忘れられる場所
あなたの声は、いつも聞こえていました。
けれど…、
意思を持たない私には、その言葉の意味を理解することはありません。
眠りつづける私には、あなたの姿を目にすることもありません。
今はまだ、目覚めの時ではないのだから…。

とある森の奥深く、誰人たりとも訪れることがない場所に建物があった。
窓一つ見当たらない建物は白い壁に統一されていて無機質な外観を漂わせている。一見すると何の建物なのか見当もつかないのだが、ここに訪れる者はごく僅かに限られているために分かりやすくする必要は無かった。
建物の中に入ると、彩り様々な容器と稼働音を鳴らす怪しげな機器がずらりと立ち並んでいた。透明なガラスケースで施された容器には光を発する液体が入っているようで、事あるごとにそれらは色を変えて発光していた。
同じ大きさの容器が立ち並ぶ中、一番奥の中央には他よりも一回り大きい容器が異彩な光を放っていた。よく観察するとわかるのだが、すべての容器と機器はこの容器に直接繋がっているようだ。
核となる容器の前には青年が一人、片手に資料を抱えながら考え込んでいた。…いや、考え込んでいるというよりは、酷く悩んでいると言った方が正しいかもしれない。彼を悩ます原因は目の前にある容器にあった。詳しく言えばその中身だ。
容器の中にはいくつものコードが伸びていて「何か」に繋がれている。
「何か」はコポコポと気泡が昇る液体の中で、ゆらゆらと漂っていた。
それは、完成間近という ── 『兵器』だった。
兵器、といっても優れた機械等の類ではない。これは機械すら大きく上回る驚異的な産物だ。
容器の前で未だ頭を悩ます青年は、自分の国を統べる者から開発命令を受けてこの兵器を創り上げた。
『フォース人工生命体』(Force Artifical Weapon)
フォースというのはいわば精霊のことを示す。そのフォースの力を使って新たに創り出した生命が今、ここにあるのだ。
しかし、完成間近といってもまだ素体の段階だった。生命を創り出しただけでは兵器として使えない。そのため、能力を高めるためにもあらゆる魔力合成を行った。何度も繰り返し合成を行っては事ある度にフォースの種類や掛け合わせを調整する。
開発者の青年に備わる知力は国でも指を数えるほど有能だったので、魔力合成に関しては文句の付けどころが無かった。彼は魔力や魔法の研究が大好きで、それらに関わる知識においては国中を探しても彼を上回る者はいない。青年はすこぶる頭が良く、能力的にもこの開発事業に向いていた。
そう、彼は頭が良い。魔法や魔力に関しては誰よりも良く知っている。兵器開発についても大きな躓きは無く、何事も順調に進んでいるように見えた。
容器の中で光る塊は、合成段階を経て徐々に兵器としての姿を形成し始めている。
── このまま完成させてしまって良いのだろうか…?
青年は目の前の容器を見上げながら頭を悩ませていた。というのも、もともと兵器なんてものは創りたくなかったのだ。魔力開発に関わることは少なからず嬉しいことではあるのだけど。
だが、兵器というのはつまり武器でもある。武器は人を傷つけるものだ。そんなものを創る意味なんて、一体どこにある……。
── 博士、分かっているね? 開発を拒んだ時、君の大切なものがどうなるか……頭の隅で覚えておくといい。
思い出したくもない男の声が脳裏に過ぎる。ああなんて愚問なんだ。例え嫌な開発であっても自分には抗う術が無かった。それを思い出した青年の頭痛はさらに増すばかりだ。
青年に開発命令を下したのは国の総領主だった。国民の誰もが尊敬する総領主は、国の創設に貢献した権威ある人だとされていて、青年も総領主に憧れや敬意を抱く一人だった。そんな人がまさか青年の弱みを手中に納め、脅しの暴挙を向けているとは夢にも思わないことだろう。
でも実際、青年の大切なものには常時刃が当てられている。それでいて本人は気付いていない。いや、気付かせてはいけなかった。気付かせてしまったら、きっと……。
青年の大切なものは、自分の命にも代えられない本当に何よりも大切なものだった。
── 博士、貴方は何も言わず黙って開発を進めてくれればいいんだ。そうすれば、私は君の大切なものに手出しはしない。約束しよう。
なぜか、総領主は約束を守る方だと感じた。分別のある人で礼儀正しく、自分が命令を全うしたあかつきには優待遇してくれるつもりなのだろう。
けれど、総領主が一番望むとする真実を知った時、言葉が出てこなかった。そして信じられなかった。いったいどうしてそんなことを望んでいるのか…。
ああでも駄目なんだ。自分はどうやっても逆らうことが出来ないのだから。逆らったら最後、大切なものを失ってしまう……何よりも大切で大切でこの上なく愛おしい ── 彼女を。
こうして、抗うことが許されない青年は為す術もなく命令を承諾してしまったのだ。
今更ながら、後悔している。
なぜなら、兵器を完成させて渡してしまったら最後……世界は破滅の道を進むことになる。
それが、『兵器の使い道』だった。
だから青年は今、深い絶望を抱きながら悩んでいる。
大切なものを失いたくない。でも、だからといって世界を見捨てることなんて……!!
青年は俯きかけた顔を再び上げた。視線の先にあるのは、未だ成長を続けている『兵器』。創り出した兵器は、兵器とはまるで思えない姿形をしていた。
液体に浸かる容器の中で華奢な身体と金色の長い髪がゆらゆらと揺れている。その背中には左右非対称な色形の異なる翼が備わっていた。瞳はまだ閉じられたままだ。青年が予想するには碧色の瞳になるだろうと先を見積もっている。
容器の中に漂っている兵器とは、外見年齢15、6歳ほどの少女だった。
今はまだ眠りつづている状態なのだが、いずれ目覚めの時は訪れる。その日を迎えた時、彼女は自分に向かって何を言うのだろうか。
一度思考を巡らせた青年は、溜め息を付いた。
── 彼女は、何も言わない……。
考えるだけ無駄だった。彼女には、自分という自我の意思が無いのだから。そうなるように、創った。
それが、とても悲しいことだった。
兵器として生まれた少女は、
何も考えず、
何も感じず、
何も知らずに、
この世界に存在し続け、
命令されるままに、
あらゆるものを壊すだろう。
フォースで創られた彼女の命は、
世界がある限り ── 無限だった。
── これで、良かったのか?
確かに、これで良ければ自分の大切なものは無事手元に戻ってくる。
でも…。
── このまま、本当に完成させて良いのか…?
兵器が目覚めた時、彼女は武器として扱われ、世界は崩壊へ向かってしまう…。
── 本当に、ほんとうに、これで良かったと言えるのか…? 胸を張って、自信を持って、これで良かった、そう終わらせられるのか…!?
「くそっ!!」
悪態を付いた青年は容器に備わっている管理操作盤を乱暴に叩いた。システム自体はロックしていたので、叩いたところで何の反応も起こらない。感情の高ぶったまま、青年は自分の設計した操作盤を酷く憎らしそうに睨み続けていた。やがて睨むことに疲れたので、彼はゆっくりと機器にもたれて床に座り込んでしまった。
そうしてぼんやりしていると、いつのまにか傍には見慣れた精霊の姿が浮かんでいた。金色に輝く可愛らしい精霊 ── ルーンだ。ルーンは青年が創り出した人工精霊だった。人懐こくて純真無垢な性格であるその精霊は、思い悩んでいる青年のことを心配しているらしい。ルーンは言葉を持たない。けれど小さな行動一つ一つが心の中で青年と通じている。
青年はわずかに笑みを浮かべると、ルーンの頭を撫でてやった。
「…ありがとうルーン、心配してくれているんだね」
言葉を掛けられたルーンは嬉しそうにパタパタと翼を打つ。それから慰めるように青年の傍へすり寄った。
「うん、わかってるよルーン。でもね、僕はもう…どうしていいのか分からないんだ…。何が良くて何が悪いのだろう…………ひとつ分かることと言えば…今僕のしていることが、間違っているということだ…」
そうだ、自分のしていることは間違っている。間違っていると最初から理解していたことなのに。
しばらくして落ち着きを取り戻した後、青年は再びケース越しの兵器を見上げていた。
特別深く考えていたわけではなかったのだが、ふいに瞳から涙が零れ落ちる。意識していなかったので青年は不思議そうに自分の涙を拭った。
── 僕は今、泣いているのか…?
手に残る水滴を見つめて、彼は改めて自分の本心を確認していた。もっと早く、事態に気付いていれば、こんなことにはならなかったのだろう。
── でも…今なら、彼女が眠る現在なら……まだ可能性は…。
何度も巡らせた思考の中、青年は胸の奥で一つの決意を抱き始めていた。もしかしたら自分は最初からすべてを諦めていたのかもしれない。きっと解決する方法はあるはず……。そして、何かしら実行するのなら、チャンスは今しかないのではないか……。
── さぁ、どうする…?
無駄な自問だった。決意を抱いた時に自分の答えはとっくに決まっている。
もう一度涙を拭うと、青年はシステムのロックを解除して機器設定を操作し始めた。ひとつ、またひとつ……操作を進めるたびに容器に備わるメーターランプが次々と消えていく。併設されている機器も順々に電源が落ちる。そのうち並んでいた容器の一つが完全に稼働を停止していた。
決意は変わらない。けれど、何かやりきれない表情を浮かべながら青年は繰り返し機器操作を続ける。容器の明かりが消える度に稼働音が減っていった。
彼は、操作の手を休めることはなかった。ルーンには青年の行動が理解できたのだろうか。小さな精霊はただ、パタパタと浮かびながら彼の動向を見守るだけだった。
これは、最悪な結果を導くことになるのかもしれない。青年は人知れず、そんなことを考える。
しかし、今の自分にはこうする他に方法が無かった。いくら考えても回避する手立てが思い浮かばない。考えている間に時間は過ぎてしまう。いずれは何もかも間に合わなくなるかもしれない。だったら、少しでも可能性がある方へ……。
気が付くと、画面を操作する手の平にぽたりと水滴が零れ落ちていた。
自分の涙だ。今行っている操作が最悪な事態へと繋がる可能性、それは自分が一番良く知っていた。でも、もう二度と引き下がることはできない。
だから彼は、涙を流した。
やがて、建物内の全ての明かりが消えた。……ある一か所だけを除いて。
明かりの灯る唯一の場所、それは兵器である少女が眠る容器だった。フォースの力が作用して液体に溶け込む光が淡く輝いているらしい。容器の機器自体は他と同様、すでに稼働停止させられていた。
青年は力無く容器に寄りかかっていた。傍にはルーンが寄り添っている。それに気付いているのか、気付いていないのか。彼は泣きながら、掠れた声で同じことを呟いていた。
「…ごめん……本当に、ごめん…っ……」
その言葉はいつまでも繰り返され、部屋の中に響き残った。
彼女が目覚めることは…………なかった。
博士。
ずっと、あなたの声は聞こえていました。
謝る必要はありません。今の私にはわからないから…。
けれど、あなたが私にくれた言葉はきっと忘れません。
あなたが私に与えてくれた大切なものだから。
だから、もうしばらく眠り続けようと思います。
どうか、この場所は忘れてください。
……いつの日か、目覚めの時が訪れるまで。
- END -
2009年掲載。とある博士の苦悩を綴った物語でした。
感想などありましたら下記フォームからどうぞ
メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字