の前に広がる空を眺めて。
その隣りに僕は座る。彼女が見る、同じ空を見上げながら。

「…そういえば、君の名前は?」
ふと思い出したように僕は尋ねる。
すると彼女は目を丸くしながら振り向いた。
そしてそのまま僕の顔をじーっと見る。
ああ…そうか、と僕は彼女の仕草を理解するように応えた。
「僕はユウト。日下侑斗(くさかゆうと)だよ」
「…私はフレイ…。唯羅芝風零(いらしばふれい)」
「唯羅芝…風零、変わった字だなぁ。…ねぇ、フレイって呼んでもいい?」
「…うん。それじゃあ私も、ユウトでいい…?」
「もちろんいいよ」

お互いの名前をようやく知って、僕と彼女は顔を見合わせて微笑んだ。



彼女 ── 風零と交わす会話はあまりない。まったく話さないというわけではないけれど。
いつも僕らはぼんやりと一緒に空を眺める。ただそうしていることが、なんだかとても居心地が良い。それだけで、僕にはもう十分だ。
風零も、僕と同じ気持ちになっているのだろうか。
そんなことを頭の片隅に置きながら、僕はぐぐっと伸びをする。
「陽の光があったかいなぁ~…」
「うん、あったかいねぇ」
伸びをしてそのまま草原に寝そべる僕を見て、風零は笑った。
そうした些細な会話をときどき交わしながら、僕らは同じ時間を共にする。



ぼんやりと、この草原で二人揃って空を眺める。それが最近の僕と彼女。

瞳に映るのはいつも同じなのに違う景色。
果てしなく広がる空。
ふわりと漂う雲。
ときどき穏やかな風が舞い上がり、草原を騒がせて。

こんな時間はいつまで続いてくれるのだろう?
そんなことを僕は思う。



「空はいつも私達に語り掛けているんだよ」
「空が語り掛けて…?」
「そう、いつも上から私達を見ていて、毎日が飽きてしまわないように姿を変えて、今日しか見えない空を楽しんでって」

空、か。
風零と出逢う前までは、当たり前に存在しているものだと僕は思っていた。
そう、ただ存在しているだけだと。
こうして見上げてみると不思議だった。
いつだって空は同じ場所にあるのに、日によってその姿は違うんだ。
同じ晴れた日でも雲の大きさとか位置やその色は微妙に異なる。
ときどき雲の隙間から太陽の光が差し込んでいたり、暖かな光を照らしていたり。
見たことがない光景はとても神秘的だった。
彼女が空を見て楽しいと思う気持ちが、僕は何だかわかってきたような気がした。

「…不思議だね。いつまでもこの時間が続いて欲しいな…」
なんとなく口にした僕の言葉に、風零はうきうきした表情で訊いてくる。
「ユウトも…空が好きになった?」
「うん」
「…本当に?」
「本当だよ。フレイに逢う前は何とも思っていなかったけど…今は空を見ると落ち着く感じかな」
そう言うと彼女は、良かった~、と嬉しそうにニコニコ笑った。
それを見て僕もつられるように一緒に笑う。

「フレイ、これからもずっと一緒にいようよ」
「…ユウト?」
「そして二人で一緒に……ここで空を見よう」
「…うん!」





僕らは空を眺める。
晴れた空。
流れゆく雲。

今日しか見えない空は、どこまでも。
どこまでも。



- END -

2007年掲載。ほんわかした物語をイメージして書いたものでした。

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