dragon blood archive - 皇の記録 - story of dragon blood -
誓約
古代より深い絆で結ばれた二つの種族がいた。
長い時を永遠に駆ける「竜」という種族。
彼らに命を預け、一生を共に歩む「竜血種」という種族。
「誓約」を掲げた彼らの絆は何よりも強く、絶対的なものだった。
昔から竜血種が引き継ぐ竜血は6属性と決まっていた。
炎竜フレイア
水竜ウォレス
風竜エアラーン
氷竜リヴァーシー
地竜ディズレイ
雷竜ギルオード
以上の6竜である。
ところがある日、異彩の竜血を引き継ぐ者が現れる。
それはかつて誰もが持ち得ることがなかった全ての属性を掌握する神竜の血。
引き継いだのは、美しい銀色の髪と澄んだ蒼い瞳を持つ少年だった。
少年の誕生は定かではない。
竜谷の民であるはずだが、彼の出生を誰一人として知るものはいなかった。
それでも竜血種は、神竜を受け継ぐ少年こそが自分達の象徴であるとして、彼に「皇」という称号を与える。
皇となった少年は周りから丁重に扱われ、いわば異常なまでの過保護を受けた。
故に自由に遊ぶことはもちろん、外出すら許されず、箱庭での生活を余儀なくされる。
それは少年の大きなストレスとなり、いつしか事件が起こることとなった。
毎日続く箱庭生活に、少年の精神は耐えられなかった。
彼に秘められた力はついに暴走したのだ。
強大な力が竜血種の集落を襲う。
しかし、竜が命を落とすことはない。
竜の誓約と信頼によって護られた竜血種も命を落とすことはない。
けれども、少年の持つ神竜の力を止められる者はいなかった。
誇り高くも絶大にして、脅威的な力。
凄まじい力を目の当たりにした竜血種達は、心に深く恐怖を刻みつけられる。
集落の悲惨な状態に、少年は立ち尽くすことしか出来なかった。
自分の竜血に秘められし力。
向けられるのは冷たい眼差し。
在りもしない虚偽が語られる。
「彼は神竜の力に溺れて、一族を滅ぼそうとしたのかもしれない」
少年は一人責任を感じて、故郷を離れることにした。
その傍らには、既に少年と誓約を交わしていた白銀色に輝く一頭の竜・神竜がいた。
神竜の名はユナ・シルヴィス。
白銀竜は、まだ幼い誓約主と共に行くことを選んだ。
世界を渡る彼らの旅が始まった。
世界へ
故郷を離れてまだ間もない頃だった。
今まで竜谷の外へ出たことがなかった少年は、初めて見る世界に胸を高鳴らせる。
けれど、不安がまったくないわけではない。
以前の事件がトラウマとなり、自分の力を制御出来ず、不安定な精神状態が時折起こるのだ。
「…君は、この森を壊すつもりかい?」
森の中で突然、自分に届いた声。
力の暴走に苦しんでいた少年は顔を上げる。
目の前に立っていたのは、奇妙な衣服に身を包んだ茶髪の少年だった。
頭には緑色の帽子、胸の中央で交差する二本の帯がふわふわと漂っている。
「違う、森を壊そうとしているんじゃない。僕はまだ…自分の力が制御できなくて…」
「自分で力を制御できないのは、その力の全てを君自身が知らないからだよ」
茶髪の少年は燈色の瞳を細めながら、じっと銀髪の少年を見つめる。
「そう…なのかな」
「もしくは、君自身が自分の力を恐れているから…かな。さぁ、これでもう大丈夫」
茶髪の少年が銀髪の少年へ近付き片手を翳すと、暴走していた竜血の力はゆっくりと鎮まっていく。
銀髪の少年は「ありがとう」と礼を告げるが、不思議な力に困惑した様子だった。
「………君はいったい…?」
「名乗っても良いけれど、尋ねるのなら君の方から名乗るべきでは?」
「僕はキルシス……竜血種だよ」
「竜血種のキルシス、覚えておこう。僕は世界の源を司る、オリジン・フォース」
源のフォース・オリジンに出逢ったことで、少年は世界の基本的構成を知った。
世界に在るすべての源泉は「フォース」と呼ばれる精霊の存在。
自分に秘められた神竜の力も、フォースの一部なのだろうか。
少年 ── キルシスの問いにオリジンは首を振る。
「君はまだ何も知らないだけさ。フォースが世界のすべてではない」
この先、どんな物語が彼らを待ち受けるのか。
世界はどこまでも広い。
旅はまだ始まったばかりだ。
異種族
ある時、キルシスが歩く先に彼はいた。
風に靡く紅のマント。
背中には存在を示すような黒い翼。
赤い色が焼き付く長い髪。
哀愁が漂う真紅の瞳。
自分とは異なる種族で、人間ではない。
「本当はこんなはずじゃなかった…僕は…」
彼の言葉が気になって、キルシスは思わず声を掛けた。
「…どうかされましたか?」
「!!」
彼は驚きながら振り返る。
見知らぬ者を見た真紅の瞳はすぐに鋭くなった。
「…お前は誰だ」
「僕はキルシス。貴方が何か、困っているようだったから…」
「そう。確かに困っていると言えば……そうだ」
キルシスから顔を背け、彼は続ける。
「でも、通りすがりの者が何とか出来るような、簡易なものじゃない」
「そう…ですね、僕は出過ぎたことを考えてしまったみたいだ。ごめんなさい」
冷たくあしらわれたキルシスは申し訳なく頭を下げた。
銀髪の少年の姿に、背を向けていた彼は向き直って言葉を紡いだ。
「気にしなくていい、気持ちだけは受け取っておく。…一つだけ聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
「世界には様々な種族が存在している……種族による違いに、意味はあると思うか?」
「種族…確かに外見や能力の違いはあるけれど、みんな同じなんじゃないかな。意味があるとすれば、それは人それぞれの意識の違いから生まれるのだと……僕は思う」
キルシスの素直な感性から出た答えに、彼は少しだけ驚いたようだった。思いがけない答えだったのかもしれない。
真っ直ぐな蒼い視線を受けながら、彼は静かに頷く。
「人それぞれの意識、か…確かにそうかもしれないな」
「本当のことは僕にもわからないけれど…」
「いや、十分だよ。ありがとう。真実はきっと誰にもわからない」
彼の冷たかった瞳が少しだけ和らいだ。
「…そういえば、まだ名乗っていなかった、僕はエルガナス。魔界オルセイアの…悪魔だ」
「貴方が魔界の悪魔?」
「…悪魔が怖いか、キルシス」
「そんなことは。種族の違いは外見だけでは語れないから」
「本当に、そうだといいけれど」
「…それに、僕も同じだよ」
「同じ、とは?」
「僕は、竜血種……人間じゃない」
「そうか。確かに、外見だけでは語れないな」
広い世界で生きている。
それは、誰もが皆同じことだ。
けれど、どこかに違いがある。
仕方ないといえばそうなのかもしれない。
外見、能力、環境、意識、違いは様々。
人に感情があるのは、その違いを認識させるためのものなのだろうか。
同じなのに、同じではない。
いったい何が、人の意識を動かしているのだろう。
本当の答が見つかるかどうかはわからない。
それでもキルシスの旅は続いて行く。
時代の燈火
彼は人懐っこい青年だった。
明るく気さくで、時折自分勝手に走ってしまうこともある。
けれど周囲の人は誘われ、魅入るような視線を向ける。
不思議だった。
意識せずとも人を惹きつけ、自身が持つ導きへと引き込んでしまう。
彼はそんな力を持っていたのかもしれない。
自分も彼に惹かれ、希望に魅せられた一人なのだと感じた。
彼、アルゼフィートに出逢ったのはエンデバーグという国だった。
初めて訪れた国なので右も左もわからない。
そんな自分が路頭に迷っているところを、彼は親切に道案内をしてくれた。
どうやら国の治安警備隊に所属している魔剣士らしい。
「君、どこから来たんだ?見たところ、この周辺の人じゃないよな」
「ちょっと遠い国から…」
「へぇ~、ここには何しに?観光かい?」
「うーん…そんな感じ」
彼から問われる内容に、キルシスは曖昧に答える。
自分が永い時を生きる竜血種である以上、本当の事はなかなか口には出来なかった。
しかし、彼はそんなことは気にもせずキルシスに興味深く話しかけてくる。
「ずっと一人で旅を?」
「いや…二人かな。相方がいて、一緒に世界を見て回っているんだ」
そう答えたとき、彼の表情は大きく変わった。
紫色の瞳は夢を見るように輝いたのだ。けれども、どこか寂しそうな面影も浮かんでいた。
「世界を見て……そっか、羨ましいなぁ」
「どうして?だったら君も、旅を始めたらいい」
「無理だよ、今の世界のままでは…ね」
このとき時代はヴァーツィアという。
いつからか魔界オルセイアと世界ヴァーツィアが戦っていた頃のことだ。
悪魔率いる魔王軍と人々の戦いは激化し、終戦する兆しは一向に見えなかった。
彼が旅することを無理だと言ったのは、このためだ。
「俺には守りたいものがある。それが確保できる平和が訪れるまでは戦わないといけない」
「君の守りたいものって……自分の家族?」
「そうなるかな。でも両親はいない。残っているのは妹だけだよ」
アルゼフィートは胸ポケットから一枚の写真を取り出す。
そこには彼と一緒に黒髪の少女が写っていた。
「いつか平和を取り戻せたら、この子と一緒に旅をするのが俺の夢なんだ」
「そうか、叶うと良いね」
「ああ、ありがとう」
彼は優しく微笑んだ。
しかし、キルシスは一人、複雑な心境を胸に抱いていた。
── 僕には…守りたいものがあるのだろうか……。
竜の誓約、それ以外で自分自身が本当に守りたいものとは…。
姉弟
キルシスには姉がいた。
血の繋がりはなかったが、明るい性格で気立ての良い姉である。
名前はイムルといい、雷竜ギルオードの竜血を引いていた。
幼い頃、よくイムルがキルシスの遊び相手になってくれていたものだ。
「キル、見てみて!お花がたくさん咲いていたから持って来たんだ」
「わぁ…すごく綺麗!外にはいろんなお花があるんだね」
「うん、今度はキルも一緒にお花畑へ行こう?」
「でも僕…外に出ちゃ駄目だって言われてるから…」
「少しくらい大丈夫だって。それにいざというときは私のライゼンがいるもの」
外出を許されないキルシスを、イムルは周りに気付かれないよう勝手に外へと連れ出していた。
彼女自身がキルシスと遊びたいという理由が大半だ。
けれど、イムルの心には彼を解放してあげたいという思いが隠されていた。
自分より幼い弟が周りによって縛られる様子を、彼女は黙って見ていられなかったのだ。
その想いを受けて、イムルと誓約を交わす雷竜ライゼンも共感する。
二人は協力してキルシスを救い出そうとしていた。
「ねぇキル?キルってば…もう寝ちゃったの?」
「………うーん…」
「まだ遊び始めたばかりなのにー…」
『イムル、彼に無理をさせるな』
「でもライゼン…」
『「皇」に縛られるキルシスは精神的に疲れている。だから今は、外へ出られたことに安心して寝てしまったのだろう』
「そっか。ねぇライゼン…キルは元気になってると思う?」
『ああ、大丈夫だよ』
一時的に束縛から解放されたキルシスは、イムルと遊んでいる途中で寝てしまうことが多々あった。
日々溜め込んでるストレスが解放され安心することで、疲れが一気に出てしまうのだろう。
遊べる時間が少なくてイムルはいつも残念がっていた。
いつしかそんな彼女を慰めるのが、雷竜ライゼンの役割となる。
二人は、キルシスの元気な姿を見るたびに嬉しさを覚えていた。
しかし、事件は起こってしまう。
ある時、キルシスが秘める神竜の力は暴走してしまったのだ。
同胞が恐れを抱く中で、幼子のイルムはただ一人、キルシスを守ろうとした。
「ごめんね、おねえちゃん……僕は、もうここにはいられない」
「そんな……キルのせいじゃないよ!」
「でも、また同じことが起こったら、僕は……だから…行くね」
「行っちゃうの?さびしいよ」
「おねえちゃん……大丈夫だよ。いつかきっと、戻るから」
「ほんと?キルのおうちは、私のおうちだよ。家族だもんね……帰ってくるの、ずっと待ってるから」
「うん、ありがとう」
── あれから、数百年。
「キル…今頃どうしてるかな?」
遠い空を見上げて、イムルは小さく呟く。
幼子だった少女は年月とともに、大人の女性へと成長していた。
『心配なのか、イムル』
イムルのそばに寄り添う雷竜ライゼンは、首を伸ばして彼女を覗き見る。
「うん…結局私は何も出来なかった。キルの暴走を止めることも、庇うことも」
『そんなことはない。イムルは十分尽くした。それはキルシスにも伝わっているはずだ』
「ありがとう…ライゼン」
『心配するな。大丈夫、いつか必ず…キルシスは帰ってくる』
「うん…そうだよね。ここはあの子の帰る場所だから」
イムルと雷竜ライゼンはいつまでも待ち続ける。
大切な家族の帰りを、いつの日か笑顔で迎えるために。
友
森を散歩していたとき、見慣れない衣服を身につけた青年を見つけた。
ライトブルーの跳ねた髪が印象的で、両手を広げて大きく深呼吸をしている。
とても気持ちよさそうだ。
「こんなところで何をしているの?」
キルシスが声を掛けると、青年は驚いた様子でしばらく無言のままだった。
髪色と同じブルーの瞳を丸くさせて、自分をじっと見つめている。
ややあってから青年は、慌てたように気を取り直して、ようやく口を開いた。
「あ…えっと、森の空気がとても気持ちよかったから…つい、ぼーっとしてしまって…」
「この森にはまだ人が深く立ち入ってないからね」
森を見上げながらキルシスは答えた。小鳥の囀り、風で揺れる木々、自然のざわめきが空気に響く。
青年の持つ特殊な魔力の空気に覚えがあったため、キルシスは彼に尋ねていた。
「君は…星読?」
「!!」
その言葉を発した時、青年の表情は徐々に固く強ばってしまう。
彼は再び口を噤み、警戒の目で、キルシスを見ていた。
その様子に気付いたキルシスはふと思い出す。
人づてに聞いたことだが、星読は他の種族から嫌われているという話だ。
星読という種族は、光と闇、相反する大きな魔力を持ちながら知能も優れている。
だからこそ周りは受け入れられなかったのだろう。
星読はあまりに優秀すぎる、と。
「ごめん…差別するつもりで尋ねたわけじゃないんだ」
キルシスは弁解を述べるものの、青年は少し戸惑っているようだった。
「そうですか…僕は他の種族に逢うことは初めてなんだ。君は…星読がわかるんだね」
「君の持つ魔力が特殊なものだと感じたんだ。それに危害を加えるつもりはないよ。星読は魔法都市から出ないって聞いていて……」
「…捜しものをしていたんだ。僕の名前はアスフェル。君は…?」
「僕はキルシス。この辺りを散歩していたんだ」
アスフェルは初めこそ落ち着きなく警戒していた。
けれど、すぐに打ち解けることが出来た。
それはキルシスが竜血種だと告げたことが、彼の緊張を解いたのかもしれない。
竜血種という言葉を口にした瞬間、アスフェルの顔色は生き生きとしていた。
「竜血種!?すごい…竜と誓約を結ぶ種族がいるなんて知らなかった」
「うーん…大抵の人は僕らのことなんて知らないと思うけどね」
「やっぱり世界には僕の知らないことがまだたくさんありそうだね。ここに来た甲斐があったよ」
星読の国・魔法都市で博士を務めるアスフェルは、世界構成に関する研究をしているらしい。
しかし、研究に必要な要素が魔法都市だけでは揃えられない。
そのため、時折こうして世界各地を探し回っているということだった。
「僕は世界を知りたい。新しいものを発見する度に溢れ出す感動がたまらなく気持ちがいいんだ」
「わかるよ、その気持ち。僕もいろんなところを渡り歩いて知らなかった多くを学んできた。世界は本当に広い」
「へぇ~…僕達、気が合いそうだね!またここに来てもいいかい?キルシスともっと話したいんだ」
「もちろん。僕で良ければ」
約束を交わした二人は、出逢ったこの森で度々語り明かした。
アスフェルは星読、研究、魔法、新しく発見したことや自分の仕事、家族の話を。
キルシスは竜血種、竜、旅した世界、出逢った人々の話を。
互いのことを楽しそうに話す二人を見て、神竜シルヴィスは密かに思う。
『二人とも、本当に気が合うようだ』と。
竜である自分だけ彼らの会話に入れてもらえないのが少し淋しいが、それも良しとしよう。
永い時を生きるには、こういう時間が十分に必要なのだ。
時は流れ、いつしか時代は変わりゆく…。
目指す平和
ある時訪れたのは白く美しい世界。
天使達が暮らす天界プラディーン。
白い翼を背中に携えた彼らの生活に、争いという言葉はない。
長い金髪の天使が言った。
「確かにここは平和な世界といえよう。だが…それ故に狙う輩が存在する」
「…悪魔のことですか?」
「そうだ。悪魔さえいなければここは真の聖域となるだろう」
「聖域…貴方が目指す世界とは何を意味するのです?」
「私が目指す世界、それは闇を排除しここ天界プラディーンを我ら天使だけの世界にすることだ」
「天使だけの世界…ということは」
「申し訳ないが、いずれ君と逢うことも出来なくなる。これも我らのためなのだ」
どこからか風が吹き、金色と銀色の髪が揺れる。
天使が空を見上げると、隣りに立っていた青年はその場をあとにした。
「ごめんねキルシス、お兄さまは種族に執着し過ぎなのよ」
「いいんだよ。彼は天使として一番の幸せを考えた、だから仕方ないのかもしれない」
「それじゃあキルシスも…天使は天使だけで暮らした方がいいと思うの…?」
金髪の可愛らしい天使の少女は悲しそうな表情を浮かべる。
「そういうわけじゃないけど…クラインは嫌なのかい?」
「嫌よ!だってそうなったら…もう二度とエルガナスに…!」
急に気を乱す天使を見てキルシスは首を傾げた。
「エルガナス…?」
「あ…えっと……その」
「悪魔の…エルガナス?」
「!!なんで…知ってるの?」
「前に逢ったことがあるから」
「エルガナスに逢った?本当?ねぇ、エルガナスはどうしてた?元気にしてた?」
ぐいぐいと天使に問い詰められながらキルシスは応える。
「元気だったよ。クラインは彼と友達なのかい?」
「うん…でもしばらく逢ってないわ。お兄さまが…魔界に通じる場所を封じてしまったから」
「そうなのか…」
「それでも私は信じてる。種族が違っても分かり合えるって…いつかきっと」
昔から対を為す光と闇の世界。
その歴史に従う天使と悪魔。
抗おうとする異種族の二人。
互いの主張を知るキルシスは思う。
「人はみんな、同じように幸せを掴むことは出来ないのかな…」
それぞれの想いを抱きながら、歩んでゆく道。
これから見る世界はどこまで続くだろうか。
聖樹の下で
竜谷には聖域とされている場所がある。
おおよその位置は竜谷の中心とされているが、正確な場所は民である竜血種ですら把握することができない。
聖域の周囲には結界が張られているようだった。
選ばれた者しか立ち入ることは許されないのだ。
その聖域に、一歩足を踏み入れると深緑の草原が広がることだろう。
天を見上げれば断崖に囲まれつつも、隔たりのない空が見える。
夜になれば星々の煌めきを幾千と見ることができた。
草原の中央となる、小高い丘の上には巨大な大木が鎮座していた。
『ユナルクーンの聖樹』である。
ユナルクーンは、星に生まれた最初の竜。元始竜の名だ。
聖樹の下で、竜は誕生する。
*
長い時を過ごした束の間。
皇と呼ばれる竜血種の青年が、一時旅の休息のために故郷の竜谷へ戻ってきた時のことだった。
姉と共に暮らしていた皇はある日、聞き慣れない声を聞く。
── 我が種の子、もうじき新たな命が宿る・・・聖樹の下、ユナルクーンの名に於いて。
頭の中で響くその声に、どこか懐かしいような不思議な感覚を覚えた皇。
彼は、聖樹の下へ向かうことにした。
誓約を交わした神竜によれば、聖樹の下へは誰もが行けるわけではないという。
けれども、届いた声に誘われるように皇は竜谷の奥へと歩んだ。
やがて辿り着いた場所は、突然目の前に現れた。
森の中を歩み進んでいたはずの皇の視界に、今まで見たことがない景色が広がった。
深緑と色とりどりの花々で埋め尽くされた草原だった。
その奥の中心部に、聖樹と思われる巨大な大木がそびえ立っていた。
初めて見る巨木であるが、皇はすぐに理解した。
これが聖樹だ。
聖樹の方へ歩み寄るほど、その偉大なる存在を思い知ることになる。
根元の太い幹は、何十歩進めば一周できるのだろうか。
天を見上げれば青々と広がる葉に遮られて、わずかな木漏れ日だけが降り注ぐ。
一見すると聖樹の葉は深緑色のように思えた。
ひらひらと舞い降りた葉を一枚拾いあげると、光の角度によって虹色へと変化する。
皇は拾った葉を興味深そうに眺めてから、ゆっくりと散策するように聖樹の周りを歩き始めていた。
その間付き添いの神竜は、人知れず密やかに聖樹へ挨拶を交わしており、幹の袂へ行く。
神竜は聖樹へ寄り添うように白銀の身体を休ませていた。
聖樹を一周した皇は、羽を休める白銀竜の下へ行き、背中を預けるように座った。
「シルヴィスは、ここで生まれたの?」
『そうだ。我らが竜の母は、この聖樹ユナルクーンにある』
神竜の答えにそうか、と頷いた皇は穏やかな笑みを浮かべる。
「ここは素敵な場所だね。とても心地が良くて、安心できる」
『そう感じたのなら良かった。聖樹も喜んでいるはずだ』
「またここに、来られるかな」
『新たな命が宿る、お前にそう告げているのなら聖樹は立ち入って欲しいのだろう。きっとまた訪れることになる』
「そっか……新たな命、新しい竜が生まれてくるのなら、僕は待つよ。そして見守りたい」
『キルシスが望むなら、叶うだろう』
皇 ── キルシスは神竜シルヴィスと共に聖樹を見上げた。
ふわりと風が流れると、大樹に広がる葉は深緑と虹色に煌めいていた。
そう遠くはない未来へ向かって、新たな時は少しずつ動き始める。
2023年6月より順次掲載。永い時を生き、世界を旅した竜血種の皇と神竜の旅記録になります。記録は順不同。皇・キルシスは各記録により、少年あるいは青年となっており、年齢設定が異なります。彼の正確な年齢は不明で、作者自身もわかりません。
感想などありましたら下記フォームからどうぞ
メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字