光と闇
ひとつの街が黒い闇に包まれた。
闇はどこからともなく忍びより、あっという間に街全体を呑み込んだ。
翌日、闇は何事もなかったように消えていて街には白い雪が降った。
降り積もる雪は徐々に紅い色に染められていく。
街はとても静かだった。
その日、光主と呼ばれる光の翼を携えた種族が一夜にして全滅した。
原因は一切不明だった。
+ + +
「ラスティ」
可愛らしい金髪の少女が自分の数歩前を歩く男の名前を呼んだ。
男は足を止め、何も言わずゆっくりと振り向く。
その顔はとても端正な顔立ちをしているが無表情。マントを身に纏い、腰には拳銃と長剣を装備していた。
「明日は雪が降るんだって」
少女は男の反応に気にすることなく言葉を続ける。晴れた空を見上げながらこの場を楽しんでいるようだ。
「雪って白いんだよね?」
少女の問いかけに男は少し間をあけてから頷いた。
「…ああ。雪は…白いな」
男の返答に少女はにっこりと微笑み、さらに尋ねる。
「雪ってどんな形をしているの?」
「雪の形…」
男はどう説明したらいいのかわからず再び歩き出した。少女は?マークを浮かべながら彼の後を追う。
しばらく考えてから男はようやく答えを返した。
「…明日になればわかる」
「そっか。そうだよね、なんだか楽しくなってきちゃった」
少女の瞳は一層輝きを増し、わくわくとした表情でもう一度男に微笑んだ。
『どうしてそんなことを聞く?』
男 ── ラスティアはそうは思わない。
少女 ── ミルトレットが自分に尋ねるのは何も知らないからだ。
この世界には四季があり、春になれば花が咲き、夏は太陽の日差しが強くなる。秋には植物が紅葉し、冬には必ず雪が降った。それは誰もが当たり前のように知っていることである。
でもミルトレットは四季も冬も雪も知らない。
『何故、知っていて当然の事を彼女は知らないのか?』
別に四季の存在しないお伽の国からやって来たというわけではない。
世間知らずのお嬢様というわけでもない。
ラスティアはミルトレットに何を聞かれても「うるさい」とも「しつこい」とも言わなかった。
彼は知っている。
彼女が記憶を失っていることを。
そして。
それが自分のせいであることも。
ラスティアが初めてミルトレットに出逢ったのは、ある病院の一室だった。
当時、ある事件が発生した矢先だったため、病院内はとても慌ただしかった。
その中で見つけた少女。
「私が記憶を失った理由、わかる?」
ラスティアは何も答えられなかった。ミルトレットは俯いたまま静かに言葉を続ける。
「きっと、嫌な記憶があったからだと思うんだ」
「………」
「本当のことは何もわからないけど…思い出さない方が良い気がする」
ラスティアは黙って聞いていただけであったが、心の内では頷いていた。
── この子はこのまま何も知らない方が幸せだ。
「ねぇラスティ、馬ってなぁに?」
「馬は…4足歩行の動物。…向こうにいる」
彼が示す方にミルトレットが視線を遣ると、そこには馬車を引いて走る馬の姿。
馬を初めて見た彼女は思わず歓声を挙げる。
「あれが馬なんだ…すごーい!」
喜ぶ彼女の姿を眺めながらラスティアは言った。
「馬車に…乗るぞ」
「…うん!」
パカッパカッ
音と共に揺れる馬車に乗りながら、ミルトレットは移りゆく景色を眺めていた。
「街があんなに遠くに…馬って足が速いのね」
「…ああ」
「馬がいれば知らないどこか遠くにも行けるのかなぁ…」
彼女の横顔がどこか悲しそうに見えたのは気のせいなのだろうか。
ラスティアは何も言わず相変わらずの無表情でミルトレットを見つめた。けれど、秘めた胸の奥底では強く願いながら。
── このまま…誰も知らない場所へ…。
しかしそれは叶わない。
ラスティアには優先的に行かなければならない場所がある。それは自分の意志ではなく出来ることなら行きたくない。
そんな場所へと馬車は迷うことなく走り続けた。
馬車が辿り着いた場所はとある街。
全体的に黒い建物が目立ち、あまり活気というものは感じられない。
「変わった街だねぇー」
ミルトレットは新しいものを見る度に瞳を光らせ、るんるんと楽しそうに足を運ぶ。
しかしラスティアは一刻も早くこの場を去りたかった。
街の奥にある一番大きな建物の前でラスティアは足を止める。
「ミル、君はここで待っていて」
「どうして?私もラスティと一緒に行きたい」
「ここは…駄目だ。すぐ戻るから待っていて」
ミルトレットはぷぅっと顔を膨らませたが「早く戻ってきてね」と言うと近くにあったベンチに腰掛けた。
ラスティアは感情を表には出さないがホッと安堵する。本当は街の中にも彼女を入れたくなかった。だが一人外に残すわけにもいかず、ここに至る。
でもこの先は絶対に行かせられない。
ここには彼女の知らない真実が眠っているのだから。
ラスティアを待っている間、ミルトレットは一人ベンチに座り空を眺めていた。
白い雲が流れ、青い空がどこまでも広がっている。
何もすることがないので足をぶらぶらと揺らしながら呟いた。
「ラスティ…まだかなぁ…」
彼があの建物に入ってから数十分が経つ。値で見るとたいした時間ではないが、彼女にはとても長く感じる。
というのも、ミルトレットの傍にはいつもラスティアが付いていた。
それが当たり前だったので気付かなかったが、いざ一人になると無性に不安になるものだ。
それだけ今まで彼と一緒に行動をともにしてきたということなのだろう。
ミルトレットはふとラスティアのことを考えてみた。
ラスティアは言葉こそ口数少なく、無愛想な男である。
自分が何を言ってもにこりとも笑わない。
よくよく考えてみるとミルトレットはラスティアのことを何も知らなかった。知っているのは彼の名前だけ。何度かラスティアに自身のことを尋ねたことはあったが何も答えてくれなかった。余程人には言いたくないことでもあるのだろうか。
そんなことをつい考えてしまう。だが、自分も自身のことがわからない身、気にしてもお互い様である。
そう思ってミルトレットはベンチから立ち上がった。
「ちょっと散歩してこようかな」
もし、記憶が戻ったとしたら?
どこで生まれて、どこで暮らし、誰を知っていて、今まで何をしていたのか。
名前しかわからなかった自分のことがすべてわかる。
それって良いことなの?
自分の正体がはっきり明確にはなるけれど…。
記憶を失った自分だけどラスティアと一緒にいるのはとても楽しいと思う。
ミルトレットはラスティアを信頼し、兄のように慕い、大好きだった。
だからこのまま何も変わらないで欲しい。
ずっと彼と一緒にいることが自分の幸せなのだ。
無くした記憶を取り戻す必要なんかない。
そう思っていた。
黒い大きな建物の中、一番奥にある薄暗い部屋。
そこにラスティアはいた。
前方には男が立っていたが暗いためはっきりした姿はわからない。
その人物を目の前にラスティアは何も言わず地に膝を付ける。
「ようやく帰ってきたか、ラスティア」
「はい…」
男はゆっくりと近づいてきた。跪くラスティアの前で一度立ち止まり、そのまま屈む。
それから俯いたままの彼に顔を上げるよう促した。
「では、あの忌まわしい奴らの以後報告をしてもらおう」
「はい…」
ラスティアはゆっくりと言葉を紡ぐ。
話を聞いた男は満足そうに笑みを浮かべた。
「我々『闇宵』の敵・光主の抹殺…世間は原因不明の事件と報道している。作戦は成功したようだな」
長年の敵であった光の種族。
ラスティアは男に命じられ、闇とともにすべての光主を殺した。
闇夜の間に光主抹殺計画は実行され、見事成功を遂げる。何も痕跡を残さなかったため闇宵が彼らを全滅させたという疑いはまったくない。
男は声を挙げて高々と笑った。勝利した歓びを感じたのだろう。
それを見計らってラスティアはもう一度口を開く。
「では、私の任務は終了したのでこれで…」
ようやくここから出られる、そう思って言った言葉だった。
ラスティアをちらりと見ながら男は嘲笑に似た笑みを浮かべる。
「まだ任務は終わっていないだろう?」
「え…?」
ラスティアは意味がわからず顔を上げた。すると男が自分の背後に視線を向けていることに気付く。自分が後ろを振り返ると同時に男は信じられないことを口にした。
「ラスティア、お前はまだ最後の光主を殺していない」
ラスティアの瞳に金色の長い髪が映った。
「どうしてここに…!?」
振り返った先にはいつも行動をともにした少女の姿。
けれど様子が違う。彼女にいつものような明るい表情は見られない。
なによりも目を惹いたのは、彼女の背に今まで見たことがない光る翼があったこと。
光の翼、それは光主である証を示している。
それを見てラスティアは愕然とした。
「ラスティ…ここにいたんだね」
悲しそうな瞳でミルトレットはこちらに近づいてくる。
「ミル…記憶が戻ったのか…」
「………」
ミルトレットは何も言わず、ラスティアの傍で立ち止まった。
ラスティアは知っていた。
彼女が記憶を失ったのは自分のせい。
そして唯一生き残った光主であることも。
本当はそれを知ったときすぐに彼女を殺すはずだった。
一見どこにでもいる普通の少女。
殺すのは簡単だ。
でもそうしなかったのは…。
ザザッ
二人の周りをぐるりと大勢の人影が囲んだ。
ラスティアの前にいた闇宵の男が不敵な笑みで声を挙げる。
「ラスティア、お前が出来ないのなら我々が手を下すぞ?」
男の冷たい瞳が胸を刺すようでラスティアは唇を噛みしめた。
だからここには来たくはなかった。いや…来るべきではなかったんだ。
ラスティアは装備していた拳銃を右手に構える。
そして…その銃口はゆっくりとミルトレットに向けられた。
「ラスティ…?」
「ミル…ごめん…」
パァンッ
銃声が部屋中に鳴り響いた。
暫しの静寂がすべての空気を包み込む。
それを破ったのは闇宵の男であった。男は目を見開いて声をあげる。
「!!…なにっ!?」
周りにいた大勢の闇宵達も表情を強ばらせて後ずさる。
驚くのも無理はない。撃たれたはずの少女が無傷のまま目の前に立っているからだ。
ラスティアも茫然とミルトレットを見ていた。彼女の翼は一層光を増して、悠然と輝いている。
「やっぱり…思い出さない方が良かった…」
そう呟いてミルトレットは右手を挙げた。すると閃光が軌跡を描きながら周りの闇宵達に直撃する。
「うわぁぁぁー!!」
絶叫を残し攻撃を受けた彼らは倒れた。
「この小娘がっ!!」
叫びながら男が少女目掛けて剣を振り下げる。
しかしそれは翼を持つミルトレットに簡単にかわされ、再び閃光が男の身体を貫いた。
部屋には息絶えた無数の闇宵達が倒れている。
静かな空気が訪れた。
ミルトレットは男が持っていた剣を手に取ると、佇むラスティアに声を掛けた。
「ラスティが私の種族を殺したなんて嘘だよね?」
「………」
「ずっと私を騙していたなんてことないよね?」
「………」
彼女の問いかけに返事は返ってこない。ミルトレットはゆっくりとラスティアに近づいた。
「どうして何も言わないの!?」
「全部…本当のことだから」
ようやく返ってきた答えにミルトレットは絶望した。そんな言葉を望んでいたんじゃない。
彼には否定して欲しかった。記憶を取り戻してもずっと一緒にいたかったから。
でもこれでわかった。
もう終わりなのだ。
「ラスティ…さよなら」
ズッ
ミルトレットの剣は迷うことなくラスティアの身体を貫いた。
ラスティアは顔を歪ませ、膝をつける。
赤い血が床に滴り、広がった。
── 思い出して欲しくなかった。
記憶を取り戻した君に待っているのは悲しみと憎しみ。
一人で生きていくにはとても重すぎる感情。
それを背負うくらいなら何も知らない方がいいと思った。
君の笑顔は天使のように輝いていて、闇に染まる自分に光を与えてくれた。
ずっと君と一緒に、いつまでもその笑顔を見ていたかった。
だからあのとき遠くに行ってしまえば良かったと思う。
どうして私はここに戻ってきたのだろう?
ああ、今更考えても無駄か。
私は時期に…。
ラスティアの瞳にぼんやりと少女の姿が映った。
気のせいなのか、彼女は自分の身体を抱きかかえている。
何か言っているようだが、意識の薄れゆく自分の耳には届かない。
最後に彼女の瞳から涙が流れるのが見えた。
── 思い出したくなかった。
記憶を取り戻した自分はきっと彼の傍にはいられない。
なんとなくそんな気がしていたから。
貴方はずっと私の傍にいてくれた。
例えどんな不安が自分を取り囲んでいても、それだけで平気でいられた。
貴方と一緒にいることが私のたった一つの願い。
でもそれはもう叶わない。
私は…すべてを思い出してしまったから。
「どうしてすぐに私を殺さなかったの…?」
そうしていればこんなに苦しむことはなかったのに。
ミルトレットは倒れたラスティアを抱きしめた。
大量の鮮血が流れ、身体は冷たくなっている。
返事は二度と返ってこない、それでも彼女は言葉を続けた。
「ラスティが全ての光主を殺したとしても、私はずっと一緒にいたかったよ…」
+ + +
ひとつの街が白い光に包まれた。
眩しいほどに輝くその光は、あっという間に街全体を呑み込んだ。
光は何事もなかったように消え街には白い雪が降る。
降り立った先は崩れた黒い建物の中。
そこに、黒い翼を持つ青年と白い翼を持つ少女が静かに眠っていた。
お互いの手を握りしめ、もう二度と離れることがないように身を寄せて。
彼らの頑なに握られた手の上で雪はゆっくりと儚く消えてゆく。
その日、闇宵と呼ばれる闇の翼を携えた種族が一夜にして全滅した。
光主抹殺事件と同様、原因は一切不明のまま。
二つの事件の真相が解明される事はなかった。
- END -
2007年掲載。光と闇、相反する属性・関係性が好きで書いた物語でした。
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